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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第1章 観測者の立つ場所

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呼ばれた痕

ここまでお読み頂きありがとうございます。


昼に近い時間帯だった。


陽は高く、影は短い。

それなのに、街の空気はどこか重たい。


音はある。

人の声も、荷車の軋む音も。

だが、それらは表面を滑るだけで、奥に残らない。


世界が、注意深く“何かを避けている”。


恒一と澪は、市場の端を歩いていた。

人の集まる中心部は避け、視線の密度が低い外周を選ぶ。


それでも、今日は――


「……見られてる」


澪が、声を落とす。


「気づいたか」


恒一は歩調を変えない。


「視線じゃない。認識だ」


すれ違う人間の何人かが、

一瞬だけ澪の方向に意識を向け、

次の瞬間、困惑したように首を傾げる。


「今の人」


「“何か”を見た」


「私?」


「正確には、痕だ」


澪は、足元を見る。


「……痕?」


「澪がいた、という残り香みたいなものだ」


存在が濃くなれば、

それは世界に“跡”を残す。


跡は、観測を呼ぶ。


市場の角を曲がった、そのとき。


「――あれ?」


若い男の声。


恒一は、即座に足を止めた。


男は、荷を抱えたまま立ち尽くしている。

視線は、澪の少し横。

正確に合っていない。


「……今、誰か」


言いかけて、言葉が途切れる。


「いや……」


男は、眉をひそめる。


「気のせいか」


そう呟いた男の視線は、もう一度だけ同じ場所に戻った。


澪の肩が、わずかに強張る。


「……呼ばれた?」


「未遂だ」


恒一は、低く言った。


「名前までは、届いてない」


だが――


世界は、確実に一歩進んだ。


《観測反応、発生》


管理者の声ではない。

だが、明確な“記録”の気配。


恒一は、舌打ちを抑える。


「場所を変える」


「うん」


二人は、すぐに市場を離れる。

細い路地、さらにその奥。


人の往来が切れたところで、ようやく立ち止まった。


澪が、息を吐く。


「……ねえ」


「なんだ」


「今の、怖かった」


正直な声だった。


「呼ばれたら」


澪は、言葉を探す。


「私、ちゃんと答えちゃいそう」


恒一は、少しだけ目を伏せた。


「それは、悪いことじゃない」


「でも」


「でも、戻れなくなる」


澪は、黙って頷く。


「名前じゃなくても」


澪は続ける。


「誰かが“そこにいる”って思っただけで、こうなるんだね」


「存在は、想像より軽くない」


「重い?」


「ああ」


恒一は、静かに言う。


「世界にとっては、負荷だ」


澪は、自嘲気味に笑った。


「ほんとに、厄介だね」


「……そうだな」


だが、恒一は続ける。


「だからこそ、今は保たれてる」


「どういう意味?」


「誰かが呼び切る前に、揺らいでる」


澪は、首を傾げる。


「それって」


「完全に見えてない、ってこと?」


「そうだ」


恒一は、澪を見る。


「澪は今、“途中”だ」


《観測途中》


その言葉が、脳裏をよぎる。


管理者なら、そう分類するだろう。


澪は、少し考えてから言った。


「……ねえ、恒一」


「なんだ」


「もし」


一瞬、ためらう。


「もし、誰かが私を呼んだら」


「その時は」


恒一は、即答しなかった。


選択は、まだ確定していない。


「……割り込む」


「呼ばれる前に?」


「ああ」


「それって」


澪は、驚いたように目を見開く。


「観測者として、アウトじゃない?」


「ギリギリだ」


「ギリギリなんだ」


「だから、今はまだやらない」


澪は、小さく笑った。


「線引き、好きだよね」


「越えないためにな」


路地の奥で、風が動く。


《記録》


《第三者による未完了認識、確認》


《例外の痕跡化、進行》


恒一は、空間に向けて言う。


「まだだ」


「呼ばせない」


《……》


応答はない。

だが、確実に“聞かれた”。


澪が、恒一の隣に立つ。


触れない。

だが、距離は昨日より近い。


「ねえ」


「なんだ」


「呼ばれる前に、ここにいるって」


澪は、静かに言う。


「案外、悪くないね」


恒一は、わずかに口元を緩めた。


「そうかもしれない」


だが――


痕は、消えない。

呼びかけは、いずれ完成する。


世界はもう、

「存在しないもの」として澪を扱えなくなっている。


その確かな痕跡だけが、

この世界に、静かに――だが確実に、残り始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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