憎悪の表情
まさか桂(相模絵美菜)が帰っているとは……。
彼女が所属するアイドルグループ「カントリバース」は現在、五大ドームツアーの真っ最中だ。今は大阪と名古屋のライブの合間……てっきり彼女は向こうに居るものだと思っていた。
この日の僕は午前中で仕事が終わり、午後は予定が無かったのだが、世界史の先生から中間試験の採点を手伝ってほしいと頼まれてしまった。
こんな時にまさかの呼び出し……僕は待ち合わせ時間に三十分ほど遅れて、桂が指定したラブホテルにやって来た。
「まっくんお久しぶりー」
時間制限のある「休憩」で遅刻してしまったが、桂はそんな僕を責める事無くハグして出迎えた。既にシャワーを浴び、バスタオルを体に巻き付けた姿だ。
「どうしたの急に? 名古屋か大阪に居るんじゃなかったの?」
僕がそう言うと、桂は一瞬キョトンとした顔をした。だがすぐに僕の言っている事が頓珍漢な事だと気付いたらしく、クスクスと笑い出した。
「何言ってんのまっくん! 大阪から名古屋(公演)まで二週間もあるのよ、その間も毎日の様にこっちと行き来してるし……あははっ、ウケる!」
そうか、よく考えたら彼女たちはスーパーアイドル。ほぼ毎日仕事をこなしてるんだよな……テレビでカンリバを見ない日は無い。僕の考えは浅はかだった。
「今日はまっくん、空いてる日だって言ってたよね? それに私、そろそろ排卵日だからセックスしたくなってきちゃった! だから呼んだのよ」
桂はとても性欲が強い女性だ。この前会った時も「生理前だから」などと言っていたが、正直この人は生理周期関係無いのでは? とさえ思ってしまう。
「じゃあまっくんもシャワー浴びてきて! 私、まだやる事あるから」
そう言うと桂はスマホを取り出した。仕事の電話か、はたまたSNSの更新か……彼女がしている仕事の全貌はわからないが、とにかく大変だなぁと思いながら僕はシャワーを浴びた。
僕がシャワーを浴びていると、シャワー室の向こうから桂が話し掛けてきた。
「ねぇ! 今日は……って……何かあっ……」
桂は大きめの声でしゃべっている様だが、如何せんシャワーの音に掻き消されて聞こえない。僕は一旦シャワーを止めて桂に聞き直した。
「えっごめん! よく聞こえなかったんだけど」
「だからぁ! 今日は暇な日だって言ってたけど……何かあったの?」
何だその事か、そういや遅れたのに謝っていなかったな。ちゃんと桂には理由も説明しておこう。僕はシャワー室の扉を少し開け、彼女に遅れた事を詫びた。
「そういや、遅れてごめんね」
「いいのよ! お互い仕事が優先だし」
桂は僕を咎めなかった……特に怒っている訳じゃ無い様だ。安心した僕は、まだボディソープが体に残っていたので扉を閉めて話を続けた。だが、
「いやぁ、テストの採点が遅れちゃってさぁ」
気が緩みついポロッと出てしまった言い訳。この何気ない一言で……
――僕と桂の関係にヒビが入ってしまった。
「……」
あれ? 反応が無い……どうしたんだろう? しばらくすると声のトーンが一段下がった桂の声が聞こえた。
「ねぇ……採点って……どういう事?」
そうだ、僕はまだ自分の職業を桂に明かしていない。教師は未だに「聖職者」というイメージを持たれている嫌いがあるので、ぶっちゃけ桂には言い難かったのだが仕方ない、教師だって人間! 彼女の職業だって知っている訳だし、ここは同じ立場にするため明かしておこう。
「あ、あの実は僕……高校で先生やっているんだ……非常勤だけどね」
非常勤が何の言い訳になるかわからないが……ところが、
「せ、先生!? あ……あなた、先生だったの!?」
すりガラス越しに桂の動揺した声が聞こえた。えっ、そこまでショッキングな事なのか? 桂の反応に驚いた僕が再びシャワー室の扉を開けるとそこには……
まるで親の仇でも見つけたかの様に、こちらを睨み付けている桂の姿が! えっ何で? 僕は完全に彼女の地雷を踏んだみたいだが、理由が全くわからない。
「私、先生っていう職業が死ぬほど嫌いなのよ!」
今まで見た事が無い桂の表情……これは完全に「憎悪の表情」だ!
「もういい! 私、帰る!」
そう言うと桂は服を着始めた。えっ……職業が「先生」だから!? 何だよその理由! 余りにも不条理だ! 僕はしばらく呆然としていたが、こんな意味不明の状態で桂に帰られたら納得がいかない!
「ちょっと待って! 僕が何をした!? せめて理由だけでも……」
「もうあなたとは会いたくない! 顔も見たくない!!」
会話が成立しない状態の桂は、叫ぶ様な声で僕の制止を振り払った。精算機の前で立ち止まり、財布から現金を出すとその場に置いて
「まだ時間あるからご自由に! もう二度と連絡しないで! さようなら!」
そのまま帰っていった。僕はシャワーを浴びてバスローブ姿なので追いかける事も出来ず……ただただ立ち尽くしていた。




