家庭教師
「矢本さんって……お仕事は絵師さんなんですか?」
自由時間中、池のほとりでスケッチをしていた所へやって来た「万水葵」。彼女はカントリバースの姉妹ユニット「チューブルック」のメンバーだが、どうやら僕の絵に興味があるらしい。
絵師というのは本来、日本画の画家の事をいう。具体的には水墨画家や浮世絵師などだ。だが最近ではサブカルチャー分野で活躍するイラストレーターや漫画家の事を指す様になってきた。むしろ最近ではこっちの意味合いの方が強いだろう。
「あぁ違いますよ、僕は高校で美術を教えています……非常勤ですけど」
「えっ高校? じゃあ先生なんですね!?」
僕が教師だとわかった瞬間、万水さんの表情がぱぁっと明るくなった。
「先生は、風景描くのがお好きなんですか?」
すると万水さんは脈略もなく質問を変えた。たまに居るよなこういう人、飽きっぽいのか自分ファーストなのか……話が長くなりそうなので僕は手を休め、水筒の水を飲みながら彼女と会話した。
「はい、でも本当は人物画の方が得意ですけどね」
「そうなんですか!? じゃあヌードとか描いた事あるんですか?」
おいおい! でもこういう会話をすると、その話題に触れて来る奴は必ずと言って良い程居る。
「えぇ、まぁ……服を着た人物を描くにしても、人体の構造とか理解してない上手く描けませんからね」
「じゃあ先生! 私のヌードも描いてください!」
「ブッ! ケホッ、ケホッ」
思わず飲んでいた水を吹いてしまった。何を言い出すんだこの子は!?
「あっ、先生! 大丈夫ですか?」
大人をからかっているのか? それと、生徒じゃない人から「先生」と呼ばれるのは何かこそばゆい。と、突然……
「きゃぁああああっ!」
万水さんが叫び声を上げた。
「むっ、虫! 虫ぃいいいいっ」
近くに藪があるので虫が多い。子どもなら代謝も良いから多少虫に刺されても問題無いだろう。だが彼女はアイドル、万が一虫刺されの跡が残ったらマズい。
「虫除けあるけど……塗る?」
「有難うございます! じゃあ先生、塗ってください!」
「……自分で塗ってね」
バッタに効くかどうかわからないが、万水さんに虫除けを貸してやった。
「ところで、えっと……万水さん」
「葵ちゃんでいいですよ! ファンからもそう呼ばれていますから」
「えっ、じゃあ葵……ちゃん、今日は(チューブルの)レッスンはお休み?」
「えっ……あぁっもうこんな時間! せっ先生! 有難うございましたー!」
万水……葵ちゃんは大慌てで合宿所へ戻っていった……色々と忙しい子だな。
※※※※※※※
――疲れたぁ!
夜の仕事を終え、僕や他のバイトスタッフは部屋に戻った。特に今日は葵ちゃんにペースを乱され、息抜きになる筈の自由時間が、かえって疲労が蓄積される結果となってしまった。
ひと部屋三、四人の共同生活、僕がベッドで横になっていると〝コンコンッ〟とドアをノックする音が聞こえた。同室の学生が返事をしてドアを開けると、
「矢本さん、いらっしゃいますか?」
「あぁ、僕ですけど」
ベッドから起き上がりドアまで行くと、そこには四十代位の女性が立っていた。
「あっ私、チューブルックのマネージャーをしております大井と言います」
――げっ! 何でここにチューブルックのマネージャーが!?
思い当たる節と言ったら……葵ちゃんしか考えられないが、僕は何か悪い事したか? 彼女には指一本触れて無いし……もしかしてあれか? ヌードデッサンした事あるってセクハラ発言なのか? だがこの大井と言うマネージャーは、
「お疲れの所大変申し訳ありません、大変心苦しいのですが……少し協力していただけますか?」
え、えぇまぁ……えっ!?
※※※※※※※
僕は大井さんに案内され別棟に向かった。
「あ、あの……何で僕が」
チューブルメンバーと会ってからの呼び出し……悪い考えしか選択肢はない。
「今日メンバーの万水に会いましたよね? そこであなたが先生だと……」
ますますヤバい状況! すると大井さんはある部屋のドアの前で止まった。
「どうぞ」
彼女がドアを開けて、僕が恐る恐る中に入るとそこには……
「こんばんはー」
中学生くらいの女の子が大勢集まっていた……チューブルのメンバーだ。
「えっ、これは?」
「えぇ、実は……」
大井さんの話だと、僕が教師だと知った葵ちゃんが他のメンバーにその事を話したそうだ。メンバー全員が中学生で学校が夏休み期間中の彼女たちは、レッスンと同時に「夏休みの宿題」にも追われていた。そこで僕を家庭教師にして勉強を教わろう……と彼女たちが言い出したそうなのだが、
「いやいや待ってください! 僕は美術教師なので他の教科は……」
まぁ世界史だったら教えられるが……中学校って世界史あったっけ?
「無理を言って申し訳ありません、その事は百も承知しております。ただ、この子たちが言う事を聞かなくて……」
「先生! よろしくお願いしまーす」
一点の曇りも無くこちらを見て微笑む彼女たちに根負けした。まぁ中学生位なら何とかなるだろう……僕は急遽、彼女たちの家庭教師になった。




