第4話 扉
全部が全部信用できたわけじゃない。
『一応、お互いのために確認しておきたいことがあるの。……たしか、結菜のお父さんは野球が好きなのよね?』
「はい、そうですけど」
先輩が知るはずもない情報だ。それどころか、親友のみさぽですら、私の父が野球好きなんてどうでもいいことは知らない。聞いていても覚えていない。
『今日もあるはずよね。さっき、適当に日付で……三年前の今日でいくつかその日あった野球のニュースを調べて、それらしい記事をまとめてみたの。これ、本当ならそっちの今日の夜にも同じ記事が出るはずだから、確認してくれる?』
先輩が送ってきたのは、どこの国の人かもわからない外国人選手が一試合で二本のホームランを打ったという記事と、ドラフト一位で入団したルーキー投手が初勝利したという記事だった。
家に帰って父に聞けば、野球の試合はどこも始まってはいるけれど、まだその外国人選手のホームランは打っていないし、ルーキー投手の勝利も決まっていなかった。
「あいつがホームラン? さっきの打席のひどい空振りを見たらわかるね。見込みないよ。そんな奇蹟が一試合で二回も起きるわけないし、その投手は初回から三失点してたぞ。まず勝ちはないし、あと何回か投げたら降板だな」
「そっかぁ……」
どうも見込みがないらしく、先輩の予言は外れたかと思った。
夕飯が終わって、お風呂から出たとき、父が驚いている。
「さっき、結菜が聞いて来た通りになったぞ。あのあきらかにダメだった外国人がホームランを二打席連続だし、ドラ一は初回で三失点したのにそのあと力投して勝った……お前、俺に似て見る目あるんだな」
「……いや、そういうわけじゃ……第一お父さんは見る目ないよね?」
さっき自分が言った言葉を忘れてしまったのかとあきれる。
ただそれよりも、先輩の予言が的中したことだ。素人ではあるけれど野球好きの父から見てもあり得そうにない展開をきっちりと二つも。
「当たっていました。二つとも」
私は先輩にメッセージを送る。
『そう、やっぱり……まだわたしのほうはあなたが三年前の結菜だという証拠はないけど……でもさっきの動画と今の結菜からしても、そうでないと辻褄が合わないのも事実ね』
「……みたいですね、信じる信じないより先に、まだ私は頭が追い付いてないですけど」
『結菜、数学苦手だもんね。それで受験も大変で』
「え、待ってください。三年後って、え、私受験したんですか? どうなったですか?」
今起きていることと数学の何が関係あるのか。
そんな些細な問題よりも、もっと重大なことがある。先輩が三年後の先輩なら、私の三年後のことも知っているということだ。
『……未来の悲しいことは、あまり知らない方がいいんじゃない?』
「いやいや! 悲しいことって!! 知らない方がいいって、もう私の受験になにが起きたかほとんどわかったようなものじゃないですか、それ!!」
『そうそう、結菜にはそうやって元気でいてほしいから。……できれば、三年後の結菜もそうでいてくれたら』
「三年後の私ーっ!?」
どうも三年後の私は元気がないらしい。受験で悲しいことが起きて。それって――いや、考えすぎないでおこう。まだ確定したわけじゃない。
だいたい、もしそれが本当だとしたら――三年後、私と先輩が恋人同士ということも本当だということになる。
受験より、こっちの方が大きなことだ。
「あの先輩、つかぬことを聞きますが?」
『ロトナンバーズとかそういうのは、わたし賛成できないけど』
「いえ、その未来の情報で金儲けはその……まだ考えてませんでしたが……それより、本当に、私と先輩は恋人同士なんですか? 先輩、初対面の私のこと演劇部に紛れ込んできた害虫みたいな扱いしてましたよ」
『初対面って、結菜が演劇部に入部した初日のこと? ……害虫なんてそんな、わたしは可愛い後輩だなって思っていたけど』
「嘘です! 自己紹介すらまともにさせてもらえませんでした!! い、いえ、私ができなかったというのが正確ですが……」
ちなみに私は、ベッドの上で正座している。
憧れの先輩とのメッセージ、背筋を伸ばして挑むべきだ。
そんな尊きお方に、嘘だと反論してしまって――顔が見えないテキストのやり取りだからと私は調子に乗りすぎているかもしれない。
