役割未定義
ここまでお読み頂きありがとうございます。
世界は、露骨には変わらなかった。
空は相変わらず空で、雲は雲の形をしている。
風は吹き、街は動き、人々はそれぞれの朝を続けている。
だが――
澪の感覚だけが、はっきりとそれを否定していた。
「……重い」
口に出した瞬間、自分でも驚く。
重力が強くなったわけじゃない。
それなのに、足裏だけが遅れる。
ただ、“進みにくい”。
一歩踏み出すたびに、世界が一瞬だけ躊躇する。
受け入れるか、弾くかを迷っている。
「拒否の反動だな」
恒一の声が、以前よりも近く聞こえた。
「近い?」
澪が問う。
「近いというより」
少し考える間。
「世界が、俺を押し戻そうとしてる」
澪は、足を止めた。
「それって……」
「役割を失った存在は」
恒一は淡々と続ける。
「世界の外に弾かれるか、内側に押し込まれるかの二択だ」
「今は?」
「中途半端だ」
それは、良くない兆候だった。
⸻
人通りのある道へ出る。
市場に近い通り。
荷を運ぶ者、立ち話をする者、目的なく歩く者。
澪は、彼らの間をすり抜ける。
ぶつからない。
避けられているわけでもない。
ただ、存在として認識されていない。
「あ」
澪は、小さく声を漏らした。
向かいから来た男が、澪の直前で足を止める。
視線は合っている。
だが、焦点が定まらない。
「……?」
男は、何かを探すように首を傾げる。
澪の横を、視線だけが通り過ぎる。
「今の」
「“未分類”に触れた」
恒一の声が、低くなる。
「世界は今、澪をどう扱えばいいか決めかねている」
「だから?」
「処理が遅れる」
男は、結局何も言わず歩き去った。
澪の存在は、認識されなかったのではない。
途中で存在を棄却された。
澪は、胸の奥が冷えるのを感じた。
「……これが続くと、どうなるの?」
「最悪の場合」
恒一は、はっきりと言う。
「澪は、“背景”になる」
「背景……?」
「あらゆる場面に存在できる」
「でも、どの場面にも関与できない」
澪は、息を吸った。
それは、生きているとは言えない。
⸻
《再分類遅延、発生》
《役割未定義状態、継続》
《影響範囲、局所拡大》
いつもの声だ。
だが、今回は少し違う。
声に、苛立ちが混じっている。
世界が、澪に合わせて言語を調整しきれていない。
「ねえ」
澪は、立ち止まったまま言う。
「もし、私が折れたら」
「役割を受け入れたら?」
「うん」
恒一は、即答しなかった。
それだけで、答えは分かる。
「楽になる?」
「短期的にはな」
「長期的には?」
「物語になる」
恒一の声は、淡々としている。
「消費されて、完結して、終わる」
澪は、拳を握る。
「……やっぱり嫌だ」
「だろうな」
「でも」
澪は、顔を上げる。
「拒否した結果が、これなら」
一拍。
「それでも、選んだって言える?」
恒一は、少しだけ黙った。
「言える」
「なぜ?」
「澪が、“後悔する道を選択していない”からだ」
澪は、ゆっくり息を吐いた。
⸻
その瞬間。
世界が、一段階、強く触れてきた。
《暫定措置、実行》
《未定義存在への影響制限》
澪の視界が、わずかに歪む。
色が落ちる。
音が遠ざかる。
「……来た」
「制限だ」
恒一の声が、はっきりする。
「世界は、澪を“危険物”として隔離し始めてる」
「隔離……」
「殺さない」
「でも、自由にさせない」
澪は、目を閉じた。
暗闇は来ない。
ただ、世界が“遠のく”。
「ねえ、恒一」
「なんだ」
「恒一は…」
澪は、静かに言う。
「この先、どこまで付き合ってくれるの?」
一拍。
「分からない」
恒一は、正直に答えた。
「俺はもう、世界の外にいる」
「でも」
澪は、目を開ける。
「私が選び続ける限り」
恒一は、続けた。
「誤算は、消えない」
《警告》
《未定義存在と記録存在の接続、継続中》
《想定外相互干渉、検出》
世界は、明確に“嫌がっている”。
澪は、微かに笑った。
「……じゃあさ」
「なんだ」
「もう少しだけ」
呼ばない。
名付けない。
それでも、確かに伝える。
「一緒に、困らせてやろう」
世界が、答えない。
それ自体が、答えだった。
役割は、まだ与えられていない。
物語も、始まっていない。
だが――
拒否は、確実に“影響”になり始めていた。
誤算は、静かに広がっていく。
世界の内側で。
世界の都合を、少しずつ壊しながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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