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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第二章 誤算の内側

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観測されない揺らぎ

ここまでお読み頂きありがとうございます。


世界は、まだ澪を見失っていた。


それは「見ない」のではない。

「見ることができない」。


観測という行為そのものが、澪に対して成立していない。


朝から昼へ。

時間は進んでいるはずなのに、澪の周囲だけが、どこか遅れていた。


「……音が、遅い」


街を歩きながら、澪は呟く。


足音が、少しだけ後から届く。

声も、風も、物音も。


因果が、半拍ずれている。


「固定できないからな」


恒一の声は、近い。


「澪の行動に、世界が“意味付け”できていない」


「だから、結果が遅れる?」


「正確には」


一拍。


「結果を、結べない」


澪は立ち止まる。


市場の通り。

人は行き交い、物は動き、風が通る。


だが澪だけが、その流れから、わずかに外れている。


「ねえ」


「ん?」


「これ、放っておいたらどうなるの?」


恒一は、すぐに答えなかった。


「……世界が先に壊れるか」


「澪が、世界から零れ落ちるか」


「どっち?」


「どちらとも言える」


澪は、目を細めた。


「曖昧だね」


「世界自身が、曖昧だからな」



正午過ぎ。


澪は、街外れの空き地に腰を下ろした。


草が伸び、誰も手入れしていない場所。

ここもまた、世界の“管理が弱い点”だ。


澪が座ると、草が揺れる。


だが、踏み荒らされることはない。

形が、戻ろうとする。


「……拒否されてるわけじゃない」


「拒否なら、排除が起きる」


恒一が言う。


「今は、接触を避けているだけだ」


「怖がってる?」


「正確には」


一拍。


「扱い方が、分からない」


澪は、草の先を指でつまむ。

触れているはずなのに、感触が薄い。


「ねえ、恒一」


「なんだ」


「私、世界にとって“何”なんだろ」


恒一は、静かに答えた。


「変数だ」


「しかも」


少し、言葉を選ぶ。


「再現できない変数」


澪は、小さく息を吐いた。


「最悪だね」


「世界にとってはな」


澪は、空を見上げる。


雲は流れている。

だが、澪の視界では、その流れに“物語”が生まれない。


ただの移動。

世界が意味を理解することのできない変化。


「私さ」


澪は、ぽつりと言う。


「このまま、消えることもある?」


恒一は、否定しなかった。


「可能性はある」


「世界が、澪を“存在として固定しない”ままならな」


「でも」


恒一の声が、わずかに強くなる。


「今は、世界の方が先に揺らいでいる」



その瞬間。


空気が、微かに震えた。


《因果補正、試行》


《観測再接続、限定実行》


澪の足元で、草が“踏まれたまま”になる。

初めて、結果が固定される。


「……来た」


澪は、立ち上がった。


視線が、集まり始める。

通りすがりの人々が、無意識に澪を見る。


一瞬だけ。


「限定だ」


恒一が言う。


「完全な観測じゃない」


「試してるだけ?」


「ああ」


「澪を、世界に“戻せるか”どうか」


澪は、一歩、前に出た。


世界が、その動きを追う。


だが――


澪は、途中で立ち止まった。


「やめた」


因果が、途切れる。


草が、元に戻る。

視線が、散る。


《……》


世界が、再び黙る。


恒一が、低く笑った。


「今のは」


「世界にとって、かなり効いたな」


澪は、少し肩をすくめる。


「だって」


「戻る気、ないし」


選ばない。

確定しない。

応じない。


世界が差し出した“再接続”を、

澪は、ただ受け取らなかった。


世界は理解する。


未観測の存在は、

管理できないだけではない。


応答しない。


それが、どれほど致命的かを。


澪は、静かに歩き出す。


観測されない揺らぎとして。

世界の外でも、内でもない場所へ。


世界は――

次に、どう壊れるかを

まだ、予測できずにいた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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