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明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


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26「丸呑み」

「昼食でございます。本日は漁港に行ってまいりましたので、魚が多めとなっております」


 (やまいぬ)はそう言うと、よどみない手つきで膳を置いていく。天も寝ぼけ眼で布団をわきに寄せ、膳の前に正座した。

 うたた寝をしている間にもう昼になっていたらしい。 

 窓からさす光は強く、雲一つない快晴であることが障子を開くまでもなく分かった。


「そういえば、会うのは初めてやね」

「そうですね。配膳はイツ禍様にまかせっきりでしたから」

「天といいます。よろしゅうね」

 

 犲の料理はこれまで毎日食べてきたが、天が顔を合わせるのは初めてだった。食事係に犲という存在がいるとは知っていたが、勝手にイツ禍のような線の細い男性か、女性だとばかり思っていた。

 だが犲は筋肉のついた若い美男子で、溌剌という言葉が似合うほど生命力に満ちている。

 妖の年齢は外見ではわからないが、生き生きとした魂の輝きが見えることから、成熟したイツ禍より若く、幼い禁より年上といったところだろうか。


「鰤の照り焼き柚子の香り添え、魚のあら汁、菜の花のお浸し、焼き椎茸の胡麻和えなどご用意しております」

 

 だが天のあいさつに犲は答えない。

 ツンと澄ましたまま食事の内容を説明する態度から、必要以上に仲良くする気は無いようだ。

 妖の中でも上位に位置する天狗の一派が何故鬼の元にいて、食事係に従事しているのか、聞きたいことは山ほどあったが取り付く島もない。


(そりゃあそうやなあ。退魔師に愛想いい、禁さんらがおかしかったんや)


 天が人間、しかも妖殺しを生業とする退魔師とあれば冷たい態度なのも当然だろう。天は少し寂しい気持ちになったが、犲の意を汲んでそれ以上の詮索はしなかった。

 

「いつもおいしいご飯をありがとうね」

「仕事ですから」


 犲の態度はどうあれ、彼の作る料理は絶品だ。

 焼きたての椎茸からじゅわりと染み出るうま味、出汁がよく出たあら汁、何もかもが疲れた体に心地よくしみる。

 もともとよく食べるほうだったこともあり、天の箸はよく進む。つやつやとした白米を贅沢に盛った椀をぺろりと平らげ、次の皿に進もうとした時、ぴたりと手が止まった。

 

「これは……」

「さくらえびのあんかけです」


 優しい白だしのとろみあんにさくらえびがふわっと浮いてる小皿を見て、天は困ったように目を逸らす。


「えびはお嫌いですか?」

「味は大好きやで。でも、目が苦手やねん。どうも目が合う感じがして……」


 天は魚の目が苦手だった。ぎょろりとこちらを向く目が、恨めし気にこちらを見ているようで落ち着かない。


「失礼しました。お下げしますね」


 犲が気を効かせて皿に手を伸ばすが、せっかく作ってくれたものを無下にするわけにはいかない。

 天はその手を止めて、皿を手に取る。小さなえびたちと目が合うように錯覚する。一匹一匹が、なぜ殺したのかと恨み言をつぶやいているかのようだ。


 「ええよ、味は大好きなんや」


 天はえびを見ないよう、ぐっと目をつむって、ぺろりと丸呑みにした。

 

 ◇ ◇ ◇


「天が起きたとき一人では寂しかろう。だが合わせる顔がなくて……ああ、我はなんて狭量な主なんだ」

「あう」

 

 天が苦手を克服しているとき、禁は中庭でうじうじと桃に言い訳をしていた。

 母親の天と同じように、桃もまた食事の時間だ。西洋の哺乳瓶に代乳を入れて口に添えると、桃は嬉しそうにそれに食いついた。


「妖に性を教えるよう頼んだのは我なのに、天の状況も理解しておるのに、何故かそのことを哀しく思う自分がいる。天には我だけ見ていてほしいと思う時がある」

「あうあー」


 つっぱつっぱ、と音を立てながら桃は美味しそうに代乳を吸う。時折哺乳瓶から口を離すと、禁に返事をするかのようにあうあうと口を開いた。


「わかってくれるか桃? お主も我の子になってくれるか?」

「いー」


 桃はぷはっと哺乳瓶から口を離し、乳のしずくを顎に垂らしながら、いやいやをする。

 

「嫌か。それはそうだ。お主には本当の父がおるものなあ」 

「いつまで赤子と話しているおつもりですか」

  

 赤ん坊ととりとめのない会話をしている主を見て、隣に控えていたイツ禍が呆れたように諫める。

 

「あれはもともと他人の女です。入れ込んではいけませんよ」

「だが、今は我の下で働いてくれている」

「雇用関係にあるものに懸想してはいけません。相手は断れぬ立場でしょう」

「うう……そうなのだが」

 

 天と過ごすうち、禁の中には知らない感情が芽生えだしていた。

 天を独占したい、天の隣にいたい、天を誰にも触れさせたくない。稚菜から彼女をかばった時から、より強く思うようになった。

 だが天は禁がそう頼んだように、その身を使って妖に手ほどきをして、夜を別の者と過ごす。

 自分が頼んだ手前やめてくれなどとはとても言えず、禁はこうしてうだうだと悩むことしかできないのだった。

 

「あなたには人に恋をしている暇などございませんよ」

「こ、恋ではない……! たぶん……そういうものでは……」

「もういいですから」


 まだもごもごと口ごもる禁に、イツ禍は大きなため息を返す。

 夏の日の海のような涼やかな水色の髪がさらりと流れ、細い指でその髪をすくう。その様は禁でも息をのむほど美しく、そしてどこか恐ろしさを感じさせた。


「妖はすでに消えつつある。生き残りはそれぞれに徒党を組み、種の存続のため動いております。旦那様のように人と寄り添う穏健派もいれば、人を襲って存在を知らしめんとする過激派もいる」

「そうだな。そうだ……」


 まじめな話になると、禁の顔にも精悍さが戻る。鋭い相貌はそれまで赤子に泣き言を漏らしていた男と同じ人物だとは思えない。

 鬼の主に相応しい、血のような真っ赤な瞳がぎょろりと動き、手元の桃が恐れおののいて息を止める。

 

「我ら妖の勢力争いは、すでに始まっている」

お読みいただきありがとうございます!

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