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明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


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42/50

42「再会」

 山王丸の腹の中は、世界だった。

 ひょいと呑み込まれた天は胃で消化されてしまうと恐怖したが、気づけば大きな音を立てて地面に叩きつけられた。


「いたた……」


 したたかに打った尻をかばいつつ、天はあたりを見回す。

 潮の匂いがかすめる。冬の海風が冷たく肌を撫でる。そこは見慣れた港町、夜の横濱だった。


「なんや、ここ」


 自分は山王丸に呑み込まれたはずなのに。どういう理由で、こんなところにいるのだろう。

 

「さむっ」


 夜の潮風が肌を刺す。気づけば山王丸に着せ替えられたドレスを再び身に纏っていた。

 夜の港町に柔肌をさらし、天は凍える体をぎゅっと抱きしめた。

 自分は幽世の華屋にいたはずだ。だが、ここはどう見ても現世の横濱。夢か現かもわからないが、とにかく帰らなければ。


「【ひととせ】に行けばええかね」

 

 天の帰る場所は――禁の元だった。

 禁が、猗が、イツ禍が、犲が、桃がいる。天涯孤独だった天の新しい家。

 天は迷いなく大通りへ足を向けた。港の風が冷たく吹きすさぶ。早く帰って火鉢の周りで暖まりたい、その一心で小走りに走る。

 履き慣れない洋風の靴が、足を傷めた。


「さむ……」


 山王丸に着せられたドレスの裾を握って、天は小さく肩をすくめた。

 重ね着をしてるわけでもない、ただの礼装に、冬の空気は容赦ない。

 吐いた息が白く曇って、まるで誰かの魂のように空に浮かぶ。

 それでも足は止まらない。しばらく歩くと街の灯りが見えてきた。


 ガス灯がぽつぽつと並ぶ石畳に、馬車の車輪の跡が黒く濡れている。

 レンガ造りの洋館が軒を連ねて、ふとした風でカーテンがふわりと揺れる。


(一人で夜出歩くなんて、桃を連れて逃げた時以来やね)


 冬の夜の匂いが、遠い記憶を連れてくる。

 あの日、誉と手を繋いで歩いた道。

 港に船が着くたび、名も知らぬ異国の言葉が飛び交っていた道。

 笑って、泣いて、そして逃げた、あの夜。


 ガス灯の明かりが、揺れた。

 

「天チャン」


 それは、あっけない出会いだった。


「……アンタ…………」

「天チャンやないか! 久しぶりやなあ!」

「ほ、誉……」


 誉、かつて天を飼っていた男。

 天を孕ませて、捨てて、そして二度と会うことのなかった男。


「おお、腹へこんどるなあ! もう産んだんか?」


 そういいながらぺたぺたと遠慮なく触ってくる手が、暖かい。

 生霊の見せた幻影ではない、本物だ。

 あれほど逢いたかったのに、あれほど逃げたかったのに、天はとうとう誉と出会ってしまった。

 

「一人で産んだんか? 堪忍なあ。嫁がうるさくてなあ、天チャンの新しい家探してる間に包丁持って駆け出しよって」

「……か、関わらんといて」

「子供はどこや? 男か、女か?」


 誉の大きな手が天の腹をさする。桃が腹にいたころには大きく膨らんでいたそこも、今は細身の体に戻っている。

 妊娠中は決して触れることをしなかったくせに、何をいまさら。天は身勝手な誉に怒りが募った。


「触らんといて」

「おお、おお。怒るなや。もう嫁も黙らせたし、天チャン迎えに行こ思うててん」

「今更なんや! 私はアンタに頼らんでも一年腹の子と生きてきた」

「立派に産んだんやなあ。さすが天チャンや」

 

 誉は天の怒りを、子猫の鳴き声のようにさらりと流し、なれなれしく天の肩を抱く。

 そしてぞっとするような美しい声で、天の耳元でささやいた。


「父親が必要やろ?」


 誉の声は天を支配する。

 低い声にささやかれると、天は逆らえなかった。この男を愛している。この男に従っていればいい道へ行ける。楽に暮らすことができる。すべてを支配されていた天は、男がくれる飴の味も、鞭の味もよく知ってしまっている。

 そして、誉は天を支配するように言葉を続ける。

 

 「子供と三人で暮らそうや」


 天が最も、欲しかった言葉を。

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