49「人の花婿」
「おつかれさん」
ぽたり。湯の雫がこぼれると同時に、天は再び山王丸の前に呼び戻されていた。
山王丸の妖術で転移したらしい。
風呂場で一糸まとわぬ姿でいた天だったが、山王丸の計らいか、今は上等な着物を身に纏っている。
「天……」
「禁さん!」
禁もまた、その場に呼び戻されていた。
青ざめた体でふらふらと歩いていたが、途中で力尽きて
腹に傷がある。イツ禍の手当てで多少ましにはなっているが、弱体化した人間の体では治りきらなかったようだ。
「まさか惚れた男より客を選ぶとはねえ」
山王丸がからからと笑う。
その瞬間に遊郭の建物が大きく崩れた。大きな地震でもあったかのように縦に、横に、激しく揺れる。
ガラガラと音を立てて障子戸は倒れ、欄間は崩れていく。
「なんで……」
「力を失いすぎた……これではもう、鬼には戻れぬ」
それは、大旦那である禁が力を失った故の崩壊だった。
人の身に堕ちた禁ではこの巨大な建物を維持し続けられず、じきに全てつぶれてしまうだろう。
どこかで焦げた匂いがする。行灯が倒れて火が回っている。
遠くで桃の泣き声が聞こえた。皆、無事だろうか。
「山王丸! お遊びは終わりや! 早う戻しや!」
「冗談じゃねえ。俺をほっぽり出して別の客取るような店、つぶれちまえばいいじゃねえか」
すべての元凶は山王丸だ。天は声を荒げるが、彼はひょうひょうとしたまま態度を崩さない。
「さあて、どうするね」
山王丸は挑発するように両手を広げる。
斬れ、ということだろうか。
(こいつまだ……)
まだこの男は図っている。妖を斬らずに共存できるのか、どうかを。
「斬るな、天」
禁が天の腕の中で静かにほほ笑んだ。
「我はすべてを失っても……理想は失わん……。なに、今度は人の世で同じことをすればいい」
それはあまりにも無茶な話だと、その場にいる誰もがわかっていた。
この城のような遊郭も、そこに来る人々も、従業員たちも、すべては禁の鬼の城主という威光合ってこそ。
それを失って、いちから希望を見いだせるほど、人の世は甘くない。
だが――
「……結婚、しましょう」
天も、同じ夢を見ていた。
「天。今の我には鬼の花嫁の加護など――」
「鬼の花嫁の加護があるなら、人の花婿の加護やってあるはずや」
天はぎゅっと禁を抱きしめる。失血で冷たくなった禁の体に、天の熱が移る。
「アンタは私が守る! 私が養ったる! 私が全部面倒見たる!」
「天……」
「安心しい! 鬼の花嫁も人の花婿も、なんも変わりはせん。これまでどおりの生活を、私が保証したる」
そう言うと、天は禁に深い口づけをする。
音を立てて崩れる館の中で、炎に包まれながら、ふたりは熱い口づけを交わした。
禁の体が淡い光に包まれ、今度こそすべての鬼の力を失う。
それでも、天は構わなかった。
「はい、やめやめ!!」
ぱぁん! と柏手の乾いた音が鳴る。
「――はぇ?」
それは、猗の手の音だった。
気持ちの良い音と共に、崩壊し燃え尽きんとしていた遊郭は再び絢爛豪華な外装に戻る。
何もかもが、元に戻っていた。
「……幻影」
「犲の幻影です」
イツ禍に尾をつかまれて、犲はぷいとそっぽを向いている。
「ど、どういうことや。なんで犲ちゃんが……」
「こ奴は山王丸の密偵だったのだ」
禁を振り向くと、漆黒の角と白い牙が元に戻っている。
彼は、鬼に戻っていた。
「幽世では生き残りの妖で勢力争いをしておってな。山王丸は我の元に密偵を仕込んで付け入る隙を探していた」
「おやおや。全部お見通しってわけかい」
「犲は我の元で働きながら、転機が来るのを待っていた」
「その転機が、私っちゅうことか」
そうだ。禁はそう言うと山王丸を睨みつける。
「我の心のよりどころが天にあると知った犲と山王丸は、我らの元にカチコミに来たが――」
「まさかお嬢さんが接待してくれるたあ、思わなかったねえ」
山王丸は飄々としたまま、からからと笑って酒をあおる。
「だからせめ天を引き抜いて、二人を仲たがいさせてやろうと思ったが、仲良く結婚話まで進んじまった」
「ふん、極道者の浅知恵だ」
天の知らぬ間に起きていた抗争を、天は知らぬまま収めてしまったらしい。
あまりの話に頭を抱えるが、その場にいる誰もが天を認めざるを得なかった。
「俺ぁ、一本筋が通ったやつが大好きだ。同盟を組もう、もうアンタにちょっかいはかけないぜ。いいな、犲?」
「……山王丸様のおっしゃる通りに」
「猗もいいと思います!」
「では、杯の準備を」
「あうあー!」
山王丸の提案に、華屋の面々が代わりに返事をする。
「待て! 我は何も言っておらん!」
「ちょい待ち、私を置いて話進めんといて!」
天と禁の抵抗もむなしく、杯の準備は滞りなく進められていく。
禁は渋々と、「わかった」と頷くしかなかった。
「ああ、それと」
山王丸はそう言うと、天を呼び寄せる。
口づけをしようか一瞬迷った後「花嫁さんにゃ、手え出せねえな」と笑って、頬を寄せ合う洋風の挨拶で収めた。
「お題だ。楽しませてもらったぜ」
掌には、こぼれんばかりの金塊が握られていた。
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