第1話 憧れ
憧れに一番近い感情はなんだろうか。
まだ入学前のこと、文化祭で見た演劇の舞台に一目惚れした。もっと言えば、そのとき主役の吟遊詩人をやっていた一人の女子生徒に。
私は、中学ではなんちゃって演劇部だった。
部員も私と親友の『みさぽ』が名前だけの幽霊部員で登録されているだけ。
顧問の先生がそこそこ知識はある人だったから、一応基礎練習みたいなものはこなしていて、先生と私でなんとか文化祭に小芝居みたいなものを披露できていたけれど、全然本気なんてことはなかった。
そんな私は、彼女の演技を見て、惚れてしまった。
高校からは、本気で演劇をやりたいって。
憧れの先輩と一緒に、あの高校で、あの演劇部で!
それからは猛勉強。
猛り狂い、荒くれる程に。
近くのファミレスは放課後にドリンクバーだけで長時間占拠しすぎて、ほとんどの店が入店する度に店員さんからにらまれるようになった。
みさぽからは「取り憑かれているからお祓いしてもらったほうがいい」と心配された。
それくらいがんばって、偏差値を三周りくらい上げて、やっと入学した。
入学式の前に演劇部の部室を訪ねて「春から入学する新入生なんですけど~」って挨拶にいって、その場で入部届を先んじてもらってきた。
入学したら最速で提出して、新入生入部RTAの世界記録を出す勢いだった。
そして入学から三日目、入部初日。
――退部RTAの記録も出しそうです。辛すぎて、涙も出ません。
「全然聞こえない。腹から声出して。もう一回」
「八雲っ結菜ですっ!! 演劇経験は中学で三ね――」
「静かね。寝ちゃいそう。あと喉じゃなくて、腹から。体の部位もわからないの? 数年前だったら棒で突いて教えてあげられたんだけど、今はできないから。悪いけど保健室にでも行って自分で聞いて来てくれる?」
「すみませんっ!! もう一回やらせてくださいっ!!」
まさか自己紹介からこんな厳しいことある?
もう二十回は超えた自己紹介。私の発声が素人レベルなせいで、もう何度とやり直しを要求されている。
しかも! 私をにらみつけているのは、あの憧れの先輩!!
文化祭のときにもらって大事に保管しているチラシにも名前が書かれていたから知っている。
青柳飾華さん。
今年から新部長だそうで、こうして目の前にすると舞台で見たときと変わらず――いやそれ以上に凜々しくて素敵な先輩であった。
そして、なにより鬼だった。悪魔だった。やがて地球を滅ぼす大魔王だった。
「時間、いつまでかかるの? 自己紹介もまともにできないような子をうちの部に入れるわけにはいかないから。わかっている?」
「すみませんっ!!」
「喉、腹。……あと一回同じこと言わせるなら、保健室に行って。居るべき場書が違うから」
「すみませんっ!!」
他の新入部員たちもドン引き中で、私も必死になんとか中学自体の手ぬるい練習と経験から正解を導き出そうとがんばっている。
お腹に力は入れているし、しっかりと大きい声も出ているはずなんだけど。
でも実際、他の一年生は私よりずっと綺麗な声で、しっかりと発声できていた。出身中学はほとんど同じで、どうも演劇部の強い中学校らしい。
だから私なんかゆるふわ演劇部と違って、三年間しっかりしごかれてきている。
そんな彼女たちと比べて私はゴミだ。環境だ。スペースデブリとして宇宙をさまよってしまえばいいのに。
「もういい。帰って」
「お願いしますっ!! 入部させてください!!」
「……いいから、保健室に行って」
「お願いします!!」
「視界にも入れたくない。外で腹筋でもしていて。筋肉から足りてない」
「わかりました!! ありがとうございます!!」
維持だった。
あれだけがんばって、目標で、夢で、憧れでそれで直ぐに逃げ出すなんてできない。
だけどさすがに、心が折れそうだった。
まさか憧れの先輩が、こんなにも鬼部長だったなんて。
なんとか即日退部は免れたけれど、このままでは近い日に私は追放されるか、その前に再起不能まで心がやられて自主退部という可能性もある。
夕方に部活が終わって、私ほどではないけれど初日なんて関係なくしごかれた一年生のみんなの表情は暗い。私は一周まわって笑っている。鏡に映った姿は、壊れたピエロの人形みたいだった。
――無理かも。
そう思ってしまう。
そんなとき、アプリにメッセージが届いた。
送り主の名前を見て驚く。
青柳飾華、鬼部長の先輩だった。まさかその場では言わなかっただけで、メッセージで退部宣告?
いや、そんなことより、連絡先の交換をしていない。
先輩とはもちろん、同じ部のみんなともまだ。
不思議に思いながらメッセージを開くと。
『も~、ゆいゆいったら、わたしのこと好きって言ってくれる時間だよっ! ちゃんと言ってくれないと、飾華もすねちゃうかも知れないからねっ』
なんだ、これ?
イタズラ? でも名前――アイコンも、さっきみた制服姿の先輩とは違うけど、本人っぽい。あれ誰かとのツーショットだなこれ。
隣りに居るのは誰だ。……私? いやいや、そんなわけないから、に、似ている誰か?
混乱しながら、もう一度メッセージを見る。
瞬きする。
帰宅中、もう日が落ち始めていて、外灯の下で私は立ち止まっている。
時間を空けて、もう一度見る。
やっぱり先輩の名前と先輩のアイコンから、おかしなメッセージが届いている。
『ゆいゆい? 遅いよっ! 十分おきに好きって言ってくれないと、どんどん好き好きゲージ貯まっていっちゃうんだから!!』
追撃するように、またメッセージが届いた。ぷんぷんと怒った可愛らしいゆるキャラのスタンプも添えられている。
さっきから『ゆいゆい』という人に向けてのメッセージらしいけれど、え、これは私か? 私、結菜ですけど。
『え? どうしたの、既読はついているよね? ……もしかして、怒っているの? それか、なにかあった? ねえ、ゆいゆい? お願いだから、返事ちょうだい』
これ、先輩なの? 本当に?
十分おきに好きって言われないと不機嫌になって、既読スルーすると本気で心配してくるこの人が先輩? あの鬼部長の?
ないない――そんなわけ……ない、よね?
私の憧れの先輩が、まさかこんな人なわけない。





