12「手の目」
「辰子はん!」
下りきった坂を再び駆け上がり、天は辰子の家のベルを鳴らす。
だが先ほどチリンと心地よいベルを鳴らしていた金のボタンは、ぱふぱふと乾いた音しか返さない。
「あのお転婆、布挟みよったな!」
天たちが戻ってくると思ったのか、はたまた別の理由か、辰子はベルに布を挟んで音を小さくしているらしい。ドンドンと扉を叩いて辰子に声をかけるが、辰子の反応はない。
「辰子! そいつは妖――」
「五月蠅いわね! 警察を呼ぶわよ!」
しばらく続けていると、辰子の大きな声が返ってくる。警察――、極道の愛人をしていた天にとっては会いたくない存在だ。辰子のためを思って騒いだと言って、彼らが信じてくれるはずもない。
「ぐっ……」
「奉行に話せばよかろう。退魔師と言えば問題ない」
「もう奉行なんてないんよ」
そんなことも知らず、禁は呑気に江戸時代の話をしている。天の祖父母の時代なら退魔師の威光も通じただろうが、今となってはお伽噺に過ぎない。
「あの手の目は別の女性も襲っとる。辰子も狙われとるな」
「家の外から覗いてみるか」
天と禁はこっそり敷地内に忍び込んで窓を覗き込むが、一階には誰もいない。禁が耳を澄ませると静かな空間の中で階段を上る足音だけがひっそりと聞こえてきた。
どうやらあのお転婆娘、お見合いではなく両親不在の間にこっそり恋人を連れ込んでいるだけの様だった。
「人はなぜ、自分が触られて痛い腹を攻撃するのだ……」
「言うとる場合か」
天をあばずれと言えた身か、と禁がしみじみと呟いている間に、天は禁の大きな体を上る。着物の裾を上げて禁の両肩に足を乗せれば、丁度二階の辰子の部屋が覗き込めた。
「はしたないぞ、天」
「しーっ、バレてまう」
禁が呆れたように呟くが、天はそれを制して部屋を覗き込む。真っ白なレースのカーテンがそよぎ、男女の囁くような笑い声が聞こえてきた。
「手塚さん、来てくださって嬉しいわ」
「僕も会えて嬉しいよ」
「他の女性のところへ行ってしまったのかと」
「僕には辰子さんだけさ」
「うげ」と天は顔をしかめる。「俺にはお前だけ」そんな台詞は妻を持つ極道も当たり前のように言っていた。つまり、意味のない言葉だ。だが乙女の辰子にはわからないのだろう。頬を染め、うっとりと手塚の胸元に頬を摺り寄せていた。
手の目は文字通り手に大きな目の付いた妖だ。掌の大きな瞳は人の心を読むとも、人を硬直させるとも言う。
手塚と呼ばれたあの手の目は麗しい身なりをした男性の形をしている。辰子のようなおぼこな娘がそれを喰らえば、恋のときめきと勘違いする可能性も大いにあるだろう。
だが、最も恐ろしいのはその後。
手の目は気に入った人の骨を抜き取ってしまう。文字通り骨抜きにされてしまえば、うら若き乙女はそのまま花と散るだろう。
「いよいよとなれば討ち払うで、やいやい言いなや。鬼サン」
「人を襲う妖は滅ぶが定め……だが、助けてやれるなら助けてやりたい」
「なんや肩もつんか、あいつは悪モンやで」
「しかしお主も、お主を悪し様に言う辰子を助けようとしている」
「それと同じだ」と禁は寂しそうに言う。
(そういえば、私はなんでこんな必死に……)
辰子とは親戚だが、遠い昔に会ったきりで親しい仲ではない。それどころか久々の再会は罵倒と共に花を投げつけられた。助ける義理などどこにもない。
それなのに、何故――
「きゃああ!!」
そんなことを考えていると、辰子の悲鳴が聞こえた。”いよいよ”が来てしまったのかもしれない。
「目が……手に目があるわ!!」
「ああ、どうか驚かないで辰子さん。僕は手の目だ。あなたの全てが見たいんだ」
「化物!!」
「どうしてそんなひどいことを言うんだ! 僕はあなたが欲しいだけなのに!」
がしゃんがしゃん、と物が投げつけられる音がする。じゃじゃ馬な辰子が必死に抵抗しているのだろう。
だが手塚の声も切なく必死で、妖なりに人との愛を叫んでいる。正体を明かすまではあれほど愛を囁いてくれていたのに、妖だとわかれば拒絶される。人とのつながりを求める妖からすれば、確かに辛かろう。
今すぐ乗り込んで討ち払うこともできる。天は懐に忍ばせた札に手をかける。
だが――
【我にもわからぬ。だから学べ。この華屋で】
禁の言葉が、頭から離れなかった。
「売られた喧嘩も買えん奴は、横濱じゃ生きていけへん、か」
「それは、辰子か? 手塚か? どっちの話だ?」
「さあなあ」
天は札を懐にしまい込んだ代わりに、拳に手ぬぐいを巻いた。そして力の限りに硝子窓を叩きつける。
ガシャン!! と大きな音を立ててガラスが砕け、開いた隙間に天は体を滑り込ませ、中へ侵入した。
「きゃあああっ! 何!? 何なの!?」
「くっ! 退魔師か!!」
辰子も手塚も、さっきまで甘い時間を過ごしていたのが嘘のような狼狽ぶりだ。中の男女の驚きぶりに天が笑っていると、禁もいつの間にか部屋に入り込んいた。
「鬼……。なぜ人と共に居る」
「手の目の手塚だな。乱暴はよすんだ」
「くっ! 人といる鬼にはわからないだろ! 妖は忘れられれば消えてしまう……だから忘れられぬ愛が欲しいのに!」
「それが女性から骨を奪った理由か」
「骨など奪っていない! この手で触れると、人の体は弱ってしまうんだ。だから今度は健康そうな女性を選んだのに」
やはり手塚には手塚なりの想いがあったらしい。必死の形相の手塚に、禁は切なそうな顔をする。
そんな禁の横顔を見て、天は自分が何をすべきかやっとわかった気がした。
「手塚はん。女を落としたいんやったら、ちゃあんと作法をしらなあきまへん」
「作法……?」
「どう触れたらええのか、どう心を繋げたらええのか……。きちんと学ばんと、女を傷つけてしまう」
天は布を巻いた手で手塚の手に触れる。手塚の掌にある大きな瞳が所在なさげに宙を泳ぐ。
「今宵、幽世の華屋においでやす。人と妖の作法、この天がお教えいたします」
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