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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第1章 観測者の立つ場所

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呼ばれる前の距離

ここまでお読み頂きありがとうございます。


朝の静けさは、まだ続いていた。


だが昨日と違い、それは“止まっている”静けさではない。

何かが、慎重に息を整えている。

踏み出す前の、一拍。


恒一は宿の裏手にある小さな井戸の前で立ち止まっていた。

石で囲われただけの、簡素なものだ。

覗き込めば、暗い水面がわずかに揺れている。


澪は、その少し後ろに立っている。


距離は、半歩。

触れられるが、触れない距離。


「……ねえ」


「分かってる」


振り返らずに答える。


「近い、だろ」


澪は苦笑した。


「言わなくてもいいのに」


「言わないと、ズレる」


恒一は、井戸から視線を離す。


「世界が、距離を測り始めてる」


澪は一瞬、きょとんとした顔をした。


「距離?」


「ああ」


恒一は、言葉を選ぶ。


「存在と存在の、許容範囲だ」


「近づきすぎると?」


「観測される」


澪は、少し考えてから言った。


「じゃあ、遠すぎたら?」


恒一は、すぐには答えなかった。


遠すぎる存在。

それは、未観測ではない。

“観測の必要がないもの”だ。


「……消える」


澪は、それ以上追及しなかった。


二人は宿を離れ、街の外れへ向かう。

畑と林の境界線。

人の気配が薄く、情報の流れも緩い場所。


歩きながら、恒一は違和感を数えていた。


足音。

風の向き。

澪の影。


影が、ある。


昨日までは、薄かった。

今日は、地面に張り付くように存在している。


「ねえ、恒一」


「なんだ」


「私、重くなった?」


思わず、足が止まる。


「……どうして、そう思った」


「分かんない」


澪は、両手を見つめる。


「でも、踏み出すと、地面がちゃんと返ってくる」


「前は?」


「抜ける感じだった」


恒一は、小さく息を吐いた。


「重さは、存在の副作用だ」


「副作用?」


「この世界に留まろうとすると、必ず発生する」


「じゃあ、軽い方がいい?」


「管理者にとってはな」


澪は、少し笑った。


「やっぱり、私は邪魔なんだ」


「邪魔な訳じゃない」


恒一は、きっぱりと言う。


「想定外なだけだ」


林に入る。

枝葉が視界を細かく区切り、空が見えにくくなる。


その瞬間、空気が変わった。


冷える。

圧が、下がる。


《観測密度、上昇》


意味だけが、脳内に直接流れ込む。


恒一は、無意識に周囲を確認する。


「……来てる?」


澪が、小声で聞く。


「ああ」


「今日は、近いね」


「距離を詰めてきてる」


《例外の定義、再照合》


《紐付け要素の確認》


恒一の視線が、澪に向く。


紐付け。

それは、名前、関係性、記憶――

この世界に“固定”するための全て。


澪が、気づいたように言う。


「……恒一」


「何だ」


「私たちって」


少し、言い淀む。


「今、どんな関係?」


空気が、張り詰めた。


それは、名前と同じだ。

言語化すれば、定義される。


「答えない方がいい?」


澪が、試すように聞く。


「……今はな」


恒一は、正直に答えた。


「関係は、観測の起点になる」


澪は、目を伏せた。


「そっか」


《観測者と例外の関係性、未確定》


《安定度、暫定維持》


圧が、わずかに緩む。


澪が、ぽつりと言う。


「でもさ」


「なんだ」


「呼ばれなくなるのは、怖い」


恒一は、歩みを止める。


「誰にも、じゃない」


澪は続ける。


「恒一に、だよ」


それは、管理者への挑発ではない。

純粋な、不安だった。


「……呼ぶ」


恒一は、静かに言った。


「名前がなくなっても」


「どうやって?」


「距離で」


澪は首を傾げる。


「距離?」


「ああ」


恒一は、澪の隣に立つ。


触れない。

だが、同じ景色を見る距離。


「分かるだろ」


澪は、一瞬驚いたように目を見開き、

それから、小さく笑った。


「……ずるい」


「観測者だからな」


林の奥で、風が揺れた。


《記録》


《観測者の個人的選択、継続》


《将来的影響、未算出》


圧は、完全には消えない。

だが、今は保留だ。


二人は並んで歩き出す。


呼ばれる前の距離。

定義される前の関係。

名前を持たないまま、確かに存在する何か。


恒一は、はっきりと理解していた。


――この世界は、澪を測っているのではない。

――“呼ばずに留める”という矛盾を、試している。


次に問われるのは、存在か。

それとも、関係か。


あるいは――

観測者が、どこまで踏み込むか。


答えは、まだ。


誰にも、呼ばれていない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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