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明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


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3「幽世の店」

「はは、我を招き入れたのは退魔師か。世も末だな」


 鬼・(いさめ)は天を一瞥すると、からんからんと下駄の音を立てて雨の中を進む。

 雨が彼を避けるように軌道を変えるせいで、禁は豪雨の中でも一滴も水を被らない。

 

 現世の全てに拒絶される、それが妖の定め――


「なんだあ、この男!?」

「天! てめえ組長がいながら愛人囲ってやがったのか!」


 天に追いついたごろつきたちがめいめいに騒ぎ立てる。それは耳を塞ぎたくなるようなひどい罵倒。

 だが天は白けた顔をしたまま、眉一つ動かさなかった。その態度こそが、天が今まで何度も同じ言葉を浴びせられてきたのだと教えてくれる。


「五月蠅いな」

 

 禁がぽつりとつぶやいた声はごろつきたちにもよく聞こえたらしい。彼らは怒りに顔面を赤くすると、怒りのままにまた銃の雨を浴びせた。

 先ほどとは違う、大人数による銃撃の嵐。

 だが鉛玉は禁に届く前に焔によって溶け、ドロリと地面を穢す。禁はあえてひとつの鉛玉を溶かさずに、飴でも掴むかのようにひょいとつまむと、しげしげと眺めた。


「これはてつはうか。こんなに小さくなるとは驚いた」


(てつはうて……いつの時代のモンや)


 あまりに時代錯誤な感想に、思わず天は心の中で突っ込んでしまう。

 思えば鬼など見るのはいつぶりだろう。退魔師であった短い時代の記憶の中では、相手をするのは低級の妖ばかりだった。

 鬼のような上位の妖など、お伽噺でしか聞いたことがない。

 

「面白いものを見せてくれた。では、続きをしかと楽しむとよい」


 だが、鬼に心がないという話は本当の様だ。

 禁はからからと笑うとごろつきに道を譲る。

 この鬼は目の前で妊婦が殺されかけているというのに、意に介すこともなく殺してしまえとのたまっている。


「な、なんだ……味方じゃねえのかよ」

「せや! アンタ何しに来たんや!」 

 

 間抜けな声を出したのは天とごろつきたち人間だ。


「何故? 我は鬼、こ奴は退魔師。不倶戴天の仇敵を助ける理由などありはせぬ」

 

 この状況、何者であろうとも味方するのは弱った妊婦だろうと人の尺度で考えていた。だが、そんな人の道は妖には通じない。


「バケモンが……」

 

 それは誰の口から放たれた言葉だったのだろう。

 残酷な言葉に天だけではなくごろつきまでもが冷や汗を流す。人が恐れるほど妖は力を増すと知っていながら、恐怖を止めることができなかった。

 

「ま、まあいい……。鬼サンが邪魔しねえってんなら、俺らはやることをやるだけだ」


 先に人の道を外れたのはごろつき共だった。

 キン、と音を鳴らして膝をつく天の背中に刀を添える。慌てて天も刀を構えようとするが、蹴り飛ばされて仰向けに寝かされてしまう。

 子のいる腹が空に晒される。大雨をこぼす真っ黒な空。それが天の見る最後の光景だった。


「呪ってやる。人も鬼も、我ら母子(おやこ)は決して許さぬ」

「子……?」 

 

 許さぬ、許さぬ、許さぬ。振り下ろされる銀の刃を眺めながら、天は悔しさのあまりに血の涙を流して呪い続けた。

 

 その願いは、鬼に届いた。

 

 キィン、と涼やかな音と共に振り下ろされた刀が真っ二つに割れる。少し間をおいて弾き飛ばされた切っ先がトスンと音を立てて地面に刺さった。


「なっ……」 

「おぬし、子がおるのか。そうか、その腹……孕んでおるのか」

 

 ごろつきの間抜けな声は嬉々とした禁の声にかき消される。矢継ぎ早に放たれる質問に、間抜けに空を向いて倒れる天はすぐに答えることはできなかった。


「妊婦がなぜ追われている?」


 黒い雨を遮るように、空と天の間に禁が入る。禁は大切そうに天を抱えると、慈愛に満ちた表情で天の顔を覗き込む。

 

「……極道の組長のお手付き喰らってもうて。奥様がおかんむりや」


 不思議と怖くはなかった。

 天が怖れを無くせば、鬼の力もやや弱まる。近寄りがたい火の瘴気が消え、かぐわしい花の匂いが鼻をかすめる。

 

「莫迦な奥方だ。退魔師の子供を殺すなど。妖に人を差し出しているのと同意であろう」

「退魔師にはもうそんな価値あらへんよ」

「はは。妖もそうだ」


 禁はまるで友人のように朗らかに話す。笑うたびに長い睫毛が揺れ、火のような瞳と目が合った。

 

「この女、鬼の禁が預かった。奥方には幽世に言ったと伝えるとよい」

「かくりよ……なんだそれ」

「ははは。人の子はそんなことも忘れてしまったのか」


 禁はからからと笑うとあたりを炎で包む。ごろつきが「あっ」と言う間もなく、その場から姿が消える。

 煌々と輝いていた華屋の灯りも、夜の闇と同じ色に変わって街に溶け込んだ。


 しかし、天の目には虹色の光が見える。


 禁に抱かれたままの天の目に広がるのは、紫、緋、桜、藍、金……妖の呼吸が染み込んだ色。

 瓦屋根は深紅に近い黒。軒下には灯籠がぼうっと桃色の光を灯して浮かぶ。

 硝子張りの扉は薄氷を溶かすように透き通り、扉の向こう側に広がるのは花畑のような光。


「ここは幽世の華屋。人の子は死なねば渡ってこれん」

「華屋……遊郭か……」

「まだ開店はしておらん。肝心の遊女がおらぬのでな」

 

 「お主に頼みたいのはそれだ」禁の言葉に、天はびくりと体をはねさせた。

 

「何を……言うとんの……」

「わからぬか」


 禁は唇が触れそうなほどに顔を近づけると、祝福を授けるかのような甘い声で囁いた。


「お主には妖を相手する遊女になってほしい」

「誰がそんなっ――ぐっ」

 

 ぼたりぼたり、大量の水が股からこぼれる。破水だ。禁は着物が濡れることなど気にもせず、そっと布団の上に天を寝かせた。


「時代の変化と共に、我ら妖は姿を消しつつある。種の存続のため人との子を作りたいが、我らは何も知らぬ。母となるお主に、人との交わりを教えてやって欲しいのだ」

「ぐっ……ああ……」


 天には言い返す言葉もない。腹が、腰が、股が、すべてが痛んで気が遠くなる。


「そうすれば。母子ともにこの華屋で永遠に匿ってやろう」


 その言葉を、天は遠のく意識で聞いていた。

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