表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/27

22「イチイ:慰め」

「では、お手並み拝見していただきましょう」


 天はそう言うと稚菜の前に膝をつき、腕を取る。

 柔らかい布で花椿が刻まれた丸い石鹸を揉みこみ、静かに泡を立てる。


「良い匂いだ」


 風呂場の温かさと花の香りにまどろんで、稚菜の警戒心がほぐれる。

 天は静かに笑うと、泡の付いた布を稚菜の腕にこすりつけながら穏やかに話した。

 

「でしょう? 国産の花椿石鹸。兄さんとすごす今日のために買うたんですよ」

「採算が合わぬだろう」

「ここは教育場ですんで、採算度外視――ふふっ、風呂場で言うことやありまへんな」 

 

 天はそう言いながら稚菜の腕をこすり、前を清める。下半身には触らない。まずは稚菜の緊張をほぐさなければ、性の手ほどきはできない。


「あら、凝ってはる」

 

 稚菜のがちがちに凝り固まった肩に触れると、天は静かに笑った。

 堅い筋肉に親指を当て、肩の内側に潜るようにゆっくりと指を静める。ぐっと押して、少し留めて、じわ……っと円を描く。


 稚菜の肩が小さく震える。

 その震えを、逃がさないように包み込んで、天はさらに手を深く入れる。凝りそのものの芯を探し当てるような動きに、稚菜は痛さと気持ちよさが同居して謎の奇声を上げる。


「うぐー! 気持ちよくない! 気持ちよくない!」

「かたすぎて、石やと思いましたわ」

「拙者は凝ってない! こんなのよくない!」

「素直になりゃあええのに」


 口では抵抗する稚菜だが、天の手が離れぬよう、無意識に背を預けていた。

 ごりっ、と小さな音がした。そこを天は逃さず、ねっとりと揉み解す。ひとまわり、ふたまわり。

 すると、肩が、ふっと沈んだ。稚菜の息も、知らぬ間に長く抜けていた。

 さっきまで固かった肌が、じんわりと柔らかくなっていく。


 稚菜の緊張はだいぶほぐれ、天に心を赦しつつある。

 

 それを見て、天は稚菜の背中にぴとりと胸を押し当てる。


「な、何をする!?」

「体を清めます。次は、お背中」


 天は紗襦袢に軽く石鹸をこすりつけると、そのまま体をすり合わせるように稚菜の背中を清める。

 軽く動く度、天の火照ったからだが稚菜の冷たい体を温めていく。

 泡のおかげで滑る肌同士を密着させると、稚菜の体がだんだんと熱くなっていく。 

 

「湯女の真似事をするな! 穢い……!」

「何をおっしゃる。体は綺麗になってはりますよ」


 天の心臓の音が、稚菜の背中越しに聞こえてくる。早鐘を打つような鼓動に、天も緊張と興奮をしていることが伝わった。


「無理をするなっ! 貴様は素人だろう」

「あら、これでも一人客をとってますよ」

「素人同然だ!」


 雑念を振り払うように首を振る稚菜だが、神経は背中に集中する。天が動く度やわらかい体が背中を這い、時折突起が背をこする。生々しい感触が、稚菜の興奮を促す。


「穢い、穢い――!!」


 だが、稚菜はその興奮に身を委ねることはできなかった。

 ぎゅっと目を瞑って心を落ち着かせる。


 暗闇の中で思い起こすのは彼が生まれた日、江戸初期の風呂場。


 ◇ ◇ ◇


「きゃああ! 垢嘗めが出た!」


 客取りの風呂屋で、湯女の叫び声と共に、垢嘗めは生まれた。

 陰でしかなかった”それ”は垢嘗めとしての形を帯び、人々が想う形と成って、風呂場の垢を嘗める妖怪と化した。

 

「あら、今日は風呂場が綺麗」

「垢嘗めでも出たんじゃない?」


「こら! 子供があの風呂屋には行けないよ!」

「なんでさ! おねえはここで働いてるのに」

「垢嘗めが出るよ!」

 

 人を襲わぬ垢嘗めは、出会いたくないが恐れられてもいない。

 たまに風呂場が綺麗だと、きっと垢嘗めが出たんだ、と。

 子供が風呂屋に興味を持つと、垢嘗めが出るからおよしなさい、と。

 人のいいようにその名を使われてきた。

 

 だが、それが垢嘗めには心地よかった。

 人と妖。決して共存できぬ関係であるというのに、垢嘗めの存在は人に認められていた。

 穢れを嘗める気持ち悪い妖怪、それでいい。

 そうやって思ってくれているだけで、垢嘗めは形を保てるし、何より人と共に居られる。

 この風呂場が好きだった。客も湯女も三助も、みな楽しそうに働いている。


 これからもずっとそうなのだと思っていた。


 あの娘を見るまでは――

 

「ああ……ああ……」


 とある深夜、しくしくと風呂場の隅で泣く女を見た。


「稚菜! いつまでも泣いてたってしょうがないだろう」

「湯女の仕事なんて、みんな訳アリでやってるんだ。アンタも慣れちまいな」


 周りの女がその娘をなだめているが、娘は体をぎゅっと縮こませて、やはりしくしくと泣くだけだった。


「あたし、穢れちまった」


「風呂屋ってのは、あたしらにとっちゃ穢れる場所だよ」

「さっさと股あらって寝ちまいな。体が冷えるよ」

 

 女たちはぶっきらぼうだが優しさがある。呆れたようにそう言うと、泣く娘に布を被せてひとりにしてやった。

 ひとりになっても娘はぐずぐずと泣いていて、垢嘗めが垢を嘗める暇もない。

 呆れた垢嘗めはこっそりと背後に忍び寄り、稚菜の”穢れ”を嘗めてやった。


「ぎゃああ! 垢嘗め!!」


 娘は礼のひとつも言わず、ごつん! と垢嘗めを風呂桶でぶん殴ってその場を去る。

 己の体が清らかさを再び得たことも、それが垢嘗めのおかげだとも知らず、走り去る娘を見て、垢嘗めはほんの少しだけ満足感があった。


「この風呂場は拙者の家だ。穢い場所であるはずがない」


 あの娘もきっとそう思ってくれるだろう。

 だが、その期待はあっけなく砕かれた。

 

「垢嘗めさま、垢嘗めさま。また清めてくださいまし」


 あの娘は再び穢れ、悲しい笑顔で垢嘗めを求めるようになっていった――

お読みいただきありがとうございます!

反応、コメント、ブクマ励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