街は、確かに存在している
お読み頂きありがとうございます。
地味な話が数話続きますが、もう少しだけ、お付き合い頂けますと幸いです。
街道は、想像していたよりもずっと素朴だった。
舗装はされておらず、土と砂利が踏み固められただけの道が、緩やかなカーブを描きながら続いている。足を運ぶたび、乾いた音が靴底から返ってきた。
それだけで、少しだけ安心する。
音がある。感触がある。
少なくとも、この場所では、世界は確かに「存在」しているらしい。
遠くに見えていた建物の影は、歩くにつれて少しずつ輪郭を明確にしていった。
低い石造りの家屋が並び、赤茶けた瓦屋根が陽を反射している。街の外縁らしく、どこか雑然としてはいるが、廃墟というほど荒れてはいない。
――人が、いる――
その事実を認識した瞬間、胸の奥で忘れかけていた何かが、強く蠢いた。
生きている者同士が作る気配。
声、足音、笑い声。かすかだが、確かに届いてくる。
「っ……」
無意識に、喉が鳴った。
ここに来て初めて、自分が“人の中に入る”のだという実感が湧いた。
あの声だけの存在の言葉が、脳裏をよぎる。
《そこで、人として振る舞え》
それは忠告だったのか、それとも条件提示だったのか。
どちらにせよ、今の自分には、それしか選択肢がない。
街の入り口には、特別な門はなかった。
道が自然に広がり、建物が増え、気づけばもう街の中に立っている。
境界線は曖昧で、だからこそ現実味があった。
最初にすれ違ったのは、荷車を引く中年の男だった。
筋張った腕、日に焼けた顔。こちらを一瞥し、特に警戒も好奇も見せずに通り過ぎていく。
次に、二人連れの子供。
何かを追いかけるように駆けていき、すれ違いざまにこちらを見上げて、すぐに興味を失う。
――見られてはいる。だが、見られすぎてもいない。
その距離感が、妙に現実的だった。
異物として弾かれていない。それでいて、特別扱いもされていない。
「……普通、か」
口に出してから、少しだけ可笑しくなる。
死んだはずの自分が、異世界のような場所で「普通」を基準に安心している。その事実自体が、すでに普通ではないのに。
街の中央に近づくにつれ、人の往来が増えていく。
露店らしきものが並び、布や果物、用途の分からない金属製品が無造作に置かれている。
言葉も、ちゃんと聞き取れた。
――意味が分かる――
言葉が、自然に頭へ入ってくる。
日本語ではない。だが、理解できないという感覚もない。
それを不思議だと感じる前に、当たり前として受け入れてしまっている自分自身に、恒一は軽い怖気を覚えた。
「……適応、か」
あの声の言っていた「適応」という言葉が、現実の形を伴って迫ってくる。
露店の前で足を止める。
並べられているのは、丸く乾いた果実のようなものだった。色は淡く、見た目はリンゴに近いが、香りはほとんどしない。
「それ、食べられるのか?」
試しに声をかけると、店番をしていた女性が顔を上げた。
年の頃は二十代半ば。素朴だが、よく働く手をしている。
「食べられるわよ。旅の人?」
「ああ……まあ、そんなところだ」
即座に嘘をついた自覚はあったが、言い直す必要も感じなかった。
旅人。便利な立場だ。その一言で事足りる。
女性は特に深く追及せず、果実を一つ持ち上げてみせた。
「街に入ったばかりなら、宿を探すといいわ。ここは外から来る人も多いから」
「……この街は、そういう場所なのか?」
「境目だからね」
その一言に、引っかかりを覚える。
「境目?」
問い返すと、彼女は少し考えるような顔をした。
「王都と、それ以外の。商人も傭兵も、みんな一度はここを通る。だから、珍しくはないのよ」
境目。
世界の、ではなく、国や勢力の境目らしい。
それを聞いて、久我は少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、この街は「異物」を前提にした構造を持っている。
「ありがとう。助かった」
礼を言って立ち去ろうとしたとき、彼女がふと、こちらを見つめた。
「……ねえ」
「?」
「あなた、名前は?」
一瞬、間が空いた。
頭の中で、あの静かな空間がよぎる。
名前だけが、自分を繋ぎ止めていた感覚。
「久我……恒一だ」
口にした瞬間、わずかな重みが胸に落ちた。
まだ、失われてはいない。
「そう」
彼女はそれ以上、何も言わなかった。
だが、どこか安心したように微笑んだのが、なぜか印象に残った。
街をさらに進み、宿屋らしき建物を見つける。
木製の扉、擦り切れた看板。決して新しくはないが、人の出入りは多い。
中に入ると、暖かな空気とざわめきが迎えた。
食事をとる者、酒を飲む者、何やら真剣に話し込む者。
――生きている――
その事実が、ここでは何度も突きつけられる。
カウンターの奥にいた宿主に声をかけ、部屋を借りる。
簡素な部屋だったが、寝台があり、扉があり、窓がある。それで十分だった。
一人になると、急に疲労が押し寄せてくる。
身体的な疲れではない。精神の、摩耗。
寝台に腰を下ろし、天井を見上げる。
「……この世界は、普通だな」
普通であることが、こんなにも不安を伴うとは思わなかった。
管理者の言葉がなければ、ここが壊れかけている世界だとは、誰も思わないだろう。
だが、確かに感じている。
音の裏にある違和感。
人の営みの隙間にある、わずかな空白。
――何かが、足りない――
それが何なのかは、まだ分からない。
だが、自分がそれを「観測する側」に置かれているという事実だけは、はっきりしていた。
恒一は、ゆっくりと目を閉じる。
この街で、人として過ごすために。
世界が、静かに軋む音を、聞き逃さないために。
楽しくなってきちゃったので、1日最低1話更新で行きます。
誤字等あれば教えて頂けますと幸いです。




