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明治あやかし遊郭~ジンガイ・セツクス・エデユケエシヨン~  作者: 百合川八千花


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21「お作法」

 夜が来た。


 行灯の灯りは低く、畳の上に淡い影を落としていた。

 垢嘗めの稚菜は一人、控えの座敷に通されている。


「春を売る店など、なんと穢い、穢い……」


 ぶつぶつとつぶやく声は闇に溶け、行灯の暖かい光だけがゆらゆらと揺らいでまるで返事をしているようだった。

 ほどなくして、障子がすっと開いた。


 現れたのは涼やかな水色の髪を結った男だった。着物の裾から覗く足にはうっすらと鱗が見える。

 だが稚菜は視線を落としたまま、何も言わない。人魚は珍しいが、鱗の生えた妖など、この幽世ではうじゃうじゃいる。

 美醜で物を言うほど稚菜は愚かではなかった。


「お待たせいたしました」


 声は穏やかで、感情を含まない。春を売るのに媚びない姿勢に、稚菜はほうと呟いた。


「本日は、どのような御用向きで」

「御用向きもなにも、貴様らの遊女から誘われたのだ」

「御使命は天ですね」

「そういうことだ。江戸時代でもないのに、ややこしい手続きだな」

「華屋の格、見ていただきたく」


 イツ禍は取り繕った笑顔で笑うと、「お通しできます」と言って障子を開ける。

 その向こうには、さらに奥へ続く廊下があった。


 稚菜は、深く息を吸い、立ち上がる。

 この一歩を踏み出した時点で、もう後戻りはできない。


 華屋の夜が、ここから始まる。


 ◇ ◇ ◇


 時は垢嘗めが来る前に戻る。

 イツ禍に髪結いをしてもらいながら、二人はこれからの作戦を立てていた。

 

「今回の作戦は?」

「王道や。遊郭の作法を一から見せつけたるんや」

「しかし、それは相手が嫌がるのでは」


 髪を日本髪に仕立てながら、天はくすりと笑った。


「性は穢れ。やけど作法もある。その作法が遊郭の格を上げていることを教えたる」

「では、遊郭の作法から教えていきますね――あなたに」


 そう、天自身も遊郭の作法など知らないのだ。

 何もかもイツ禍任せな戦略に、イツ禍は呆れながらも、たった一人の遊女の意気込みをむげにはしなかった。 

 

【まずは「顔見せ」】

 

 音を立てぬよう障子を引き、天は正座のまま静かに座敷へ入る。

 深紅に近い地色の着物。帯をきっちりと結び、まだ艶やかさは演出しない。

 

【これは文字通りの顔見せです。まだ色の雰囲気を出さず、厳かに。でも期待はさせるように】


 稚菜は畳の上に落とした視線を上げ、天を見た。

 障子が開けられたことにより空気が流れ、ふたりの間にふわりと香の匂いが香った。


「華屋の天にございます」


 それを合図に天は挨拶をする。色の雰囲気を出しすぎぬよう、声は低く、ゆっくり。

 笑みは浮かべるが、媚びはしない。


「本日は、ようこそお越しくださいました」


 天は稚菜より一段下がった位置に座り、手を重ねる。

 すぐには目を合わせない。

 稚菜の視線が、天の髪、襟元、指先へと落ち着かずにさまようのを、天は気づかぬふりで受け流した。


【そして、相手をじっくりと観察します。何を好むのか、今日の気分は、それを見極める顔見せです】

 

「……ふん、随分様になっているではないか」


 稚菜の声はどこか天の気持ちを探るようだった。腹の探り合いはお互い様かと、天はくすりと微笑んで小さく頷く。


「今宵は月の大きな夜。月下に咲く花は、淑やかで大輪の花弁を咲かす――そう想いを込めておもてなしさせていただきます」

「ふ、ふん。散った花が何を言う」

 

 風呂屋であった時とは違う天の雰囲気に、稚菜はしどろもどろになりながらも挑発は忘れない。

 天は否定しない。ただ、盃を取り、稚菜の前に置く。


「そう思われる方も、おりますなあ」


 それだけだ。風呂屋で会った時の強気な女ではないと知ると、稚菜は言葉を失い、盃を見下ろした。


 座敷に短い沈黙が落ちる。その奥で、障子がわずかに鳴った。イツ禍の気配だ。


【余計なことは言わず、目で合図。視線で会話してください】

 

 天はそれに気づき、稚菜を一度だけ見る。問いかけるような、静かな視線。

 稚菜は、息を整え、ゆっくりと頷いた。

 

 はい、あなたを抱きます。


 これは、その合図。

 堕ちかけている。天はその気配を感じつつも、顔に出さぬよう取り繕った笑顔で頷いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「お風呂へどうぞ」


 天は稚菜の手を取って、妖遊郭・華屋の大浴場へ誘った。

 幽世一の大富豪の禁の肝いりの遊郭なだけあって、内装は豪華なものだ。

 床は珍しいタイル張り、壁には薄く桜の絵が描かれていて、蒸気の中にぼんやりと浮かぶ。

 湯に浮かぶのは香の粉、飾り棚にはイチイが堂々と身をつけて居た。

 天も稚菜も一瞬、現世を忘れるほどの幻想的な光景だった。


 客は稚菜一人だけ。湯女もいない風呂場は、垢嘗めの稚菜がこれまで出没したどんな風呂場よりも壮観で、美しかった。


「遊女が私ひとりだけやさかい、一から十まで担当させていただきます」

 

 天は稚菜に向き合うと、前の帯にそっと触らせる。

 脱がせ、とは言わない。

 だが仕草で、表情で、これを稚菜に解けと言うことが伝わる。


【余計なことは言わない、これが遊女の鉄則です】


 イツ禍の言葉を思い出しながら、天は稚菜の手に身を任せる。

 帯が解かれ、襦袢を下ろす。

 しかし裸にはならない。中には湯文字の上に紗の襦袢という上級湯女の装備を着ていた。


「遊女が湯女の真似事か」

「さすが垢嘗めはん。お風呂事情に詳しいこと」


 稚菜は自分が期待していたことに恥じ入りながらも、ぷいとそっぽを向いて台に座る。

 体を洗えと言うことだ。


(ほんまに詳しいな。客としても通っとったんか)

  

 風呂の作法を知っている稚菜に天は内心驚きつつも、決して表情には出さない。

 垢嘗めが最も得意とする風呂場で、天と稚菜の授業は静かに始まった。

お読みいただきありがとうございます!

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