観測者の不在
ここまでお読み頂きありがとうございます。
予想外なことに、世界は何もしてこなかった。
監視は続いている。
計測も、記録も止まっていない。
だが――介入だけが、ない。
澪は、朝の光の中で目を開けた。
宿でも、牢でもない。
昨日と同じ、特徴のない部屋。
「……まだ、いる」
自分の声が、きちんと空間に残る。
消されてもいないし、薄まってもいない。
ただし。
「重いな」
昨日までとは、違う重さだ。
押し潰すような圧ではない。
視線の重さでもない。
“見られていない重さ”。
「恒一」
呼ぶ。
返事は、すぐには来なかった。
「……いる」
少し遅れて、声。
「今度は、離れてないな」
「離れてはいない」
恒一の声は、静かだ。
「でも、観測点がない」
澪は、眉をひそめる。
「観測点?」
「ああ」
「世界は普通、誰かを“見る位置”を決める」
「上か、横か、内側か」
「だが今は」
一拍。
「澪を見る“場所”が、存在しない」
澪は、ベッドから起き上がった。
「それって……」
「観測者が不在って事だ」
恒一は、言い切った。
「世界が、澪を観測できていない状態だ」
⸻
外に出る。
街は、いつも通りだった。
商人が声を張り、
子どもが走り、
朝食の匂いが漂う。
誰も、澪を避けない。
誰も、特別扱いしない。
だが――
「……目が合わない」
視線が、微妙に外れる。
合いそうで、合わない。
意図的ではない。
不自然すぎるほど自然に。
「これが、未観測」
恒一が言う。
「認識はされている」
「でも、“確定”されていない」
澪は、歩く。
影はある。
足音もある。
だが、意味がついてこない。
「ねえ」
「ん?」
「私、今……」
澪は、少し考えてから言った。
「存在してる?」
「してる」
即答だった。
「ただし」
「存在の“理由”がない」
理由。
生きる理由。
立つ理由。
そこにいる理由。
世界は、それを澪に与えていない。
与えられない。
「それ、怖い?」
「怖い」
恒一は、正直に言う。
「世界にとってはな」
澪は、小さく笑った。
「私じゃなくて?」
「澪は」
一拍。
「もう、慣れてる」
⸻
広場の端。
石造りの噴水の前で、澪は立ち止まった。
水は流れている。
規則正しく、意味もなく。
《観測不能領域、維持》
《因果接続、未確定》
《介入判断、保留》
声が、頭上ではなく、
“周囲”から聞こえる。
方向を失っている。
「ねえ、恒一」
「なんだ」
「世界ってさ」
澪は、水面を見つめながら言う。
「自分で作ったルールに、縛られてるんだね」
恒一は、少し黙った。
「……ああ」
「安定を選んだ結果だ」
「例外を、扱えなくなった」
澪は、噴水に指を入れる。
水が、指を避ける。
確定しないからだ。
「だったら」
澪は、静かに言った。
「私は、このままでいい」
名付けない。
選ばない。
動かない。
「観測されないまま?」
「うん」
澪は、顔を上げる。
「観測できないなら」
一拍。
「世界は、私を壊せない」
世界が、沈黙する。
《……》
初めての、“沈黙が長引く”。
恒一が、低く息を吐いた。
「澪」
「なに?」
「それはな」
少し、笑う気配。
「世界の外に出るより、厄介だ」
澪は、微笑んだ。
「じゃあ」
噴水の水音の中で。
「もう少しだけ、ここにいる」
観測されない存在として。
役割を持たないまま。
世界は、
答えを持たないまま――
澪を、
“見失い続けていた”。
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