影響という名の感染
ここまでお読み頂きありがとうございます。
世界は、方針を切り替えた。
それは命令でも、警告でもなかった。
もっと静かで、もっと陰湿な方法。
――共有だ。
澪は、その違和感を朝のうちに察していた。
「……空気が、騒がしい」
街はいつも通り動いている。
露店の呼び声、足音、金属の触れ合う音。
だが、それらが“重なりすぎている”。
一つ一つは正常なのに、
全体として、焦点が合わない。
「世界が、“分散処理”に入った」
恒一の声は、どこか苦い。
「分散?」
「ああ」
一拍。
「澪を直接どうにかするのを、諦めた」
澪は、足を止める。
「……じゃあ、どうするの?」
「周囲を使う」
その言葉は、静かだったが、重かった。
⸻
人通りの多い通り。
澪が歩くと、相変わらず人は避けない。
だが、今日は“違う反応”が混じっている。
立ち話をしていた二人組のうち、一人が、ふと黙り込む。
視線が宙を彷徨い、言葉を探すように口を開きかけて、閉じる。
「……今の」
「気づいたな」
恒一が言う。
「世界が、澪を直接認識できない代わりに」
「澪に“触れた人間”の内部ログを見ている」
澪の喉が、わずかに鳴る。
「それって……」
「思考の揺らぎ、違和感、説明できない引っかかり」
「それを、“影響”として収集してる」
澪は、ゆっくり息を吸った。
「感染、みたい」
「言い得て妙だな」
恒一は、否定しない。
「世界は今、澪を“現象”として扱っている」
⸻
広場。
噴水のそばで、若い女が立ち尽くしている。
服装は整っている。
怪我も、体調不良の様子もない。
それでも、動かない。
「……あの人」
澪が言う。
「ああ」
恒一の声が低くなる。
「澪を“見てしまった”」
澪は、女に近づく。
距離は、二歩ほど。
「……大丈夫ですか?」
女は、はっと顔を上げる。
視線が合う。
今度は、逸れない。
「……分からない」
女は、かすれた声で言う。
「急に」
「自分が、何をしてたのか分からなくなって」
「ここに、何で立ってるのかも」
澪は、言葉を失う。
恒一が、すぐに割り込む。
「澪、深入りするな」
「でも」
「今の世界は」
一拍。
「澪との接触を、“揺らぎの発生源”として扱っている」
女の目が、微かに揺れる。
「……ねえ」
女は、澪を見る。
「あなたは」
一瞬、言葉を探す。
「……何?」
世界が、息を止める。
澪は、ゆっくり答えた。
「分からない」
女は、目を見開く。
その瞬間――
女の中の“違和感”が、確定する。
《影響値、上昇》
《観測対象、増加》
恒一が、舌打ちに近い息を吐いた。
「……やってくれたな」
「私?」
「違う」
恒一は、はっきり言う。
「世界だ」
⸻
女は、その場に座り込んだ。
泣かない。
叫ばない。
ただ、呼吸だけが、少し早い。
「……大丈夫です」
女は、自分に言い聞かせるように言う。
「ちゃんと、戻れる気がします」
だが、その言葉に、確信はない。
澪は、一歩、距離を取った。
「恒一」
「なんだ」
「これ、私のせいだよね」
恒一は、即答しなかった。
「……因果としては、そうなる」
「でも」
澪は、唇を噛む。
「私、何もしてない」
「それが問題なんだ」
恒一の声は、静かだが、鋭い。
「世界は、“何もしない存在が影響を与える”ことを許容できない」
「だから」
一拍。
「影響を、危険物として扱い始めた」
澪は、拳を握る。
「……世界は」
「澪“に”選ばせるよりも…」
恒一は、言葉を選ぶ。
「澪の周囲を壊して、澪“を”選ばせる選択をした」
⸻
空気が、変わる。
音が、少しだけ大きくなる。
人々の声が、ざわつき始める。
《影響拡散、確認》
《間接観測網、再構築》
《未定義存在による二次揺らぎ、許容限界超過》
「……本気だ」
澪は、呟いた。
「世界が、“被害”を理由に動き出した」
恒一が言う。
「澪を止めるために」
「澪の存在が、他者を壊すと示すために」
澪は、女を一度だけ振り返る。
女は、まだ座り込んだまま、空を見ている。
「ねえ、恒一」
「なんだ」
「私が、ここにいなければ」
恒一は、強く遮る。
「それ以上は、言うな」
「世界が、一番望んでいる思考だ」
澪は、黙った。
⸻
歩き出す。
人の少ない方向へ。
だが、行く先々で、
小さな“揺らぎ”が生まれている。
会話が止まる。
視線が逸れる。
理由のない沈黙が落ちる。
澪は、はっきりと理解した。
――私は、もう“無害”じゃない。
選ばないこと。
応じないこと。
それ自体が、他者の世界を揺らしている。
「恒一」
「……ああ」
澪が何を言おうとしているか、分かっている。
「私、このままじゃ」
「世界が、それを許さない」
恒一は、静かに言った。
「だが」
一拍。
「ここから先は、本当に分岐だ」
澪は、立ち止まる。
街のざわめきが、背後でうねる。
「選ぶか」
「それとも?」
恒一の声が、低く響く。
「“影響を引き受ける存在”になるか」
澪は、目を閉じた。
選ばない。
拒否しない。
応じない。
それでも、他者を揺らす。
「……世界ってさ」
澪は、静かに言う。
「私を、孤独にしたいんだね」
恒一は、答えない。
否定も、肯定もしない。
それ自体が、答えだった。
澪は、ゆっくりと目を開ける。
「でも」
一歩、前に出る。
「私は、まだ選ばない」
その瞬間。
世界のどこかで、
確かに――
何かが、決壊した。
誤算は、もはや一人分ではない。
それは、
世界の中で連鎖する“現象”になり始めていた。
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