現を抜かすな!
「私……先生の事が好きなんです!」
合宿最終日、僕はカントリバースの姉妹グループ・チューブルックのメンバー・万水葵から突然告白されてしまった。
「いや、まだ会って数日しか経ってないのにおかしいでしょ?」
彼女と会ってまだ一週間程……その間、絵の話をしたりチューブルの話などはしたものの、恋愛の話は皆無……強いて挙げればチューブルメンバーの家庭教師をした時にメンバー全員から質問された程度だ。
「そんなことありません! 私、初めて見掛けた時から先せ……いえ、矢本さんの事かっこいいと思っていたんです! 一目惚れです」
えっ……そういえば初日にチューブルメンバーがランニングをしていた時、この子が振り向いて手を振っていたが……まさか?
――これは困った。
もちろん僕は葵ちゃんに対して恋愛感情は無い。十歳も離れた中学生は恋愛対象外だし、そもそも僕は恋人を作る気など微塵も無いのだ。
この子は所謂メンヘラ……いや、ヤンデレと呼ばれるタイプなのだろう。僕の事を好きだと言ったが、それは何か強い思い込みによるもので実際はそこまで本気ではないのでは? だが何らかのキッカケで理性より先に行動してしまう直情型の人間だと思う。
「お、落ち着いて! もうちょっと冷静になって……」
「私は冷静です! 矢本さんが私の事嫌いでも諦めません!」
いやもうそれって既に冷静さを失ってるよ……
「そもそもチューブルって恋愛禁止だよね? 下手すりゃ解雇になっちゃうよ」
「構いません! 私、矢本さんのためならアイドル捨てます!」
葵ちゃんはそう言うと僕に抱きつこうと近付いてきた……これはマズい! 僕は必死に腕を伸ばし、彼女の肩を押さえ止めに入ると今度は予想外の行動に出た。
〝ビリビリッ!〟
自分が着ていた白いワンピースを引きちぎったのだ! ボタンが飛び、下着が露わになった……最悪だ!
「矢本さん、私の恋人になってください! じゃなければここで大声出しますよ」
これは完全に脅しだ! だがこの状況……第三者から見たら確実に僕が犯罪者となってしまう!
「おっおい! 馬鹿な真似は止めなさい」
「私は本気です! ここで誰か人が来たら……どうなるかわかりますよね?」
「あーでも、ここって誰も来ないわよ」
「そうそう! ここって誰も来ない……えっ?」
僕たち以外の声が聞こえ、驚いた葵ちゃんが振り返ると……そこには桂こと相模絵美菜が腕組みをして立っていた。
※※※※※※※
「び……びびっびーなす先輩!?」
まさかの大先輩の登場に葵ちゃんは動揺を隠しきれなかった。しかも桂(相模絵美菜)は無表情……葵ちゃんの脚はガタガタと震えが止まらないでいた。
「葵ちゃん……その服どうしたの?」
桂は葵ちゃんの着衣の乱れを指摘した。すかさず葵ちゃんは
「こっ、これは……この人が私を襲おうとして!」
僕を指差した。えっおい、そう来るかよ!?
「まっくん……そうなの?」
「おい、そんなことある訳な……」
まさかの強姦魔認定!? 思わぬ飛び火に僕が焦っていると、
「なーんて、駄目でしょ葵ちゃん! 一目惚れの相手を陥れようとしちゃ!」
なるほど! 桂は葵ちゃんが「一目惚れ」と言った辺りからここに居たんだ……だったらからかうなよ!
全てを聞かれていたと悟った葵ちゃんは、へなへなとその場に座り込んだ。きっと彼女の頭の中では「問題行動→即契約解除」の図式が浮かび上がっている事だろう。だが「窮鼠猫を……」ではないが、追い込まれた葵ちゃんは開き直って桂に噛み付いてきた。
「そ、そうですよ! 私は矢本さんの事が好きですよ! アイドルが男の人を好きになったら何で駄目なんですか!? おかしいですよ!」
後輩にここまで開き直られたら流石に怒り心頭だろう。だが桂はとても冷静に、
「葵ちゃん、別に私は人を好きになる事は駄目とは言ってないわ……ただ、この人だけは駄目なの」
「な、何でですか!?」
葵ちゃんはまだ興奮が収まらない様子だ。だがここで桂が思わぬ行動に出た。
――!?
