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明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


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8「椿:控えめな素晴らしさ」

「あなた、お店の人?」


 昼時を過ぎた頃、ひとりの紳士が客として現れた。

 天は店の掃除を終え、忙しい猗に変わって品出しをしていた。紳士はしきりに時計を気にしており、小さく地面を蹴ってそわそわと落ち着かない様子だ。


「ええ。今日から働いてまして」

「そうか。花をお願いしたいんだ。急ぎでね、猗さんじゃなくてあなたでいい」

「私は素人でして……」


 急いでいるのはわかるが、商売は商売。中途半端な真似はできない。

 今日店に立ったばかりの自分ではまともな仕事はできないだろう、と逡巡していたが、客はすがるような眼で天を見つめてくる。

  

「若い娘への贈り物かな?」


 店と客とのせめぎ合いで固まった空気は、禁の大きな声により解ける。

 禁がにこにこと話しかけると、時間を気にしていた紳士はほうと息を吐く。安心というよりは禁の迫力に圧倒されているようだが、それでもきつく結ばれた緊張の糸はゆるりとほどけていった。

 

「そうなんだ。娘の具合が悪くてね」

「なら天がぴったりだ。この店の唯一の女店員だからな」


 「そうか」と紳士が安堵の息を漏らす。焦りや不安はどこかへ行き、見違えるように穏やかになった。紳士は静かに天を向くと、頭を下げて再び頼み込む。

 

「娘が喜んでくれるならなんでもいいんだ。君の好きな花でいい。頼まれてくれないか?」

「頭なんて下げんでください。そういうことでしたら、務めさせていただきます」


 天は大げさに頭を下げる紳士に恐縮しながらも、好きな花を選んでいいという言質を手に入れたので何か見繕うことにした。

 病床の若い娘、女の感性でいい、花選びのヒントとなるのはそれだけだ。


(無難に撫子とかでええかな。朝見た時綺麗やったし)


 そう思いながら花を選んでいると、後ろでは禁と紳士の会話が聞こえてくる。


「娘さんは家で休んでるのかい?」

「ああ、体がだるくて動かせないと……。医者は問題ないと言っているから、ヒステリイかもしれない。お恥ずかしい」

「何を言う。気の病も体の病もどちらも大事。心配はするに越したことはない」

「気の病、か。そうかもな……目が、目が、と目が痛いわけでもないのに大騒ぎしているんだ」


 禁が会話をしながら情報を引き出してくれていると、さすがの天でもわかる。


「目? 誰かに追われているのか?」

「そんなまさか。箱入りの清純な娘だ。もめ事など起こすはずもない」


 細切れに聞こえてくる情報を聞いて、天は撫子に伸ばした手を止めた。


 ***


「お待たせしました」


 少しの間をおいて、天は準備した花を紳士に渡す。


「これは……」


 紳士の戸惑ったような声が聞こえる。

 それは鉢に植えられた椿の花。黒い鉢に赤茶の土、緑の葉の上には真っ赤な花が凛と咲いていた。


「その……何でもいいとは言ったが、椿は病人には縁起が悪い。鉢は病床に長居することを連想させるし、椿は花ごと落ちるから首が落ちると――」

「お客人」


 困ったように花を眺める紳士に、禁が優しく声をかける。


「どうかこの天の話を聞いてみてくれないか? 選んだ理由があるのだろう」

「はい」


 天は頷くと、椿の花をひと撫でしてふっと息を吹き込む。真っ赤な花は天の息を受けて淡く輝いた。


「お嬢さんの病気、妖の仕業かもしれません」

「妖……?」


 妖と言う言葉に紳士は小首をかしげる。一言ではピンとこないほど、妖というものは新しい時代で忘れ去られてしまっているのだ。


「手の目という妖がおります。文字通り手に目の付いた妖で、気に入った人間から骨を抜き取るとされます」

「そんな、昔話じゃないんだから」

「せやね。昔話です」


 天は寂しそうに笑う。だが目にはぎらりと強い光が宿っており、冗談を言っている雰囲気ではない。


「椿の花は神域に咲く魔除けの花とも言われます。この椿が黒く染まるようでしたら、どうかもう一度この店においでください」

「しかしねえ」

「お客様」

 

 渋る紳士の元に、やっと手の空いた猗がやってきた。猗の人懐こいにこやかな顔で対応されると、自然と紳士の顔も穏やかになる。

 

「椿は武家には禁忌ですが、庶民の間では人気の花です。赤い大きな花は、華やぐ年頃のお嬢様にもぴったりかと」

「猗さんが言うんじゃ、信じちまうなあ」

「気の病なら魔除けは慰めにもなりましょう」

「大きな兄さんまで、こりゃ商売上手だ」

 

 猗と禁に言われては紳士も承諾せざるを得ない。おそらくは元士族の紳士は、渋々ではあるが花を買ってくれた。


「あとこれは、おまけでございます」

 

 天は紳士に絹の小袋を手渡す。紳士はまじまじと袋を見ると、ふわりと香る芳香に合点のいった顔をする。


「香袋か、粋だねえ」

「こちらも魔除けに塩と椿の葉、山椒の花を入れております」

「はは。魔除けか。お嬢さんはずいぶん古めかしい人だ」

「妖は、まだおりますからね」


 あなたの隣にも、ほら……。と言いたい気持ちをこらえて、天は紳士の隣にいる禁と猗をちらりと見る。彼がただの花屋だと思っている二人が、大妖怪の鬼と猫又だと知ったらどんな顔をするだろう。


「ありがとう。今度は娘とくるよ」

「ありがとうございました!」

「娘はん、どうかお大事になさいませ」


 店頭でお辞儀をして紳士を見送り終わると、天の接客用の顔はがらりと崩れていつもの仏頂面に戻ってしまう。

「笑っていると可愛いのに」と言う禁をきっと睨みつける。


「あの客、また来るで」

「手の目、か」

「会ったことはありませんが。現世に残された妖の生き残りですね」


 天の退魔師の勘が言っている。きっと――


「私の初めての客は、手の目になるかもしれへんね」


 手の目は女を求めている、と。 

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