うなされた桂
「い、いやだぁ……」
――えっ?
隣で爆睡していたと思われた桂が何か呟き出した。嫌だって言われても……僕は彼女に指一本触れていないのだが。
「やめてよぉ! 何でこんなことするの!?」
今度は大きな声を上げた! 喚いた、と言った方が正解かも知れない。この時点で僕は、桂が寝ている間にうなされていると確信した……これは寝言だ! 更に彼女の口から驚きの発言が、
「いやだぁ! やめてよぉ! やめてってば先生!」
えっ!? 先生って……僕はまだ桂に自分の職業を教えていない。聖職者とも言われる「教師」がセフレ……正直に言いたくないので、もし彼女から聞かれた場合は「フリーター」と答えるつもりだった。ある意味間違ってないし、まだ聞かれた事は一度も無いのだが。
じゃあ何故、桂は僕が教師だと知っているのだ? まさか僕が寝言でしゃべってしまったとか……? だがこの後の一言で僕の頭は更に混乱する。
「ダメ……ダメだってば! パパ! それはダメ!」
パパ!? 何で父親が……全く訳わからん。だがどうやら父親が登場した事で、僕とは別人の教師の可能性が出てきた。
それにしても……流石にここまでうなされていると心配になって来る。僕は桂を起こしてやろうと、そっと近づいて彼女の顔を見た。すると……
――!?
瞑っている桂の目から大粒の涙がこぼれ落ちていた。それは枕を濡らす程、しかも呼吸が浅い……これは普通じゃない! 余程の恐怖、あるいは悲しい事でも経験しなければこうはなるまい。
「お、おいっ桂! 起きろ」
僕は桂の肩を軽く揺すって強引に起こした。
「んあっ! あぁ、おはようまっくん」
眠りが浅い時に起こしたせいだろう。思いのほか彼女は、僕をニックネームで呼ぶ位ハッキリと目覚めた。だが僕が
「どうしたの? 何かうなされていたみたいだけど」
と聞くと、桂は急に何かを思い出したように体が震え出し、
――えっ?
いきなり僕に抱き付いた! 抱きしめる力が強すぎて痛みを感じる程だ。しかも全身が震えている……間違いない、彼女は「悪夢」を見ていたのだ。
「ごめんなさい、しばらく……このままにして」
桂は謎が多い女性だ。彼女がアイドルの相模絵美菜だとわかって、少しだけ謎が解けたと思ったのも束の間……まるで少年漫画の敵キャラのように、次々とレベルアップした「謎」が襲い掛かってくる。
※※※※※※※
「ごめんなさい、取り乱しちゃったみたいね」
ようやく落ち着きを取り戻した桂は、枕元のティッシュで涙を拭き取りながら僕に謝った。僕は何もしていないので謝られる筋合いは無いのだが……ただ、抱きしめてきた際に爪を立てられたので少し背中が痛い。
「はぁ、またあの夢か……よりによってこんな時に……」
桂は独り言の様に呟いた。また……って事は、もう何度も同じ「悪夢」を見ていたのだろうか? だとすれば彼女は、想像を絶する心的外傷を抱えているのかも知れない。
「何があったの? 良かったら聞かせてくれる?」
僕は大学で社会心理学の単位を取っている。正直これが役に立つかどうかわからないが、僕は桂の悩みを聞いてやろうと思った。だが、
「ごめんなさい、まっくんは関係ないから気にしないで! ホントごめん」
桂は平謝りするだけで、悩みを打ち明けようとはしなかった。
「えっ、あっいや……こっちこそ出しゃばった真似してごめん」
――それもそうだ。僕たちはセフレ、「セックスフレンド」だ。
一応「友だち」と名乗っているが……実際は体を重ねる以外、僕たちは「赤の他人」だ。僕は今回、彼女がアイドルの相模絵美菜だと知って少し打ち解けた……と大きな勘違いをしていたのだ。
――これが今の僕たちなんだ。
※※※※※※※
「じゃあまっくん、またやりたくなったら連絡するね!」
チェックアウトする時は既に「いつもの桂」に変わっていた。まぁでも、「いつもの桂」がどの状態なのか今の僕には皆目わからない。なのでこれは僕の知っている「いつもの桂」だ。
今回は僕の方が早い時間に仕事(授業)があるため先にホテルを後にした。よく考えたら朝帰り……このまま学校へ行くのは流石に気が引ける。一度家に帰って着替えよう。
夜はあれだけ騒がしかったラブホ周辺も、朝は何事も無かったかの様にひっそりと静まり返っている。唯一五月蠅いのはゴミを漁っているカラス位だろう。
昨夜から今朝に掛けて色々な事が有り過ぎた。このカラスの鳴き声しか聞こえない静けさがとても心地良い。
この心地良い雰囲気と同じように、僕と相模絵美菜……もとい、鮎川桂との関係は続いていくのだろうか? それとも……
とりあえず、桂が何に「うなされていた」のか……それだけは気になる。




