42「再会」
山王丸の腹の中は、世界だった。
ひょいと呑み込まれた天は胃で消化されてしまうと恐怖したが、気づけば大きな音を立てて地面に叩きつけられた。
「いたた……」
したたかに打った尻をかばいつつ、天はあたりを見回す。
潮の匂いがかすめる。冬の海風が冷たく肌を撫でる。そこは見慣れた港町、夜の横濱だった。
「なんや、ここ」
自分は山王丸に呑み込まれたはずなのに。どういう理由で、こんなところにいるのだろう。
「さむっ」
夜の潮風が肌を刺す。気づけば山王丸に着せ替えられたドレスを再び身に纏っていた。
夜の港町に柔肌をさらし、天は凍える体をぎゅっと抱きしめた。
自分は幽世の華屋にいたはずだ。だが、ここはどう見ても現世の横濱。夢か現かもわからないが、とにかく帰らなければ。
「【ひととせ】に行けばええかね」
天の帰る場所は――禁の元だった。
禁が、猗が、イツ禍が、犲が、桃がいる。天涯孤独だった天の新しい家。
天は迷いなく大通りへ足を向けた。港の風が冷たく吹きすさぶ。早く帰って火鉢の周りで暖まりたい、その一心で小走りに走る。
履き慣れない洋風の靴が、足を傷めた。
「さむ……」
山王丸に着せられたドレスの裾を握って、天は小さく肩をすくめた。
重ね着をしてるわけでもない、ただの礼装に、冬の空気は容赦ない。
吐いた息が白く曇って、まるで誰かの魂のように空に浮かぶ。
それでも足は止まらない。しばらく歩くと街の灯りが見えてきた。
ガス灯がぽつぽつと並ぶ石畳に、馬車の車輪の跡が黒く濡れている。
レンガ造りの洋館が軒を連ねて、ふとした風でカーテンがふわりと揺れる。
(一人で夜出歩くなんて、桃を連れて逃げた時以来やね)
冬の夜の匂いが、遠い記憶を連れてくる。
あの日、誉と手を繋いで歩いた道。
港に船が着くたび、名も知らぬ異国の言葉が飛び交っていた道。
笑って、泣いて、そして逃げた、あの夜。
ガス灯の明かりが、揺れた。
「天チャン」
それは、あっけない出会いだった。
「……アンタ…………」
「天チャンやないか! 久しぶりやなあ!」
「ほ、誉……」
誉、かつて天を飼っていた男。
天を孕ませて、捨てて、そして二度と会うことのなかった男。
「おお、腹へこんどるなあ! もう産んだんか?」
そういいながらぺたぺたと遠慮なく触ってくる手が、暖かい。
生霊の見せた幻影ではない、本物だ。
あれほど逢いたかったのに、あれほど逃げたかったのに、天はとうとう誉と出会ってしまった。
「一人で産んだんか? 堪忍なあ。嫁がうるさくてなあ、天チャンの新しい家探してる間に包丁持って駆け出しよって」
「……か、関わらんといて」
「子供はどこや? 男か、女か?」
誉の大きな手が天の腹をさする。桃が腹にいたころには大きく膨らんでいたそこも、今は細身の体に戻っている。
妊娠中は決して触れることをしなかったくせに、何をいまさら。天は身勝手な誉に怒りが募った。
「触らんといて」
「おお、おお。怒るなや。もう嫁も黙らせたし、天チャン迎えに行こ思うててん」
「今更なんや! 私はアンタに頼らんでも一年腹の子と生きてきた」
「立派に産んだんやなあ。さすが天チャンや」
誉は天の怒りを、子猫の鳴き声のようにさらりと流し、なれなれしく天の肩を抱く。
そしてぞっとするような美しい声で、天の耳元でささやいた。
「父親が必要やろ?」
誉の声は天を支配する。
低い声にささやかれると、天は逆らえなかった。この男を愛している。この男に従っていればいい道へ行ける。楽に暮らすことができる。すべてを支配されていた天は、男がくれる飴の味も、鞭の味もよく知ってしまっている。
そして、誉は天を支配するように言葉を続ける。
「子供と三人で暮らそうや」
天が最も、欲しかった言葉を。
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