45「帰ってきて」
「おいおい兄ちゃん。弱すぎるやろ」
「禁さんどないしたんや! 弱すぎるやろ!」
天と誉の声が重なる。
天の素っ頓狂な声のほうが夜の横濱によく通り、道行く人々がひそひそと天たちを振り返る。夜の街で喧嘩など珍しくもない。人々の中には一方的にやられている禁を嘲笑うものまでいた。
「消えな! 見せもんちゃうで!」
天は毅然と野次馬を追い払う。大きな声を出すと心にあった靄が晴れるようだった。
天は誉を無視して禁の元へ駆け寄る。天を向いて倒れる禁をのぞき込むと、鼻血を流した禁が遠い目をしていた。
「わ、訳あって……弱体化していて」
「なんで今!?」
「体が重い……」
禁は天の手を取ってどうにか起き上がる。心配する天に羽織をかけると、にこりと笑う。
「安心せよ」
「できへんって!」
そんな状態でも、禁は誉に立ちはだかった。
「坊ちゃん。弱いのに格好つけたらあかんで」
「惚れた女の前で格好つけない男がどこにいる」
禁は血の滲んだ口元で、冗談のように笑った。だがその目は真剣そのものだった。
誉が嘲るように鼻を鳴らす。
「そんなんで天チャン守れんのかいな。足元ふらふらやんけ」
「守れるさ。……力がなくても、我は――天のそばにいる」
禁の声は震えていた。だがその言葉はどこまでも真っすぐで、揺るがなかった。
「弱くなった我は……地位も富もない、ただの男だ」
「……」
「それでも、我は天と共にありたい」
「禁さん……」
天の口から、熱を帯びた吐息が漏れる。鼓動が速くなるのが自分でもわかる。
「我には、天しかいない。天の笑う顔を、桃の手を引いて歩く姿を、どこまでも見ていたいんだ」
ボロボロの顔で、息も絶え絶えのまま、禁はまっすぐ天を見つめる。
「我を選べ。天。……お前を、愛している」
その言葉に――天は、笑った。
涙ぐみながら、でもしっかりと笑って、禁の胸にぽすりともたれかかった。
「……ほんまに、アホやなあ、禁さんは」
肩をふるわせながら、天は言った。
「私はもう、誰かに決められて生きてた頃とは違う」
禁は黙って天を見つめた。その表情には、恐れも迷いもなかった。
「自分の人生は、自分で選ぶ。子供の父親が誰かやなくて、自分が誰と生きたいかで選ぶ」
天はそっと禁の頬に触れた。鼻血がこぼれたその顔は、どこまでも優しくて、あたたかくて――愛おしかった。
「……強い奴がイキってる様よりな」
天はにっこりと笑って、誉のほうを振り返る。
「弱いもんが覚悟決めたときの方が、よっぽど格好ええねん」
誉が何か言いかけたが、天はもう振り返らなかった。
そのまま禁の頬に手を添えて、ゆっくりと、顔を近づけた。
冬の夜風が、ふたりの髪をやさしく撫でる。
唇が重なる――
強くも、弱くも、ない。ただ確かに、生きて、愛を選んだふたりの、熱い口づけだった。
道行く人々のざわめきが遠のいて、世界にふたりだけが残されたような、静かな夜。
「つまんな」
誉の退屈そうな声がぽつりとこぼれる。吐き捨てるような声でそう言うと、地面を蹴る。
「諦めへんで、天チャン」
「とっとと消えや」
「へいへい。今日はもうええわ」
誉は肩をすくめて、つまらなそうに雪を眺める。街灯の乏しい明りが去っていく誉を照らすが、じきに夜の闇に溶けて行った。
脅威は去った。
天と禁はほっと息を吐いた。
【死ねっ!】
その時だった。
天に取り付く生霊が実態を持って襲い掛かる。着物姿の女が髪を振り乱し、刃物を持ってまっすぐに天に走ってくるその生霊との間に、禁が立ちはだかった。
「危ない!」
「禁さん……!」
鈍い音があたりに響く。血の匂いがして、どさり、と音を立てて禁がその場に倒れる。
野次馬の悲鳴が、遠くに聞こえた。
【はは……ははは……ざまあみやがれ】
奥様の生霊は髪を振り乱して笑っていた。
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