反応しない存在
ここまでお読み頂きありがとうございます。
世界は、ついに“待つ”ことをやめ始めていた。
それは、介入でも攻撃でもない。
拒絶ですらなかった。
――焦りだ。
澪の周囲だけ、空気の密度が微妙に変わっている。
触れられていない。
だが、避けられてもいない。
「……静かすぎる」
朝でも夜でもない時間帯。
街は活動しているはずなのに、澪の耳には、その音が薄くしか届かない。
「これ、前より悪くない?」
「質が変わった」
恒一の声は、いつもより低い。
「世界が“迷う段階”を終えかけてる」
澪は、歩みを止めずに言った。
「決めるってこと?」
「ああ」
一拍。
「どう処理するか、だ」
⸻
街の中心部。
人が集まる場所ほど、異変は顕著だった。
澪が歩くと、周囲の人間の動きが、わずかに遅れる。
ぶつからない。
だが、避けてもいない。
“空間が澪を空けている”。
それは意図ではなく、結果だった。
「ねえ」
「なんだ」
「私、今」
澪は、自分の手を見る。
「空白みたいじゃない?」
恒一は、否定しなかった。
「近い」
「存在しているが」
「因果の列に、組み込まれていない」
澪は、鼻で笑った。
「世界にとって、一番嫌なやつじゃん」
「そうだ」
恒一は、即答する。
「壊せないし、消せないし、使えない。」
「じゃあ」
澪は、歩きながら言った。
「世界は、どうするの?」
恒一は、少しだけ間を置いた。
「――別の手を使う」
⸻
そのとき。
空間が、“区切られた”。
音が、途切れる。
風が、止まる。
人の動きが、遠のく。
「……来たね」
澪は、立ち止まる。
《局所因果遮断、実行》
《観測補助領域、生成》
《対象:未定義存在》
声は、冷たい。
だが、どこか慎重だ。
「隔離?」
「近いが、違う」
恒一の声が、澪のすぐ隣にある。
「これは」
一拍。
「“舞台を用意した”」
澪は、周囲を見渡す。
街の風景はある。
だが、誰もいない。
背景だけが、正確に残されている。
「物語の舞台?」
「舞台、というより」
恒一は、淡々と言う。
「処理するための、劇場だ」
澪は、深く息を吸った。
「……必死だね」
「世界は、安定を最優先する」
「澪は、それを脅かしている」
澪は、一歩踏み出す。
足音が、はっきりと響いた。
「ねえ、恒一」
「なんだ」
「ここで、何か起きたら」
「私、観測される?」
「される」
恒一は、正直に答える。
「だが」
一拍。
「澪が“応じなければ”、成立しない」
澪は、少し考えた。
「じゃあさ、」
足を止める。
「私は、何もしない」
《行動待機、継続》
《因果接続、未発生》
声が、わずかに乱れる。
「世界が用意した舞台で」
澪は、静かに続ける。
「役割を演じなかったら」
「どうなる?」
恒一は、答えない。
答えられない。
⸻
沈黙。
それは数秒だったのか、数分だったのか。
時間の感覚が、曖昧になる。
《再試行》
《刺激付与、開始》
突然、空気が“意味”を帯びる。
懐かしさ。
安心感。
理由のない親近。
澪の胸の奥に、微かな温度が生まれた。
「……これ」
「感情誘導だ」
恒一の声が、鋭くなる。
「役割を受け入れやすくするための」
澪は、拳を握る。
温度が、強くなる。
――ここにいていい。
――選んでもいい。
――物語になってもいい。
「……」
澪は、目を閉じる。
そして。
ゆっくり、首を振った。
「違う」
温度が、途切れる。
《……》
《感情接続、失敗》
世界が、言葉を失う。
澪は、目を開けた。
「それ、私の気持ちじゃない」
「外から貼り付けたものだよ」
空気が、軋む。
背景が、わずかに揺れる。
「恒一」
「なんだ」
「世界ってさ」
澪は、まっすぐ前を見る。
「私に、選ばせたいんじゃない」
一拍。
「“選んだことにしたい”だけだよね」
恒一は、ゆっくり息を吐いた。
「……ああ」
「責任を、澪に押し付けたいだけだ」
澪は、静かに笑った。
「じゃあ、なおさら」
一歩、後ろに下がる。
「受け取らない」
《警告》
《因果不成立》
《処理不能》
声が、明確に乱れた。
世界が、初めて“失敗”する。
⸻
舞台が、崩れ始める。
背景が、剥がれるように消えていく。
街の輪郭が、意味を失う。
「……やりすぎじゃない?」
「世界が、自分で壊してる」
恒一は、冷静だ。
「澪を成立させる条件を、用意できなかった」
澪は、最後に一度だけ、振り返る。
「ねえ」
「なんだ」
「私さ」
澪は、はっきり言った。
「世界の敵になるつもりはないよ」
一拍。
「ただ」
「物語の材料には、なりたくないだけ」
世界は、答えない。
答えられない。
舞台は、完全に消える。
気づけば、澪は元の街角に立っていた。
人々が行き交い、音が戻る。
だが――
世界は、もう知ってしまった。
観測できない存在が、
応答すら、しないとき。
自分が、どれほど無力になるかを。
澪は、歩き出す。
反応しない存在として。
選ばれないまま。
そして世界は、次の手を考え始める。
それが――
“より危険な選択”であることも知らずに。
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