46「奥様」
「禁さん!!」
天の悲鳴は、禁には届かない。
流れる血が雪を朱に染める。
【ざまあみろ! ざまあみろ!】
元凶の生霊のがなり声が聞こえる。高らかに叫びながら、勝利を宣言している。
「きゃあああ!!」
「殺人だ! 誰か!」
野次馬の悲鳴が上がる。次々と叫び続ける彼らだが、決して天たちに近づくことはない。
「禁さん!」
悲鳴と怒声の不協和音で頭が痛い。彼らの声が自分の声をかき消すことが許せなくて、天は一層声を大きくして禁の名を呼んだ。
「安心せよ。幽世に、行くだけだ……」
何度目かの問いかけで、禁は目を覚ました。
「でも、アンタ今弱くなってるんやろ!? 戻ってこれるんか?」
「天が……呼ぶなら……どこにでも……」
その言葉を禁が言い切ることはなかった。
体から力が抜け、血色のよかった肌色は青白く染まる。
命が尽きた、力のない禁の体をぎゅっと抱きしめて、天は気丈にも声をかける。
「禁さん……私を置いていくなんて許さへんで……!」
【あはははは! あばずれの男が倒れた! ざまあみろ!】
「……奥様ぁ……!!!」
目の前で嗤う奥様の生霊に、天は一歩、踏み出した。
許さない、殺してやる、消してやる。そんな黒い思いが渦を巻いて、握った拳に力が入る。
「……っ」
だが、天は復讐を選ばなかった。
口惜しさと苦しみを乗り越えて、そっと奥様の生霊の体を抱きしめる。
「……あんたは……私と同じや」
【何を――】
怒りがないわけではない。声は憎しみと苦しみで震えている。
それでも天は、目の前の哀しい妖の心を解きほぐす、自分の仕事を選んだ。
「きちんとケリをつけておくべきやった」
【放せっ! 気色悪いんだよ!】
生霊が天の腕の中で暴れる。生霊の振り乱した髪に雪が降り、彼女を白に染めていく。
「……あんた、ほんまにそれで満足か?」
天の声は静かだった。怒りではなく、哀しみに揺れていた。
「私を憎んでも、殺しても、アンタの立場はたいして変わらへんで」
【うるさい! 私は、私は、あの人を――】
「誉は、愛を知らん」
はっとしたように、生霊の嗤いが止まる。
その目が、初めて人間のように震えた。
「私は、あの人を愛してた。でも、あの人は――それを知らんかったんやと思う」
天はかがみ込み、倒れた禁の頬に手を添えた。
「見てみいや、この男。今、命がけで私を守ったんやで。力を奪われても、金も、名もなくなっても、ここにおるんや。弱い心に一本通った筋、それが愛なんや」
【……っ】
奥様の生霊が、怯えるように後ずさった。
「生霊。アンタは奥様の弱い心そのものや」
【黙れっ……!】
「黙らへん。言わなあかん。私は、あんたにもちゃんと伝えたかったんや」
天は奥様の前に立ち、己の裾を払うようにして姿勢を正した。
「私は弱い女や。意志が弱くて、頭が弱くて、心が弱い。でもな、そんな中にも一本、筋が通ってる」
天は、自分の体を指さす。
「それを妖に教えるのが、私の仕事や」
その瞬間、奥様の肩がびくりと震えた。顔が、少女のように崩れ落ちる。
「偉そうなことを! あばずれのくせに!」
張り詰めていた生霊の姿が、少しずつ崩れていく。
強がりの鎧が剥がれて、その奥にいたのは――哀しい女だった。
「私は妖と触れ合ってきた。アンタよりは物を知っとる!」
「うるさい! 碌なこと覚えてこなかったんだろう!?」
「逃げずに、抗わずに、ただ誰かにすがるだけの女の人生なんて――そんなもんがまやかしだと、教えてもらったで」
天はそっと、奥様の手を取った。
「アンタにも、教えたる」
目の前にいるのは、髪を振り乱した若い女性。極道の姐をやっているだけあって美しく、身なりもきちんと整えていた。
だが表情は童女のそれで、泣きはらした目で憎々しげに天を睨んでいる。
この人の心を解きほぐすこと、それが、天の仕事なのだ。
「アンタに、性を教えたる!」
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