第9話 事故
「ああ、そう。わかった。……わたしの指導に文句があるのね。恨んでいるんでしょ」
平坦なのに、背筋が氷るような先輩の声。
「せ、先輩?」
「だから弱みを握って、復讐しようってことでしょ」
「あの先輩?」
「そうはいかない。……返り討ちにしてやる」
部室に鍵を閉めた先輩は、瞳になんの光も宿さずに言う。
うわぁすごい、目のハイライトを消すのをこれだけ上手く再現できるなんて、さすが先輩は演技が上手いなぁ。
「ま、待ってください、そのメガホンはなんですか!? 部活中も持ってたことないですよね!?」
今どき監督だってそんなもの持たない。
部長であっても役者である部長も当然そんなもの必要ないのだけれど、手でブツを転がすみたいにグレーのメガホンをもてあそんでいる。
「話す必要のない相手にはこれを使うの」
「話を聞いてくださいっ!」
「まだ他にもわたしの秘密を握っているわけ?」
「そういうわけじゃないです! 急に先輩の……隠していた趣味の話をしてしまってすみません。でも決して先輩を脅すつもりなんてっ! 復讐なんてめっそうもないです!」
先輩のメガホンを持つ手が止まる。
「なにがしたいわけ?」
「実は、私も好きなんですよ。そのゆるキャラ……」
「……本当に?」
こくり、と肯いてスマホ画面を見せる。
「見てください、スタンプも持っています」
ゆるキャラが並んだ画面に、先輩が固まる。しばらく瞬きもせずに止まっていたけれど、
「本当に?」
ともう一度聞いて来た。
「はい、好きです」
本当を言えば、好きと言い切れるほどではなかった。
三年後の先輩からスタンプが届くまではどこかで見た覚えくらいはあったけれど名前も知らなかった。
でもどこか憎めない顔をしているし、聞けば三年後の私はこのゆるキャラを好きになっているらしい。もしかすると将来的に私も――このゆるキャラを好きになる?
そういう気持ちを、演技で引き出して「好きだ」と言ってみせる。嘘ではない。でも演技ではある。
「どこが、好きなの?」
「えっ、……丸いところです」
詰まりそうになって、そのまま第一印象を答えてしまった。
グレーの大きな丸い顔。ひょうきんで見ていると力が抜ける。たしか瓦がデザインの元だという話だった。褒めるにしてももっと他のところがあったのではないか。
そうだよ、三年後の先輩にどこが好きなのかも聞いておけばよかった。詰めが甘い。
「うん、丸い、よね」
「はい、丸いです」
「わかる。わたしも丸いところが好き」
先輩が信じられないほどに優しげな笑みを浮かべた。
持っていたメガホンも横に置く。
「丸くて、可愛いよね」
「は、はい! 丸くて可愛いです!」
ゆるキャラなんてたいてい丸っこいのではないか。その中で脚が二本伸びて顔も憎めないが――ゆるキャラの中にももっと丸くて可愛いものもあるのではないかと。
しかし先輩は私の演技と言葉を信じてくれたらしい。
「ほら、これ見て」
鞄の中に隠していたキーホルダーまで見せてくれる。
これについては、私も存在を知っていた。三年後の先輩が、写真を送ってくれたのだ。そこには先輩がゆるきゃらのキーホルダーを片手に照れ笑いを浮かべていた。しかも、隣には私がいて、ただならぬ雰囲気をかもしている。
いつぐらいに撮られた写真なのだろう。私も先輩も制服姿なのだから、今年――少なくとも先輩が卒業するまでのものだ。
私は三年後の先輩からゆるキャラ好きのことを聞いても信じなかったから、証拠にと見せてもらったのだ。それでもさっきまでまだ疑っていたけど。
三年後の先輩が私と恋人であることも、ゆるキャラが好きなことも、やっぱりどこか別世界のことにしか思えなかった。
でも、ゆるキャラのことは、こちらの先輩も好きらしい。
それから、先輩はプロテインのときの数倍増しの熱量で語った。おおよそ、部活中に匹敵する真剣味を感じた。恐ろしかった。鬼部長の先輩くらいに恐ろしかった。
冷や汗を流したけれども、しかしここからが本番だ。
ここまでダメ押しで親しくなれたのなら、うまくいく気がする。なに、ちょっとお願いするだけだ。
「あの先輩、お時間遅くなってしまって申し訳ないんですがもう少しお話したいことが……」
「なに? わたしもまだ話したりないけれど、また明日にでも改めて」
