22「イチイ:慰め」
「では、お手並み拝見していただきましょう」
天はそう言うと稚菜の前に膝をつき、腕を取る。
柔らかい布で花椿が刻まれた丸い石鹸を揉みこみ、静かに泡を立てる。
「良い匂いだ」
風呂場の温かさと花の香りにまどろんで、稚菜の警戒心がほぐれる。
天は静かに笑うと、泡の付いた布を稚菜の腕にこすりつけながら穏やかに話した。
「でしょう? 国産の花椿石鹸。兄さんとすごす今日のために買うたんですよ」
「採算が合わぬだろう」
「ここは教育場ですんで、採算度外視――ふふっ、風呂場で言うことやありまへんな」
天はそう言いながら稚菜の腕をこすり、前を清める。下半身には触らない。まずは稚菜の緊張をほぐさなければ、性の手ほどきはできない。
「あら、凝ってはる」
稚菜のがちがちに凝り固まった肩に触れると、天は静かに笑った。
堅い筋肉に親指を当て、肩の内側に潜るようにゆっくりと指を静める。ぐっと押して、少し留めて、じわ……っと円を描く。
稚菜の肩が小さく震える。
その震えを、逃がさないように包み込んで、天はさらに手を深く入れる。凝りそのものの芯を探し当てるような動きに、稚菜は痛さと気持ちよさが同居して謎の奇声を上げる。
「うぐー! 気持ちよくない! 気持ちよくない!」
「かたすぎて、石やと思いましたわ」
「拙者は凝ってない! こんなのよくない!」
「素直になりゃあええのに」
口では抵抗する稚菜だが、天の手が離れぬよう、無意識に背を預けていた。
ごりっ、と小さな音がした。そこを天は逃さず、ねっとりと揉み解す。ひとまわり、ふたまわり。
すると、肩が、ふっと沈んだ。稚菜の息も、知らぬ間に長く抜けていた。
さっきまで固かった肌が、じんわりと柔らかくなっていく。
稚菜の緊張はだいぶほぐれ、天に心を赦しつつある。
それを見て、天は稚菜の背中にぴとりと胸を押し当てる。
「な、何をする!?」
「体を清めます。次は、お背中」
天は紗襦袢に軽く石鹸をこすりつけると、そのまま体をすり合わせるように稚菜の背中を清める。
軽く動く度、天の火照ったからだが稚菜の冷たい体を温めていく。
泡のおかげで滑る肌同士を密着させると、稚菜の体がだんだんと熱くなっていく。
「湯女の真似事をするな! 穢い……!」
「何をおっしゃる。体は綺麗になってはりますよ」
天の心臓の音が、稚菜の背中越しに聞こえてくる。早鐘を打つような鼓動に、天も緊張と興奮をしていることが伝わった。
「無理をするなっ! 貴様は素人だろう」
「あら、これでも一人客をとってますよ」
「素人同然だ!」
雑念を振り払うように首を振る稚菜だが、神経は背中に集中する。天が動く度やわらかい体が背中を這い、時折突起が背をこする。生々しい感触が、稚菜の興奮を促す。
「穢い、穢い――!!」
だが、稚菜はその興奮に身を委ねることはできなかった。
ぎゅっと目を瞑って心を落ち着かせる。
暗闇の中で思い起こすのは彼が生まれた日、江戸初期の風呂場。
◇ ◇ ◇
「きゃああ! 垢嘗めが出た!」
客取りの風呂屋で、湯女の叫び声と共に、垢嘗めは生まれた。
陰でしかなかった”それ”は垢嘗めとしての形を帯び、人々が想う形と成って、風呂場の垢を嘗める妖怪と化した。
「あら、今日は風呂場が綺麗」
「垢嘗めでも出たんじゃない?」
「こら! 子供があの風呂屋には行けないよ!」
「なんでさ! おねえはここで働いてるのに」
「垢嘗めが出るよ!」
人を襲わぬ垢嘗めは、出会いたくないが恐れられてもいない。
たまに風呂場が綺麗だと、きっと垢嘗めが出たんだ、と。
子供が風呂屋に興味を持つと、垢嘗めが出るからおよしなさい、と。
人のいいようにその名を使われてきた。
だが、それが垢嘗めには心地よかった。
人と妖。決して共存できぬ関係であるというのに、垢嘗めの存在は人に認められていた。
穢れを嘗める気持ち悪い妖怪、それでいい。
そうやって思ってくれているだけで、垢嘗めは形を保てるし、何より人と共に居られる。
この風呂場が好きだった。客も湯女も三助も、みな楽しそうに働いている。
これからもずっとそうなのだと思っていた。
あの娘を見るまでは――
「ああ……ああ……」
とある深夜、しくしくと風呂場の隅で泣く女を見た。
「稚菜! いつまでも泣いてたってしょうがないだろう」
「湯女の仕事なんて、みんな訳アリでやってるんだ。アンタも慣れちまいな」
周りの女がその娘をなだめているが、娘は体をぎゅっと縮こませて、やはりしくしくと泣くだけだった。
「あたし、穢れちまった」
「風呂屋ってのは、あたしらにとっちゃ穢れる場所だよ」
「さっさと股あらって寝ちまいな。体が冷えるよ」
女たちはぶっきらぼうだが優しさがある。呆れたようにそう言うと、泣く娘に布を被せてひとりにしてやった。
ひとりになっても娘はぐずぐずと泣いていて、垢嘗めが垢を嘗める暇もない。
呆れた垢嘗めはこっそりと背後に忍び寄り、稚菜の”穢れ”を嘗めてやった。
「ぎゃああ! 垢嘗め!!」
娘は礼のひとつも言わず、ごつん! と垢嘗めを風呂桶でぶん殴ってその場を去る。
己の体が清らかさを再び得たことも、それが垢嘗めのおかげだとも知らず、走り去る娘を見て、垢嘗めはほんの少しだけ満足感があった。
「この風呂場は拙者の家だ。穢い場所であるはずがない」
あの娘もきっとそう思ってくれるだろう。
だが、その期待はあっけなく砕かれた。
「垢嘗めさま、垢嘗めさま。また清めてくださいまし」
あの娘は再び穢れ、悲しい笑顔で垢嘗めを求めるようになっていった――
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