第3話 未来
そうだ、先輩は演劇部だ。去年は主役を務めて、今年は部長。
私がなにより先輩の演技力を知っている。
だからこれは、演技? さっきの指導で厳しくしすぎたからと、飴と鞭のように私を甘やかして――いやいや、甘やかすとかそういうレベルじゃないよね!? 好きって何!? 好きって……なに!?
よし、一旦先輩は本物だとして、まずはこの状況をもう少し確認しよう。好きってなんなんのか、これはなんなのか。先輩はなにがしたいのか。
「えっと、もしかして先輩は……私に気を遣ってくださっていますか? 部活辞めるんじゃないかって」
『何の話? 部活? ねえ、結菜……ずっとはぐらかして、わたしのこと試しているの?』
試していると言えば、試していた。
この人が本物の先輩かどうか。信じられないけれど、今メッセージのやりとりをしているのは本物の先輩らしい。
「冗談かなにかじゃないんですか?」
『冗談じゃない。本気。だからそろそろわたしのことが好きか、ちゃんと答えて』
「好きってそんな、初対面ですよね? それで先輩が私のことを好きってのもよくわからないですし……」
『わからないってどういうこと? さっきから結菜は、どうして恋人の私の言葉を信じてくれないの? どうして恋人のわたしに好きって言ってくれないの?』
恋人? え、恋人?
数回文章を読み返したが、そう書いてある。冗談――というのは、さっきも疑ったばかりだ。これ以上問答しても仕方ないように思うが、意味がわからない。
そういう演技か? 演劇の練習にはエチュードという役だけ振ってあとは各々自由に演技するというものがある。
私と先輩が恋人同士という設定で、急に演技指導が始まったということなのか。
にしたって、アプリのメッセージで?
面と向かってやるならともかく、メッセージで演技力向上するのかな。
「こういうの、文面だと意味なくないですか?」
先輩相手でも疑問に思ったことは聞いた方がいい。私はややためらいながらも質問すると、
『ゆいゆいも動画くれるの?』
と返ってくる。
そうか、動画か。さっき先輩が送ってきた動画はそういうことだったのか。私が頼んで送ってもらった覚えはあるけれど――でも一見意味不明な動画は演技の練習として見るなら、たしかに初々しい恋人が甘えてくる内容だった。
鬼部長の顔を鑑みるに、先輩の恐ろしい演技力があってのものだとわかる。やっぱり先輩はすごい人だ! さっきまでボロ雑巾みたいに扱っていた一年生にあれだけ甘えた演技ができるなんて! 私が演劇部員じゃなかったら人間不信になるとろこですよ!
よし、これは不出来な新入生のために用意された先輩からの追試だ。
最初は全然意味がわからなかったけれど、そう思えば納得である。きっと先輩なりに、私ががんばれるように工夫してくれているのだ。――にしても、説明もなく恋人設定でメッセージを送ってくるのはおかしいけど。連絡先もどこから聞いたんだろう。
いや、演劇部の練習であれば、そんな些細なことはどうでもいい。見放されそうな勢いだったのに、部活の時間後もこうやって面倒を見てくれる先輩に、全力で応えないといけない。
私は手近な公園のベンチにスマホを置いて、インカメを自分に向ける。自撮りスタイルの方がよかっただろうか? と思いつつ、せっかくなら全身で演技すべきだと離れた位置に立つ。
最近は防犯の観点なのか、公園で遊ぶ子どもも少ない。人目を気にせず、私は演技を始める。
けれど私の演技力は素人に毛が生えたレベル。多分普通にやっても自己紹介のときの二の舞だ。ただ今回は一つだけ大きく違うところがある。
演技において重要なのはリアリティ、どれだけ役に入り込めるかということ。
私は先輩と恋人ではないけれど、先輩のことをずっと憧れていたのは紛れもなく真実だ。その好意をベースに、自分の役をつくれば、足りない技術力をカバーしていい演技ができるはず。
