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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第二章 誤算の内側

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監視されない選択

ここまでお読み頂きありがとうございます。


世界は、静かだった。


先程までの圧迫感が消えたわけではない。

だが、あの露骨な“触れてくる感じ”が、一時的に引いた。


それが意味するものを、澪は直感で理解していた。


「……様子見、か」


声に出すと、空気がわずかに揺れる。


声は、答えない。

いや、答えられない。


「世界が?」


「そうだ」


恒一の声は、少し遠い。

距離が離れたわけではない。

“焦点”が、ずれた。


「今の世界は」


一拍。


「澪をどう扱えばいいか、判断を保留してる」


「監視は?」


「続いてる」


澪は、苦笑した。


「じゃあ、何も変わってないじゃない」


「違う」


恒一は、はっきり否定する。


「世界が“決められない”時間は、貴重だ」


「その間だけは」


「澪の選択が、先に動ける」


澪は、足を動かした。



人の少ない坂道を登る。


石畳に近い、舗装の荒い道。

馬車の通る音が、遠くから聞こえる。

この世界では、速度は急がない。


この世界は、速さや派手さを求めない。


変わらないこと、壊れにくいこと。

それが、この街の選んだ在り方だ。


「ねえ、恒一」


「なんだ」


「この世界ってさ」


澪は、歩きながら言う。


「最初から、こんなだった?」


「いや」


恒一は、少しだけ間を置く。


「最初は、もっと雑だった」


「雑?」


「役割の割り振りが、粗い」


「選ばれた者と、そうでない者」


「生き残るか、切り捨てられるか」


「それだけの世界だった」



澪は、眉をひそめる。


「今より、ひどくない?」


「ひどいが、分かりやすい」


恒一は、淡々と続ける。


「今の世界は、丁寧だ」


「丁寧に、全てを管理しようとしている」


「だから」


一拍。


「誤差に、弱い」


澪は、足を止めた。


「……私たちみたいなの?」


「そうだ」


恒一の声が、わずかに低くなる。


「想定外が、想定内になった瞬間」


「世界は、自分の限界を突きつけられる」



坂の上。


街を見下ろせる、小さな展望地に出る。

柵はなく、落ちないように石が積まれているだけ。


人はいない。


澪は、そこに立った。


「ねえ」


「ん?」


「もしさ」


澪は、街を見下ろしたまま言う。


「私が、何も選ばなかったらどうなる?」


恒一は、すぐには答えない。


「……難しいな」


「選ばない、っていうのは」


「世界にとっては、最も理解しづらい選択だ」


「拒否より?」


「ああ」


恒一は、はっきり言う。


「拒否は、対立だ」


「だが、無選択は」


一拍。


「物語を成立させない」


澪は、小さく息を吸った。


「物語を、始めさせない」


「そうだ」


恒一の声に、わずかな熱がこもる。


「世界は、始まらない物語を管理できない」


「終わらせることも、できないからな」


澪は、柵代わりの石に手を置いた。


冷たい。


「それって……」


澪は、ゆっくり言葉を選ぶ。


「私が、何かになる必要はないってこと?」


「正確には」


恒一は、修正する。


「何かになる前に、動ける」


澪は、目を閉じた。


胸の奥で、何かが静かにほどけていく。



そのとき。


空気が、再び“測られる”。


だが、前回とは違う。


《監視継続》


《直接介入、保留》


《観測対象、行動待ち》


声は、淡々としている。

感情はない。

だが、そこにあるのは――迷いだ。


「……待たれてる」


澪が言う。


「そうだ」


恒一が答える。


「世界が、澪の“次の一手”を」


澪は、目を開ける。


「だったらさ」


一歩、前に出る。


落ちる位置ではない。

ただ、世界の“想定線”を少しだけ越える。


「私、何もしない」


恒一が、息を呑む気配がした。


「……本気か?」


「うん」


澪は、はっきり言う。


「役割も、拒否もしない」


「物語にも、ならない」


「ただ」


一拍。


「私として、そこにいる」


世界が、沈黙する。


《……》


処理音もない。

警告もない。


初めての、完全な空白。


「恒一」


「なんだ」


「これ、正解?」


「分からない」


恒一は、正直に言った。


「ただ」


少しだけ、声が柔らぐ。


「世界が困ってるのは、確かだ」


澪は、微かに笑った。


「なら、いいや」


選ばない。

名付けない。

役割を与えさせない。


それでも、存在する。


世界は、その扱い方を知らない。


誤算は、

拒否でも反抗でもなく――


“行動しないという選択”として、

確かに、そこにあった。


世界は、まだ答えを出せない。


そして澪は、

答えを急ぐ気もなかった。


世界は、さらに――

内側へ、沈んでいく。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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