16「桃:天下無双」
「天、よくやったな」
朝が来て、手塚は去って行った。
夜に来店した時よりずっと明るい顔で「ありがとうございます」と頭を下げて去って行く姿を見て、閨の事情を知らぬ禁やイツ禍も成功したとわかったのだろう。
妓楼の庭園で花を眺めていた天の元へ、禁が礼を言いに現れた。
「妓楼に庭なんて、風流やわ。現世じゃ考えられへんな」
「人は本当に不思議だな。女の店に花を置かぬとは」
「そんな余裕はあらへんよ。敷地にも、人にも」
天は赤子を抱えて、ぼんやりと花を見ている。幽世の花は時期を問わず咲き、春夏秋冬の花が美を競う様に花開いていた。色とりどりの花がひしめく様は華麗でありながらどこか窮屈さを感じて、まるで人の世のようだと心の中で笑う。
「客を取った日はどうか寝ておくれ。【ひととせ】のことは気にしなくていい」
「せやね……さすがに産後に客取りははしゃぎすぎたわ。猗はんには申し訳ないけど、今日は休ませてもらう」
「安心せよ。我がお主の分まで働いてくる」
「でしゃばりな大旦那さまやこと」
ふふ、と天と禁は互いに笑いあう。その笑い声で目が覚めたのか、腕の中の赤子がふにゃふにゃとぐずりだした。だが不機嫌ではないらしい。イツ禍に教えられたように優しく揺らすと、むにゃむにゃと口を動かしながら再び眠りに落ちていく。
「あんな産まれ方したのに、大したもんや」
「イツ禍の血の効果もあるだろうが。健康で大変よろしい。立派に育つぞ」
「遊郭で育てて、ナニモンにさせる気や」
「その子が望む様になればいい」
幽世で育った人の子が、果たして何を望むのやら。天は笑いながら中庭へと歩いていく。どうやらここは華だけではなく、木も育てているらしい。はらはらと薄桃色の花弁が空から降ってくる。桜かと思って花弁をひとひら手の上に乗せてみるが、桃のようだった。
(そういえば、朝も桃の枝をもろうたな)
朝に禁から送られた桃の枝は、天の私室に活けられている。殺風景な部屋が桃の花ひとつで明るくなることに、少しばかり驚いたことを思いだした。
「……妖専門の遊女なんて、なんてことを言うんやと思うたけど。繋がり方がわからんで、悩んで泣くのは、妖も人も同じやね」
そよ風と共に柔らかく降り注ぐ花弁の下で、天はぽつりとつぶやいた。
「ありがとう」
そして、天は頭を下げて禁に礼を言った。
「禁はんのおかげであの夜を超えられた。人を、妖を、学んでみたいと思えるようになった」
「よい、よい。頭を上げてくれ」
「妖の遊女、引き受けさせてもらいます」
天からの思わぬ礼の言葉に禁は驚く。あの気丈で、気が強くて、はねっかえりの天が。しおらしく頭を下げるだなどとは思ってもみなかった。
深々と頭を下げる天の肩に触れて、顔を上げてもらう。天の夜のような黒い瞳の中に朝日が差し込んで、きらきらと光っていた。
「本当によいのか? 今すぐでなくともよい。その子が大きくなってからでも」
天の覚悟に尻込みしたのは禁の方だった。性とは体を開かすこと、心を開くこと。今の天には負担が大きいのではないか。だが、天は強い決意で禁の赤色の瞳を見つめ返した。
「今、知りたいんや。この子に心を開けるように」
天は腕の中の赤子を揺らす。まさか幽世にいるとは思ってもいない赤子は、ふにゃふにゃと弱く泣きながら母を求めて手を伸ばしていた。
「私は人になりたい。心ある人になって、この子の親になりたい。そのために、心を開くこの職業、全うさせてもらいたい」
その決意を聞いて、禁も頷いた。今度は禁が頭を下げ。「よろしく頼む」と告げる。2人して頭を下げていることがおかしくて、少し間をおいて二人はくすくすと笑いあった。
赤子もまた「あー、うー」ともぞもぞ動く。まるで天たちと共に笑っているかのようだった。
「その子、名前はないのか?」
「桃……。禁はんがくれた、花の名にする」
「桃、天下無双か。良い名だ」
やはり、幽世の鬼は桃の花ことばをすべては知らないようだった。
(私はあなたのとりこ、でもあるけどな)
果たしてこの思いは子供に届くだろうか。
「誇れるような生まれやあらへん。苦しいことばかりになる。でも、誰にも負けないで欲しい」
「我がさせぬよ。必ず幸せにして見せる」
「私の子に責任負うことなんてあらへんのに」
「今より我らは家族だ」
その言葉がどれほど天を救うかも、幽世の鬼にはまだわかるまい。
天ははらはらと静かに涙を流しながら。「ありがとう」の言葉をどうにか絞り出した。桃も、まるで母の涙を知っているかのように、小さな手を伸ばした。
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