「あ、いえ、そのたいしたことでは……そうです、先輩まだ着替え終わっていないですよね? 着替えながらでも是非……」
「え、それは……それで話は?」
「ああ、その、着替えながら! 私もよかった、ここで着替えてもいいですか?」
「……それは、いいけど」
新入部員の私が部室で着替えるなんてずうずうしいと思ったのか、先輩は気乗りしない様子だった。私も普段ならわきまえて今からでも更衣室へ移動していただろう。
でも着替えながら、さりげなく伝えたかったのだ。
新入部員たちでやる春の部内公演――そこで先輩が余計な口出しをしないように釘を刺す。
怒られっぱなしのダメ新人にには、勝ち過ぎた任務だけれど、約束なのだからやるしかない。
私が何もしなくても、未来は三年後の先輩が知っている者と同じにはならないんじゃないだろうか……ただそれでも、一応言うだけ言おう。
「それで先輩、今度春に……新入部員だけでやる舞台があるらしいじゃないですか?」
いそいそと服を脱ぎながら切り出すと、先輩は二人きりの部室だというのに隅の方で隠れるように着替えていた。
そりゃ、同性だからって、そんなにおおっぴらに着替えるものでもない。下着を見られるのに多少の恥じらいがあっても普通なのだけれど、あまりのもよそよそと着替えているので少し不自然だった。
「……あの、先輩?」
「な、なに? ああ、そうね、卓球部にもそういう文化があるの」
「違いますよ、演劇部の話です」
「……わかっているけど」
先輩はジャージの上着の中でもぞもぞとシャツを替えようとしていた。先輩らしからぬ女々しい着替え方だった。――いやまあ、着替え方に女々しいもないか。
私も先輩の前だし、少しは上品な着替え方をした方がいいのかな。いつもは特に人目も気にしないけれど、ちょっと可愛らしく着替えることにした。
「私、がんばります!」
「そう、がんばって」
「えっと、はい、ありがとうございます。……その、がんばるので」
がんばるので口を出さないでください、と言って大丈夫か?
生意気なことを言うとあげた好感度が元通りかもしれないけれど――まあ上がったのも三年後の先輩のおかげだし、しかたないか。
「あの、私すっごいがんばりますから!」
これは作戦のこととは関係なく、やる気はしっかりと伝えておきたい。
私はその勢いで、ついつい隅にいる先輩に近づいてしまった。もぞもぞは一段落して、ブラウスまで着終わったみたいで、あとはスカートというところだった。
ジャージの下を着たまま、腰にスカートをはいて、それからジャージを脱ぐ。銀行の現金輸送見たいなちゃんとした着替え方だったのだけれども。
「ちょっと、なに!?」
たしかに、先輩からしたら謎の決意表明だし、急に近づいて驚かしてしまったのは悪かったと思う。
けれど想像以上に先輩は私の急接近に動揺して、完璧な着替えが失敗してしまう。
先輩はちょうどジャージの下を脱ごうとしていたところだった。私のせいで手元が誤ったのか、しっかりはいていたはずのスカートが落ちてしまった。
声をかけられても、背を向けたままこっそりと着替えていた先輩は、端的に言うと臀部のあたり、つまり下着というか、まあパンツをあわらにしてしまったわけである。
もちろん私は同性だし、私だって着替え中にパンツを誰かに見られることはあるし、それを特に気にするこもとはない。
でも先輩はさっきまで恥ずかしそうに着替えていて、当然下着を見られるのも嫌だったろうし――なにより、理由がわかった。
ゆるキャラの下着だった。
「…………あ、あの、すみません」
「そうね、卓球部がこの部室で着替えるのはおかしなことよね」
「いや、その、本当にごめんなさいっ。今のは事故でっ! えっと、お似合いですし、別に下着くらいでその……可愛いですからねっ!」
「……ふふふっ、ああ、わたしが部活を辞めて、学校も退学して、そうすればいいんだ」
「やめて先輩っ! 早まらないでくださいっ!!」
下半身を下着姿のままふらふらと部室から出て行こうとする先輩を必死に抑えた。
そのあと放心状態の先輩に、一応「春の部内公演は一年生たちでがんばりますから! 安心して見ていてください!」と伝えておいた。
先輩には、聞こえていただろうか。