桂は僕に近付くと、葵ちゃんの目の前で僕にキスをしてきたのだ! 葵ちゃんは口に手を当てて目がまん丸くなり……目の前で起こった事が信じられない様子でその場に固まった。
「わかった? 葵ちゃん……つまりこういう事なの! この人は私の親戚じゃなくて彼氏よ……だから諦めて」
こういう事じゃないよ! いくら先輩後輩の間柄とはいえ桂はとんでもない事を暴露しやがった! 流石に大先輩の彼氏と言われたら葵ちゃんも諦めざるを得ないだろう。だが同時に桂は、新たな火種を作ってしまった……どうするつもりだ?
「葵ちゃん! 私はね、アイドルってもっと恋愛していいと思うの」
「……?」
「だって、恋愛ソングを歌ってるのにその本人が恋愛していなかったら説得力ないでしょ? 恋をして結ばれそして別れて……色々な事を経験した方がよっぽどいい歌が歌えると思う」
「だ、だったら! 私だって恋愛をして……」
「でもね! 残念だけどアナタたちは、恋愛に現を抜かしてる暇は無いのよ」
「え……な、何でですか!?」
現を抜かす暇は無いと言われ、葵ちゃんの目から涙が溢れ出した。
「この前も言ったよね? アナタたちは未熟だって……アナタたちレベルのアイドルはこの世にごまんと居る。その中で一歩抜きん出るには他人の何十倍も努力しなきゃ駄目なの」
「……」
「例えばね……まぁ例えになってないかも知れないけど、女の子って初潮を迎えたらぶっちゃけセックスも出来るし子どもも産めるの! でもね、バイトも出来ない義務教育期間中に出産したら誰が子どもを養っていくんだって話になるよね? つまりその母親は社会的に未熟なの! それじゃあ生まれてきた子が可哀想……だから成熟するまでは我慢するっていう時間がこの世の中には存在するのよ」
「う、うぅ……グスッ」
桂から現実を叩きつけられた葵ちゃんはとうとう泣き出してしまった。
「葵ちゃん、私はアナタの事を信じてるわ! だってアナタはメンバーの中で一番努力家で、アイドルとして一番上を目指してるのがわかっているから」
桂は葵ちゃんの手をそっと握ると更に付け加えた。
「この間だって……お菓子食べてるの注意してたでしょ? ちゃんとメンバーを正しい方向に引っ張っていこうとしているのはわかってるわ! だからこそ、こんな事で道を踏み外しちゃ駄目!」
「あ……はぃ」
「でもね、今回の事は葵ちゃんにとって良い経験になったと思うよ! 焦らなくて大丈夫! アイドルで天下取った後だっていくらでも恋愛は出来るものよ!」
「そ、そうですか?」
「何ならこの人を私から奪ってもいいわよ! 奪えるもんなら……ね」
おいいいのかよ!? つーか僕たちは付き合ってる訳では無いが。
「恋愛禁止なんて、人生において大した時間じゃないわ! だから今は、アイドルで天下を取る事だけを考えなさい!」
「は、はいっ! あ、でも……」
葵ちゃんは地面に落ちた服のボタンを見ながら困惑していた。一度蒔いた種は戻す事が出来ない。
「心配しないで! 今回の事は誰にも言わないから! だって葵ちゃん、私の秘密も知っちゃったよね?」
「あっ……」
おいまさか……そこまで計算した上での行動か?
「今回の事はお互いの秘密にしましょ! どっちかがバラしたら自分も終わりだって事で……葵ちゃん、お互い目標に向かって突き進みましょ!」
「はいっ!」
その後……心を入れ替えた葵ちゃんは誰よりも真面目にレッスンに打ち込む様になり、チューブルックの中で不動の一番人気となった。
ちなみに僕が葵ちゃんに渡した絵は……彼女の部屋で額縁に入れて飾られ、落ち込んだり壁にぶつかった時に心の支えになっているそうだ。




