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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第二章 誤算の内側

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役割未定義

ここまでお読み頂きありがとうございます。


世界は、露骨には変わらなかった。


空は相変わらず空で、雲は雲の形をしている。

風は吹き、街は動き、人々はそれぞれの朝を続けている。


だが――

澪の感覚だけが、はっきりとそれを否定していた。


「……重い」


口に出した瞬間、自分でも驚く。

重力が強くなったわけじゃない。

それなのに、足裏だけが遅れる。


ただ、“進みにくい”。


一歩踏み出すたびに、世界が一瞬だけ躊躇する。

受け入れるか、弾くかを迷っている。


「拒否の反動だな」


恒一の声が、以前よりも近く聞こえた。


「近い?」


澪が問う。


「近いというより」


少し考える間。


「世界が、俺を押し戻そうとしてる」


澪は、足を止めた。


「それって……」


「役割を失った存在は」


恒一は淡々と続ける。


「世界の外に弾かれるか、内側に押し込まれるかの二択だ」


「今は?」


「中途半端だ」


それは、良くない兆候だった。



人通りのある道へ出る。


市場に近い通り。

荷を運ぶ者、立ち話をする者、目的なく歩く者。


澪は、彼らの間をすり抜ける。


ぶつからない。

避けられているわけでもない。


ただ、存在として認識されていない。


「あ」


澪は、小さく声を漏らした。


向かいから来た男が、澪の直前で足を止める。

視線は合っている。

だが、焦点が定まらない。


「……?」


男は、何かを探すように首を傾げる。


澪の横を、視線だけが通り過ぎる。


「今の」


「“未分類”に触れた」


恒一の声が、低くなる。


「世界は今、澪をどう扱えばいいか決めかねている」


「だから?」


「処理が遅れる」


男は、結局何も言わず歩き去った。

澪の存在は、認識されなかったのではない。

途中で存在を棄却された。


澪は、胸の奥が冷えるのを感じた。


「……これが続くと、どうなるの?」


「最悪の場合」


恒一は、はっきりと言う。


「澪は、“背景”になる」


「背景……?」


「あらゆる場面に存在できる」


「でも、どの場面にも関与できない」


澪は、息を吸った。


それは、生きているとは言えない。



《再分類遅延、発生》


《役割未定義状態、継続》


《影響範囲、局所拡大》


いつもの声だ。

だが、今回は少し違う。


声に、苛立ちが混じっている。


世界が、澪に合わせて言語を調整しきれていない。


「ねえ」


澪は、立ち止まったまま言う。


「もし、私が折れたら」


「役割を受け入れたら?」


「うん」


恒一は、即答しなかった。


それだけで、答えは分かる。


「楽になる?」


「短期的にはな」


「長期的には?」


「物語になる」


恒一の声は、淡々としている。


「消費されて、完結して、終わる」


澪は、拳を握る。


「……やっぱり嫌だ」


「だろうな」


「でも」


澪は、顔を上げる。


「拒否した結果が、これなら」


一拍。


「それでも、選んだって言える?」


恒一は、少しだけ黙った。


「言える」


「なぜ?」


「澪が、“後悔する道を選択していない”からだ」


澪は、ゆっくり息を吐いた。



その瞬間。


世界が、一段階、強く触れてきた。


《暫定措置、実行》


《未定義存在への影響制限》


澪の視界が、わずかに歪む。


色が落ちる。

音が遠ざかる。


「……来た」


「制限だ」


恒一の声が、はっきりする。


「世界は、澪を“危険物”として隔離し始めてる」


「隔離……」


「殺さない」


「でも、自由にさせない」


澪は、目を閉じた。


暗闇は来ない。

ただ、世界が“遠のく”。


「ねえ、恒一」


「なんだ」


「恒一は…」


澪は、静かに言う。


「この先、どこまで付き合ってくれるの?」


一拍。


「分からない」


恒一は、正直に答えた。


「俺はもう、世界の外にいる」


「でも」


澪は、目を開ける。


「私が選び続ける限り」


恒一は、続けた。


「誤算は、消えない」


《警告》


《未定義存在と記録存在の接続、継続中》


《想定外相互干渉、検出》


世界は、明確に“嫌がっている”。


澪は、微かに笑った。


「……じゃあさ」


「なんだ」


「もう少しだけ」


呼ばない。

名付けない。


それでも、確かに伝える。


「一緒に、困らせてやろう」


世界が、答えない。


それ自体が、答えだった。


役割は、まだ与えられていない。

物語も、始まっていない。


だが――

拒否は、確実に“影響”になり始めていた。


誤算は、静かに広がっていく。


世界の内側で。

世界の都合を、少しずつ壊しながら。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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