「先輩のこと、本当に尊敬していて一目見たときから同じ舞台に立ちたいってずっと憧れていました! 本当に大好きな憧れの人ですっ!」
通りすがりの人が私を見ている気がしたけれど、無視する。今の私には先輩しか見えていない。
「まだまだ未熟で、先輩には私は不釣り合いだと思います。……でも、絶対に相応しい相手になってみせます! いつか先輩の隣りに立てるように、がんばります!」
――私は、いそいそと動画を止めて、そのまま先輩に送った。
よかったのか、あれで? でもほとんど本心だったから、演技的には違和感がないはずだ。うん、それに媚びを売るつもりじゃないけど、先輩への思いを本人にしっかり伝えられるのはいい機会である。
『えっと……どういうこと、これ? よくわからない』
「ダメ、でした?」
『ダメとか、そういうんじゃなくて……ううん、結菜の気持ちは嬉しいし、動画も可愛かった。結菜はいつも可愛い。でも制服なのはなんで?』
「え、それはまだ家に着いてないからで」
『どういうこと? それに……結菜は、わたしのことどう思っているの? これじゃまるでただの部活動の先輩じゃない』
うっ、そうだった。
あまりに本心のままで、恋人という設定が守れていない。当然のダメ出しに、私はがっくりとうなだれる。でも無理だって、先輩くらいの演技力ならともかく、私にいきなり先輩を恋人だなんて。
「ごめんなさい、私の演技だとこれが限界で……」
『演技? どういうこと? さっきから結菜、本当におかしい。……それに、演技の話で言うなら、調子悪いの? 全然基礎からできていないように見えたけど』
「そ、それはその、すみません、私の不徳のなすところでして……」
『そうじゃなくて、そもそもその制服も……おかしいよね? 待って、結菜、幼くなった? 髪型も、短いし、いつ切ったの? なんで制服なの? 変なことしてない? お金に困ったなら、わたしにまず相談してよ! ねえ!』
どういうことか、また話がわからなくなってくる。
これも先輩の指導? 無茶な展開にも対応できる私の能力が試されている?
――どこか、なにかもっと大きな掛け違いがあるんじゃないのか。
『ねえ、結菜……あなたは本当に結菜なの? わたしの恋人の?』
「すみません、これは部活の指導ではないんですよね?」
『わたしの質問に答えて。部活の指導なんて……今はプライベートでしょ』
「え、あの、指導じゃないんですかこれ? ……私は結菜ですけど、今日入部したばかりの一年で……先輩とは今日が初対面ですよね?」
しばらく沈黙が続いた。
アプリのチャット画面になにも流れない時間が続く。既読はノータイムでついているから、先輩はまだスマホを手に、私と同じ画面を見ているはずだった。
『……結菜。今、あなたは何歳? 今年は……何年?』
「十五歳で、今年は――」
よくわかないけれど、素直に答える。また沈黙。
『冗談じゃ、ないのよね? ……うん、結菜はちょっと変なところあるけど、こんな悪ふざけをするタイプじゃないもの』
「私はいつでも真面目ですよ!」
『……あなたは三年前の、結菜ということね。あなたの言っていることが本当ならだけど』
「三年前?」
『そう、そしてわたしは、あなたから見て三年後のわたし』
先輩は二十歳で、今年は――と伝えられたのは、たしかに三年後の年だった。
いや、さすがに冗談というかSFすぎるというか――でも、先輩がこんなことを言うはずもないし、この人は多分本当に先輩だし――ただちょっとあった先輩であって先輩でない違和感。それが三年後の先輩だからと言われると、驚くほどにしっくりきた。
そうか、この人は三年後の先輩。
なんでか知らないけれど、私は三年後の先輩とアプリを通してメッセージをやり取りしている。
これってタイムリープみたいなやつ!? ――っていうSF的な驚きもなかったわけじゃないんだけど、それよりも。
「えええぇっ!? じゃあ、本当に私、三年後に先輩と恋人同士なの!?」
なにがあった、未来。





