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明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


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44「よわむし」

「なあ、ええやろ? 儂も子供に会いたいねん」


 誉は天の手を払えなかった。

 桃の顔を見るたび思っていた。どこか誉の面影を感じさせると。

 桃は今でこそ何も語れないが、自我を持つように鳴れば「父親に会いたい」と言うのではないか。その時、自分は意地のためにその道を絶ったのだと告げることができるのだろうか。


【格好つけるな】


 ぞわり。奥様の生霊が恨めし気にささやいた。


【お前はあの人を私から奪う気だろう! 私が見捨てられたのをいいことに! 妬ましい、妬ましい……】


 生霊は霊魂となって天の首を絞めるようにまとわりつく。

 天は自分の愚かさが憎かった。生霊の言う通り、桃の心配だけではない。


「会いたかった」


 何よりも天が会いたかったのだ。酷い男だと、外道だとわかっているのに。愛していた気持ちに蓋ができない。


「なら……」

「だからこそ、ここでお別れや」


 だが、天はその甘えた心を冷たい気持ちで封じた。

 禁にあった日から、天は誉の奴隷からひとりの女になった。

 桃を生んだ瞬間から、天は誉の女から桃の母になった。


「アンタへの未練が私を弱くする。二度と会わんといて。私はひとりで生きていける」


 だからもう、迷うことはなかった。

  

「……言うようになったやないか、天チャン」

 

 誉のにやけ顔が引き締まる。彼が真顔になるときは相当怒っているときだ。

 天は反射的に怯えるが、弱い心を見せたくないと、意地で強気を装った。


「なら、攫うしかないなあ」

「離して!」


 誉の手が、血が出るほどに天の腕に食い込む。痛い、怖い。単純な力比べなら、退魔師の天にも多少分がある。だが、心に沁みついた彼への恐怖が天の体をこわばらせた。

 このままでは攫われてしまう。踏ん張る足がもつれ、地面に膝をつく。怯える瞳の中に、ちらりと雪が舞う。

 ああ、寒いはずだ。天は絶体絶命の状況中で、他人事のようにそう思った。

 

「やめろ!」


 瞳の中に、焔が映る。

 夜の闇のような黒髪に、紅を差した赤い瞳。まるで焔のように暖かく優しい男が、天の目の前に現れた。


「禁……さん……」

「なんやあ、兄ちゃん」


 禁だった。

 幽世の時とは違い、角と爪をしまって人間の形をしている彼は、誉の肩に手を追いて静止していた。

「はぁ、はぁ」と荒い息が白く染まってとなって夜の闇に溶けていく。息を切らしてまで走ってきたようだ。

 

「天を離せ」

「……ああ。天チャン、悲しいわあ。もう新しい男見つけたんか」


 誉は一呼吸おいて、禁が何者なのかを推測する。獲物を睨む蛇のような瞳がぎょろりと動き、禁を舐めるように見た後、天に振り返った。


「彼は……」

「いいや、まだ関係はできていない。しかし、天は今、我が口説いている。お主にはお引き取り願いたい」


 禁は天との関係を雇用主と遊女の関係とは言わなかった。

 まだ名前のない関係だと、しかしそれに名をつけたいと、まっすぐな瞳で天を見つめた。


「ええ男見つけたなあ。天チャン」

 

 誉も状況を察したのだろう。遠い目をして禁を眺めながら、うんうんと頷いた。まるで感動しているかのような顔をして、しみじみと天に語り掛ける。

 視線が、天に向いた。その瞬間――


「ぐうっ……!!」


 誉の容赦のない拳が禁の腹をえぐる。

 内臓まで破壊せんとするほどの力。完全に油断していた禁はまともにくらい、低いうめき声をあげて地面に膝をついた。

 

「禁さん……」

「兄ちゃん。女奪いたいんやったら、力づくでこんとあかんで」


 膝をついた瞬間を狙って、誉の膝蹴りが禁の顔面に当たる。

 禁はどういうわけかそれをよけず、ぼきり、と嫌な音を立ててまともに膝蹴りをくらって地面にもんどりうった。


「弱い!!」


 天の悲鳴が夜の横濱に木霊した。

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