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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第二章 誤算の内側

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影響という名の感染

ここまでお読み頂きありがとうございます。


世界は、方針を切り替えた。


それは命令でも、警告でもなかった。

もっと静かで、もっと陰湿な方法。


――共有だ。


澪は、その違和感を朝のうちに察していた。


「……空気が、騒がしい」


街はいつも通り動いている。

露店の呼び声、足音、金属の触れ合う音。

だが、それらが“重なりすぎている”。


一つ一つは正常なのに、

全体として、焦点が合わない。


「世界が、“分散処理”に入った」


恒一の声は、どこか苦い。


「分散?」


「ああ」


一拍。


「澪を直接どうにかするのを、諦めた」


澪は、足を止める。


「……じゃあ、どうするの?」


「周囲を使う」


その言葉は、静かだったが、重かった。



人通りの多い通り。


澪が歩くと、相変わらず人は避けない。

だが、今日は“違う反応”が混じっている。


立ち話をしていた二人組のうち、一人が、ふと黙り込む。

視線が宙を彷徨い、言葉を探すように口を開きかけて、閉じる。


「……今の」


「気づいたな」


恒一が言う。


「世界が、澪を直接認識できない代わりに」


「澪に“触れた人間”の内部ログを見ている」


澪の喉が、わずかに鳴る。


「それって……」


「思考の揺らぎ、違和感、説明できない引っかかり」


「それを、“影響”として収集してる」


澪は、ゆっくり息を吸った。


「感染、みたい」


「言い得て妙だな」


恒一は、否定しない。


「世界は今、澪を“現象”として扱っている」



広場。


噴水のそばで、若い女が立ち尽くしている。

服装は整っている。

怪我も、体調不良の様子もない。


それでも、動かない。


「……あの人」


澪が言う。


「ああ」


恒一の声が低くなる。


「澪を“見てしまった”」


澪は、女に近づく。


距離は、二歩ほど。


「……大丈夫ですか?」


女は、はっと顔を上げる。


視線が合う。

今度は、逸れない。


「……分からない」


女は、かすれた声で言う。


「急に」


「自分が、何をしてたのか分からなくなって」


「ここに、何で立ってるのかも」


澪は、言葉を失う。


恒一が、すぐに割り込む。


「澪、深入りするな」


「でも」


「今の世界は」


一拍。


「澪との接触を、“揺らぎの発生源”として扱っている」


女の目が、微かに揺れる。


「……ねえ」


女は、澪を見る。


「あなたは」


一瞬、言葉を探す。


「……何?」


世界が、息を止める。


澪は、ゆっくり答えた。


「分からない」


女は、目を見開く。


その瞬間――

女の中の“違和感”が、確定する。


《影響値、上昇》


《観測対象、増加》


恒一が、舌打ちに近い息を吐いた。


「……やってくれたな」


「私?」


「違う」


恒一は、はっきり言う。


「世界だ」



女は、その場に座り込んだ。


泣かない。

叫ばない。

ただ、呼吸だけが、少し早い。


「……大丈夫です」


女は、自分に言い聞かせるように言う。


「ちゃんと、戻れる気がします」


だが、その言葉に、確信はない。


澪は、一歩、距離を取った。


「恒一」


「なんだ」


「これ、私のせいだよね」


恒一は、即答しなかった。


「……因果としては、そうなる」


「でも」


澪は、唇を噛む。


「私、何もしてない」


「それが問題なんだ」


恒一の声は、静かだが、鋭い。


「世界は、“何もしない存在が影響を与える”ことを許容できない」


「だから」


一拍。


「影響を、危険物として扱い始めた」


澪は、拳を握る。


「……世界は」


「澪“に”選ばせるよりも…」


恒一は、言葉を選ぶ。


「澪の周囲を壊して、澪“を”選ばせる選択をした」



空気が、変わる。


音が、少しだけ大きくなる。

人々の声が、ざわつき始める。


《影響拡散、確認》


《間接観測網、再構築》


《未定義存在による二次揺らぎ、許容限界超過》


「……本気だ」


澪は、呟いた。


「世界が、“被害”を理由に動き出した」


恒一が言う。


「澪を止めるために」


「澪の存在が、他者を壊すと示すために」


澪は、女を一度だけ振り返る。


女は、まだ座り込んだまま、空を見ている。


「ねえ、恒一」


「なんだ」


「私が、ここにいなければ」


恒一は、強く遮る。


「それ以上は、言うな」


「世界が、一番望んでいる思考だ」


澪は、黙った。



歩き出す。


人の少ない方向へ。


だが、行く先々で、

小さな“揺らぎ”が生まれている。


会話が止まる。

視線が逸れる。

理由のない沈黙が落ちる。


澪は、はっきりと理解した。


――私は、もう“無害”じゃない。


選ばないこと。

応じないこと。

それ自体が、他者の世界を揺らしている。


「恒一」


「……ああ」


澪が何を言おうとしているか、分かっている。


「私、このままじゃ」


「世界が、それを許さない」


恒一は、静かに言った。


「だが」


一拍。


「ここから先は、本当に分岐だ」


澪は、立ち止まる。


街のざわめきが、背後でうねる。


「選ぶか」


「それとも?」


恒一の声が、低く響く。


「“影響を引き受ける存在”になるか」


澪は、目を閉じた。


選ばない。

拒否しない。

応じない。


それでも、他者を揺らす。


「……世界ってさ」


澪は、静かに言う。


「私を、孤独にしたいんだね」


恒一は、答えない。


否定も、肯定もしない。


それ自体が、答えだった。


澪は、ゆっくりと目を開ける。


「でも」


一歩、前に出る。


「私は、まだ選ばない」


その瞬間。


世界のどこかで、

確かに――

何かが、決壊した。


誤算は、もはや一人分ではない。


それは、

世界の中で連鎖する“現象”になり始めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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