監視されない選択
ここまでお読み頂きありがとうございます。
世界は、静かだった。
先程までの圧迫感が消えたわけではない。
だが、あの露骨な“触れてくる感じ”が、一時的に引いた。
それが意味するものを、澪は直感で理解していた。
「……様子見、か」
声に出すと、空気がわずかに揺れる。
声は、答えない。
いや、答えられない。
「世界が?」
「そうだ」
恒一の声は、少し遠い。
距離が離れたわけではない。
“焦点”が、ずれた。
「今の世界は」
一拍。
「澪をどう扱えばいいか、判断を保留してる」
「監視は?」
「続いてる」
澪は、苦笑した。
「じゃあ、何も変わってないじゃない」
「違う」
恒一は、はっきり否定する。
「世界が“決められない”時間は、貴重だ」
「その間だけは」
「澪の選択が、先に動ける」
澪は、足を動かした。
⸻
人の少ない坂道を登る。
石畳に近い、舗装の荒い道。
馬車の通る音が、遠くから聞こえる。
この世界では、速度は急がない。
この世界は、速さや派手さを求めない。
変わらないこと、壊れにくいこと。
それが、この街の選んだ在り方だ。
「ねえ、恒一」
「なんだ」
「この世界ってさ」
澪は、歩きながら言う。
「最初から、こんなだった?」
「いや」
恒一は、少しだけ間を置く。
「最初は、もっと雑だった」
「雑?」
「役割の割り振りが、粗い」
「選ばれた者と、そうでない者」
「生き残るか、切り捨てられるか」
「それだけの世界だった」
澪は、眉をひそめる。
「今より、ひどくない?」
「ひどいが、分かりやすい」
恒一は、淡々と続ける。
「今の世界は、丁寧だ」
「丁寧に、全てを管理しようとしている」
「だから」
一拍。
「誤差に、弱い」
澪は、足を止めた。
「……私たちみたいなの?」
「そうだ」
恒一の声が、わずかに低くなる。
「想定外が、想定内になった瞬間」
「世界は、自分の限界を突きつけられる」
⸻
坂の上。
街を見下ろせる、小さな展望地に出る。
柵はなく、落ちないように石が積まれているだけ。
人はいない。
澪は、そこに立った。
「ねえ」
「ん?」
「もしさ」
澪は、街を見下ろしたまま言う。
「私が、何も選ばなかったらどうなる?」
恒一は、すぐには答えない。
「……難しいな」
「選ばない、っていうのは」
「世界にとっては、最も理解しづらい選択だ」
「拒否より?」
「ああ」
恒一は、はっきり言う。
「拒否は、対立だ」
「だが、無選択は」
一拍。
「物語を成立させない」
澪は、小さく息を吸った。
「物語を、始めさせない」
「そうだ」
恒一の声に、わずかな熱がこもる。
「世界は、始まらない物語を管理できない」
「終わらせることも、できないからな」
澪は、柵代わりの石に手を置いた。
冷たい。
「それって……」
澪は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「私が、何かになる必要はないってこと?」
「正確には」
恒一は、修正する。
「何かになる前に、動ける」
澪は、目を閉じた。
胸の奥で、何かが静かにほどけていく。
⸻
そのとき。
空気が、再び“測られる”。
だが、前回とは違う。
《監視継続》
《直接介入、保留》
《観測対象、行動待ち》
声は、淡々としている。
感情はない。
だが、そこにあるのは――迷いだ。
「……待たれてる」
澪が言う。
「そうだ」
恒一が答える。
「世界が、澪の“次の一手”を」
澪は、目を開ける。
「だったらさ」
一歩、前に出る。
落ちる位置ではない。
ただ、世界の“想定線”を少しだけ越える。
「私、何もしない」
恒一が、息を呑む気配がした。
「……本気か?」
「うん」
澪は、はっきり言う。
「役割も、拒否もしない」
「物語にも、ならない」
「ただ」
一拍。
「私として、そこにいる」
世界が、沈黙する。
《……》
処理音もない。
警告もない。
初めての、完全な空白。
「恒一」
「なんだ」
「これ、正解?」
「分からない」
恒一は、正直に言った。
「ただ」
少しだけ、声が柔らぐ。
「世界が困ってるのは、確かだ」
澪は、微かに笑った。
「なら、いいや」
選ばない。
名付けない。
役割を与えさせない。
それでも、存在する。
世界は、その扱い方を知らない。
誤算は、
拒否でも反抗でもなく――
“行動しないという選択”として、
確かに、そこにあった。
世界は、まだ答えを出せない。
そして澪は、
答えを急ぐ気もなかった。
世界は、さらに――
内側へ、沈んでいく。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。




