24「鬼の嫉妬」
また、朝が来た。
朝焼けが夜の名残をひと匙ずつ溶かすように、東の空を朱に染めていく。
「お、覚えておれよ天め! 次は決してお主に絆されん!」
そんな感傷に浸っていた天に、稚菜の悔しそうな声が届く。
共に一夜を明かした稚菜を見送るため、天は薄羽織を羽織って門まで出向く。
冬の朝の刺すような寒さの中に、太陽のぬくもりが少しだけ感じられた。
「あら、また来てくれはるの」
「気が向いたら来てやる!」
心の靄が晴れたのか、稚菜は悪態を突きながらも態度を少し軟化させていた。
天はちゃっかり次の約束を取り付けつつ、稚菜の手を繋いで少し別れを惜しむ。
「早う来てね。寂しいわあ」
「やめろやめろ! 心にもないことを言うな!」
稚菜は照れながら大声を出すも、天の手は離さない。
天の小さな手を握りながら別れを惜しんでいたが、そろそろ離れねば、と決心してやっと手を離した。
「貴様らも風呂屋に来い! 茶くらい出してやる!」
「そりゃあもちろん――」
「通いますよ」と言おうとしたとき、天の体がふわりと宙に浮く。
後ろから禁が天を抱え、今にもこのまま連れ去らんとしていた。
「お客様の前で何やの、みっともない」
「もう帰るからいいだろう。風呂屋には、我と天と桃の三人で行くぞ」
「ちょっ、何を勝手に決めとんねん」
拗ねる禁を諫める天を見て、稚菜は静かに呆れたように笑う。
「安心せよ。鬼の女に入れ込もうなどとは思っておらん」
「別に心配などしておらん!」
「だれが鬼の女や!」
天と禁の声が重なる。天は禁の手から無理やり離れると、今更しゃなりと艶やかな女を取り繕って稚菜の胸元にしなだれかかる。
「大旦那様は嫉妬深くて怖いわあ。稚菜はん、助けにきてなあ」
「やめろやめろ。拙者を巻き込むな」
少し離れたところでむっとしている禁の目線から逃れるように、稚菜は天を遠ざける。
そしてこほんと咳ばらいをすると、静かに耳打ちした。
「鬼の嫉妬には気をつけろ」
それは今までの戯れとは違う、少しの恐れが混じった真剣な声だった。
「それはどういう……」
「拙者はもう行く」
それだけ告げると、稚菜は明るい顔でその場を去った。
「また会おう」
爽やかな声と共に、彼は陽射しの元へと帰っていく。
◇ ◇ ◇
「なにかあやつに妙なことはされていないだろうな、天」
「まだ稚菜はんに怒ってるん? まるで子供やね」
自室に戻った後も禁はぐちぐちと文句を言うものだから、天は呆れながら叱る。
叱るといっても小さな声だ。火鉢を焚いて温めた部屋と暖められた布団の上にごろりと横たわり、うじうじとした禁の声を聴きながら微睡んでいる。
「我はあいつを客とは認めていない。天に無礼を働いたではないか」
「あら、床ではええ客やったで。かわいらしくて――」
「聞きたくない!」
夜を徹しての接客で、天はまともに寝ていない。うとうと微睡みながら適当に禁をいなしていると、まともに相手をされていないと分かった禁は拗ねたように体をつつく。まるで子供のような態度に天は笑いながら、うつ伏せになって禁に背中を見せた。
「つつくついでに腰揉んでや」
「むう」
大旦那相手に無礼な態度だが、当の禁はまったく気にしていないようだ。
禁は言われた通り、大きな手で腰を包みながらぎゅっぎゅっと圧をかけて押していく。
人である天の体を壊さぬよう強すぎず、しかし凝りに効くよう弱すぎず、禁は慎重に天の背を押す。押すたびに天から「はあ」と小さな息が漏れるので、天が心地良いと感じていることがわかる。
「――すまぬ。感謝はしているんだ。稚菜は表情が明るくなり、もう人を罵ることもしないだろう」
天の背中を押しながら、禁はぽつりとつぶやいた。
「それもこれもお主が心を通じてくれたおかげだ。性を教え、夜を超えてくれたおかげ。だがそれが少し悔しくて。……自分で頼んでおきながら、我は自分が何を思っているのか」
「すう、すう――」
だが、禁の反省の弁は天には届かない。暖かい部屋と心地よい按摩によって眠りへ誘われた天は、禁の言葉に寝息で返事をする。
「すまぬ、今はただ休め」
すやすやと眠る天を見て、禁は静かにほほ笑んだ。深き眠りにつけるよう、天の体を仰向けにしてそっと布団をかけてやる。
「おやすみ、天」
ぽん、ぽん。と布団越しに天をさすり、禁は優しくつぶやいた。
「誉」
だが、天が返した言葉は寝息でもなく、禁の名前でもない。
かつて天を囲っていた男、忌まわしいその名。だが天は優しい夢の中で彼の名を愛おしそうに呟いた。
「……なんだと?」
その声を聞いた禁の顔は、誰にも見られていない。
まさに鬼の形相。嫉妬にまみれた悍ましい男がそこにいる。
【鬼の嫉妬に気をつけろ】
その言葉の真の意味を天が知るのは、もうしばし先のこととなる。
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