『……たしかに、わたしは当時部長になったことで力が入りすぎていたかも』
けれど先輩は、そんな私を叱りつけるわけでもなく、すんなりと認めた。
『ただね』
先輩のメッセージはまだ続きがあった。
『演劇部は、いつかは、厳しくしないといけない。最初だけ優しくて騙すみたいな方が不誠実だから、やりたくなかった。経験が少ない子こそ、よっぽど演劇が好きって気持ちがないと続かない。可哀想だとは思ったけど、もし辞めるなら早いうちの方がいいでしょ。まだ部活選びの時期で、他の部活にも入り直せるから』
私は他の部活のことなんて考えていなかった。
でもそういう軽い気持ちで演劇部を選んで、辞め時を見失って、もしかしたらもっと別の部活で高校生活を楽しめたって可能性を失うこともあっただろう。
そういう人がいるかもってのは、わかる。
『結菜がほとんど初心者なのはわかった。だから、厳しくは当たった。悪いことはしたと思っていない』
先輩は、鬼部長だ。
でも、ただの鬼じゃない。ナマハゲだってただの悪い鬼じゃないみたいに。
『それに、結菜もわたしに厳しくされるの悪くないって……初日で厳しくされて、ちょっと新しい世界に目覚めたって言っていたから』
「未来の私ぃっ!?」
いや、初日で目覚めたってことは、今の私なのか? 目覚めていないよ?
「なんですかそれ、厳しくされて悪くないって……」
『むしろ好きって』
「そんなの変態じゃないですかっ!!」
『結菜はちょっと変わったところあるから』
「私なんです! 結菜は私なんです! 私は変なところなんてありません!」
新しい世界には目覚めていないから、是非とも明日以降は怒られないで済ましたい。
とはいえ、このままでは明日もまたしごかれるのは目に見えている。私の能力は変わっていないのだ。一日や二日で――せめて、演劇経験豊富な人からアドバイスでももらえれば。
「あ、先輩! 私に教えてくださいよっ! 発声のコツ、明日こそちゃんと自己紹介したいです!」
『発声のコツ? 結菜もそんなこと……あ、三年前の――今話している結菜は素人だったね』
「はい、素人です。教えてください」
こんな未来の力を借りるのはズルいだろうか。いや、そんなことはない。
だいたい厳しくするのはともかくとして、それならちゃんとこうやれって教えることまで鬼部長の仕事じゃないですか先輩!? 喉と腹以外のこと私教わってないですよ!?
しかし、未来の先輩からも、基本的には喉と腹のこと以外言われなかった。
ただ優しく、丁寧に、私が聞けばいろいろと教え方も変えつつ、動画にとって先輩の見本まで送ってくれて、まさに手取り足取りで習えた。
『うん、だいぶよくなった』
「ありがとうございますっ! 先輩のおかげです! これで明日、先輩に怒られませんっ!」
『……わたし、そんなに怒ってた? 結菜が可愛くて、ちょっと気合いが入りすぎてたのかな』
「可愛い相手を怒るっておかしいですからね? 一般的な生物の行動原理と違いますからね?」
鬼の遺伝子なんだろうか。なんでもかんでも怒ることを正当化しないでほしい。三年後の先輩は全然怒らないから、怒りっぽいのが改善しているならいいんだけど。
――それか、私が怒られないくらいにちゃんと成長できているということなのか。
『じゃあ、教えた分、お礼してもらおうかな』
「お礼!? え、スタンプをプレゼントすればいいですか?」
『そんなのいらない。ね、三年前のゆいゆいからも、わたしのこと大好きーって言ってほしいな』
「えええぇっ!? 好きって、別にいいですけど。先輩のことは好きですし」
『そういうんじゃない。そんな軽い好きじゃない、わたしが言ってほしいのは』
先輩への憧れはそんな軽いつもりもないけれど、三年後には恋人らしい先輩が求める好きがこれと違うものなのはわかる。
『動画。制服で』
「いや、制服はもう着替えたんで……」
『えー、三年後のゆいゆいはもう制服じゃないのにー。でも今度頼んだら着てくれるかな?』
「それはわかりませんが……」
一応、卒業しても制服は捨てないでおこう。覚えていたら。
「わかりました。動画、送ります」
好きとありがとうとおやすみ。
私は今日先輩に教わった発声を復習するように、心を込めて動画を撮った。





