11「赤いチューリップ:愛の告白」
喫茶店の次は外国人居留地の屋敷への届け物だ。
白亜の豪邸が並ぶ街並みの一画。赤い扉の横には金色のボタンが飾られており、それを押すとベルの音が鳴って中の人に訪問を知らせるらしい。
「突起を押すだけでか?」
「電気らしいで。私も初めて見るわ」
爆発などしないだろうが……初めて見る呼び出しベルにドキドキしながらそっと触れると、チリン、と風がそよぐような音が鳴る。中でぱたぱたとスリッパの音がして、人が来ていることがわかった。
「はあーい! 花屋さん! 待ってたのよ……」
「はい。【ひととせ】の……」
中から元気に出てきたのは侍女ではなく、綺麗に着飾ったこの家の娘だった。桃色のワンピースに、全体をカールさせた薄茶色の髪が良く映える。薔薇のように紅い頬に、薄紅を引いた唇は恋する乙女の様。
「アンタ……天……」
「お、お久しぶりです。辰子さん」
だが、辰子と呼ばれた娘は恋に浮かれる心が一気に冷めたかのように、天を見ると形相を変える。化物でも見るかのような目をして、天を、天の腹を、そして隣にいる禁を睨みつけた。
「知り合いか?」
「遠い親戚――」
「アンタなんかと親戚なわけないでしょ!!」
「――っ」
禁の問いに天が答えようとした時、辰子は禁の手から花を奪い取って天に投げつける。あまりに強い力で叩きつけたもので、天はバランスを崩して尻餅をつき、赤いチューリップははらはらと花弁を散らして地面に落ちる。
素人の一撃だ。避けようと思えば天ならばいつでも避けられた。だが天はあえてそれを受け、惨めに地べたに尻をつけている。
禁も天があえて辰子の暴力を受けたとわかるので、冷静に天の体に寄り添うと、辰子に声をかけた。
「お嬢さん。突然どうしたのだ」
「どうしたもこうしたもないわよ! また金の無心に来たの!?」
辰子は天の父方の親戚だった。退魔師の血こそ薄いものの、文明開化の流れでお取り潰しになった没落士族の天の家とは違い、時代の波にうまく乗って財を成した大富豪。家も金もなくなった時、父はよく彼らに無心をしていたので、悪し様に罵られるのも当然だ。
「士族の癖に極道に身を売った恥さらし!! そんな奴がうちの周りをうろつかないで!」
金の無心は父が勝手にしたこと。天を売ったのも父親。言い返したい気持ちはいくらかあったが、家族がしたことを「私には関係ない」と否定することはできない。天にできるのは、ごもっともなお怒りをしおらしい態度で受け止める事だけだった。
だがその態度が余計に辰子の怒りを高ぶらせる。「あばずれ」「売女」、とても御令嬢の口から出ているとは思えない罵倒を、天は諦めた顔をして受け止める。
「子供も作ったんだって!? 汚らわしい! どうせそいつも極道かあばずれになるのよ!」
子供のことまで言われてズキリと心が痛む。だが怒りはない。自分がうっすら思っていたことを、辰子が言ってくれているだけ。
……それだけだ。
「お嬢さん。それはよくない」
だが、話が子供に及ぶと禁が口を出してきた。怒りを込めた低く唸るような声だが、それでも務めて冷静にふるまっているのがわかる。
「天は自立した大人だ。だからお主と天の事に我は口を出さぬ……どれだけ悔しかろうと。だが赤子には何の咎もないだろう」
「なによ、アンタ……」
突然の低い声に辰子は慄くが、それでも怒りが勝るのだろう。小さな拳をぎゅっと握りしめると、けんけんと言い返してきた。
「もう新しい男の愛人? 節操なしのあばずれが!」
「愛人はひと晩の愛を語る者。だが我と天は千歳に契約を交わしておる」
「待て。千歳までは交わしてへんで」
攻撃対象が禁に変わったことで、口喧嘩の内容がやや逸れてきた。
「彼女は我らに性を教え、種を繋いでくれるのだ」
「なんなの、下の話!? 汚らわしいわね!」
「何が汚らわしい! 大切なことであろう! 性無くして我らに明日はない!」
「それが汚らわしいのよ! ”我ら”ってなんなのアンタ! 恋人を遊郭で働かせてるの!?」
――いや、大幅に逸れてきた。
高級住宅街の真ん中でするような話ではない、禁と辰子の言い争いに天は頭を抱える。
「そうだ! とても大切な存在なのだ!」
「大切ならアンタだけで守りなさいよ!」
どちらも純情な二人なだけあって、話の内容はどれほど天への思いがあるかに動きつつあった。だんだんと人の目も集まって来たので、天としてはそろそろお暇したい。
「禁――」
禁を呼ぶと、天はその唇に唇を重ねる。暖かい舌を絡めると、禁の心臓がドクリと跳ねたのがわかる。
心無い鬼の癖に、緊張しているのか、可愛らしいところもあるものだ。天は心の中でくすりと笑った。
それは、愛のない口づけだった。だが天が誉としてきたどんな口付けよりも甘い。禁が飲んでいた苺ミルクの香りが、口の中にやわらかく広がる。
「辰子さん。今はこういうことですんで」
「こういうことってどういうことよ!?」
「おぼこにはわかりまへんか。かわいらしいこと」
天はくすくすと笑うと、地面に落ちたチューリップを拾う。花弁が散ってしまった花はもう売り物にはならない……が、どうしても辰子に押し付けたいと思い、無礼を承知で共に辰子に渡した。
「赤いチューリップは、愛の告白。お見合い、上手くいくとええですね」
そう言いながら指で梵字を書いて祈りを込める。それは退魔師に伝わるおまじないだった。乱暴に扱われてしおれたチューリップが、少しだけ輝きを取り戻す。
「なんなのよ! なんでそれを知ってるの!」
辰子はぎゃあぎゃあ言っているが、天はそれを無視してその場を去る。
めかしこんだ衣装、女中を待たずに飛び出す慌てぶり、そして不浄の愛人をみて怒り狂う様――言われなくても、今日が彼女にとって特別な日なのだとわかった。
天と禁は長い坂道を下る。
道中で黒髪の紳士とすれ違い、少しした後に「入れていただけますか」「いらっしゃい!」と聞こえたので、もしかしたら彼がお見合い相手なのかもしれない。
あのお転婆ももうそんな年か、そんなことを思っていると、首筋にぞわりと冷たい気配がした。
「天、奴は――」
禁も感づいているのだろう。辰子の家の方を振り向くと、今まさに家に入ろうとしている紳士を睨みつけている。
紳士は此方に気づくと、挑発するように軽く手を振る。
その掌には、人の眼がついていた。
「……手の目」
人を騙し、人の骨を抜き取る妖。
それがまさに今、辰子の家に忍び込もうとしていたのだった。
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