33「海座頭」
「問おう」
海座頭は上位の妖だ。強大な力で船を沈めるが、同時に人に問いかけを行う。それに正直に答えれば、見逃してもらえるという。
「女。お前が望むものはなんだ」
ご丁寧に名指しまでされている。磯撫でとの戦いで疲労し、これ以上戦えない天は、この問いに答えて見逃してもらうしかない。
べん、べん、べべん――
急かすような琵琶の音が鳴る。答えなければ。
「禁さんといることや」
天は正直に答えた。
「禁さんの下で、妖と人の橋渡しをしたい。桃や華屋のみんなと穏やかに暮らしていたい」
禁はぎゅうと天を抱きしめた。喜んでいるのだろうということは、顔を見なくてもわかる。
そうだ、天にとっては今が幸福なのだ。
子がいて、仲間がいて、表の仕事も手に入った。そして夜は哀しい妖の心を解きほぐせる。これ以上何を望むというのか。
心からそう答えたはずだ、それなのに――
「嘘をついたな!!」
べん! べん! べん!!!
海座頭はカッと目を見開いて、琵琶をかき鳴らす。
嵐の中に巻き起こる不協和音に脳が揺れる。ぐらり、とバランスを崩した時には、天は真っ逆さまに海に落ちていた。
「天!!」
「はは、やっぱり嘘だったか」
禁と山王丸の声が遠くに聞こえる。彼らに抱きすくめられていたはずなのに、今は一人夜の海に叩き落される。
ぬくもりは消えて凍てつく海の冷たさが体を刺し貫く。寒いと声を上げることもできず、天は深く深くへと落ちていく。
(嘘、やったんかな……)
だが、悲しみはなかった。
ただ自分の心が不思議だった。心から思っていたはずだ、心から。それなのになぜ――
【誉に会いたい】
【誉を愛してる】
【何もかも捨てて、彼に会いたい】
海の底で渦巻く声が天にまとわりつく。真っ黒な手が天を海底から逃がすまいとしがみつく。目を凝らしてよく見れば、縋り付いている影は女の姿。
長い黒髪を海底にたなびかせ、大きな瞳で射殺さんばかりに天を睨みつける。おどろおどろしい女。
(これは、奥様の生霊……!?)
誉の正妻。妊娠した天とその子である桃の命を狙った女。天に嫉妬する心が生んだ妖が、天に憑りついて嘯いていたのだろう。
最近誉の幻覚や幻影を見るのもそのせいだと合点がいった。目の見えない海座頭はこの女の声を天のもう一つの心だと信じて天の言葉を嘘と判定したのだ。
いや――
【私だけを見て】
【忘れないで】
この想いが天にないものだとも言い切れない。生霊は弱った心に取り付く。
【お願い、私を見て】
弱った心が、彼女の苦しみを引き寄せた。
(それはきっと、私だけとちゃう)
「海座頭」
海の中では息もできない。それでも、天はなけなしの酸素を吐いて海座頭の名を呼んだ。海座頭は答えなかったが、近くに存在を感じる。
「最期に教えてや。アンタの望みはなんやったんや」
【ここにいたい】
【忘れてられて、消えてしまうことが怖い】
【そのためなら、なんだってする】
海座頭は答えないが、かわりに生霊が答えをくれる。
海座頭はわざわざ異人船を選んだ。それは人の多い賑やかな声に惹かれたのだろう。より多くの人に、自分という存在を知ってほしかった。そうしなければ、消えてしまうから。
「アンタの名前は?」
「澪玄」
「覚えたで」
天は両手を広げ、澪玄を待つ。口数の少ない彼はしばし逡巡したのち、そっと天の元に現れた。
近づいた体をぎゅうと抱きしめて、その冷たさを実感する。鱗のついた肌、たなびく長い髪、それらを肌で感じながら、まるで一つになるかのように強く抱きしめた。
「……ごぼっ……」
だがそこまでだった。
もう息は続かず、天の視界が真っ黒に染まる。これが最期か、それならば、最期に彼の魂だけでも助けてやりたかった。天は遠のく意識でそう思ったが、思考すらも霞んでいく。生霊がくすくすと笑う声が聞こえた。
「口を、開けよ」
その時、澪玄がつぶやいた。
言われるがまま口を開くと、澪玄の唇が天の唇と重なる。すると熱い舌と共に肺まで空気が入ってくる。息を分けてくれているのだ。天は縋り付くように澪玄の口に口を重ね、空気を分けてもらう。
「問おう。おぬしの名は?」
「……答えは、店で教えたる」
「あい、わかった」
澪玄はくすりと笑う。意外とかわいらしく笑うものだ、と天が思うやいなや、ぐいと体を海面に持ち上げられる。
「がはっ! ごほっ……!!!」
気づいたときには、甲板の上に戻されていた。
「天!」
「おいおい、帰ってくるのかよ」
甲板では天の様子を心配していた禁が泣きそうな声で天の名を叫ぶ。
山王丸もまさか天が戻ってくるとは思わなかったのか、驚いた声を上げていた。
「海座頭!!!」
怒り狂った禁の周りで、焔がはぜる音がする。
「禁さん。やめて」
だが天はそれを制して、ふらつく足で立ち上がり、澪玄に向き合った。
「私が望むのは、孤独を癒すこと。自分のも、アンタらのも」
「あい、わかった」
そして再び答えを告げる。今度は、澪玄はこくりと頷いてくれた。
「だから、アンタも夜が怖くなったら【華屋】においで」
そういいながら髪飾りにしていた鈴蘭を澪玄の手に乗せる。
澪玄は目が見えないが、香りと感触でそれが花だとわかると大事に掌に包み込んだ。
「私の名前は天。【華屋】でお待ちしております」
「わかった」
澪玄はにこりと笑うと、再び海の上を歩いて去っていった。
【ああ、つまらない】
【天、死んでしまえばよかったのに】
嵐は去ったが、生霊はとりついたままだ。
だが天はしぃっとその生霊を黙らせると、静かに澪玄の背を見送った。
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