シャルムとエイミー
エイミーがトーマスと共に足を進めていくと、激しさを増していた魔術の応酬が、ふと前触れもなく止んだ。
「……気づかれたか」
トーマスが呟くのと同時に、砂埃の向こうから矢のような魔術が一気に襲ってきた。ラークに向けられていたような、拘束魔術ではない。明確な殺意が込められている、攻撃魔術だ。
「下がってください!」
トーマスは突き飛ばすようにエイミーを後ろに庇うと、急いで杖を構えた。銀色に光る矢は数が多いだけでなく、速さも凄まじい。防ぎきれるか頭で計算する暇もなく、防御魔術を展開するも、すぐさま盾にヒビが入ってしまった。
「……くっ」
これを一人でしのいでいたなんて、ラークは化け物だとトーマスは薄笑いを浮かべた。ブラン王族の力は計り知れないものだと聞いていたが、実際に手合わせをする機会などそうそうない。正直言って、高位魔術師とはレベルが違う。
「後退しますっ。これ以上は危険です」
「……そんなっ、まだ私は――」
足元でエイミーが何か訴えていたが、耳を傾けている余裕はない。そうしている間にも攻撃の数は見る間に増えていき、ついに亀裂が全体に広がってしまった。
「……しまっ――」
エイミーだけでも守ろうと、トーマスはかがんで彼女に覆いかぶさった。しかし、衝撃に耐えようと丸めた彼の背中に、矢が当たることはなかった。
「…………なんだ?」
恐る恐る顔を上げると、短髪を振り乱し、息を切らせて走ってきたラークと目が合った。
「……お、お前。どうやって、ここに……。ブラストを使ったのか?」
「俺の方こそ聞きたい。何しに来た」
ラークの目は煌々と光っていた。腹の中では抑えきれない怒りと憎しみが、目から溢れ出しているのだろう。魔力の消費による憔悴が透けて見えたが、それを圧倒するほどの強い感情がラークを動かしているのだ。
「……頼まれたんだよ、彼女に。シャルム・ブランの所まで、連れて行きたい」
「……?」
そこで初めて、ラークの視線がトーマスからエイミーに逸れた。膨大な魔力を静電気のようにまとった彼の姿に、エイミーは身を縮こまらせた。
「おい、やめろよ。僕たちは邪魔しに来たわけじゃないんだ」
「…………どうだか」
ラークがこちらに合流したことに気付いたのか、先程までの攻撃魔術の雨はいつしか止んでいた。けれど、新たな拘束魔術の光を察知し、ラークは話すのをやめて防御魔術の詠唱を始めてしまった。
「聞いてくれ。彼女の言葉なら、シャルム・ブランは耳を貸すかもしれない」
「……それは、勘か?」
詠唱を終えたラークが、トーマスを流し見た。人より並外れた、トーマスの勘。その信憑性は極めて高いが、ラークには危ない橋に思えた。
「そうだ。このまま戦い続けたところで、勝つ見込みは五分五分といったところだろう? まったく、シャルム・ブランもとんだ爪を隠していたもんだよな」
「…………」
リタやザハラ、シュルツを逃がすため、ラークが消耗戦を強いられていた負担は大きい。最初から全力で戦えていれば違ったのかもしれないが、現状はシャルムの方が優勢だった。今しがた張った防御魔術も、刃こぼれするように光が欠けており、精度が落ちてきているのは一目瞭然だ。
「……そういえば、リタは?」
無事に逃げたものと思い込んでいたが、エイミーがここにいて、リタがいない状況にラークは違和感を覚えた。ようやく再会できた母親と、すんなり別行動を取るような娘ではないはずだ。
「…………マルグリットは――」
エイミーが口を開いたところで、パタパタと駆け寄ってくる足音がラークの耳にも届いた。
「お母さんっ!」
「…………マルグリット」
付いてきてしまったのね、とエイミーが嘆息交じりにつぶやいた。母として親同士の諍いに巻き込みたくはなかったのだが、娘には伝わらなかったようだ。
「私も行くっ」
意気込むリタの姿に、トーマスはしめたとエイミーの腕をつついた。
「娘さんが来れば、ラークもついてきます」
「……っ」
小声で囁かれたエイミーは、はっと目を見開いた後、リタとラークを交互に見やった。
「……いいわ。あなたも一緒に、行きましょう」
「なっ」
この展開に異を唱えたのは、もちろんラークだが、トーマスに止める気はなかった。
「お前はリタちゃんを守っててくれればいい。……娘なんだから、リタちゃんにだって知る権利があるはずだ」
「………………」
ラークが縋るように、トーマスからリタへと視線を移した。けれどリタにはもう、引き下がる素振りはなく、結局彼も首を縦に振ることになった。
「全員は、……無理だぞ」
「僕は、自分の面倒くらい自分でみられる。……彼女も、覚悟を決めてきたはずだよ」
「……ええ」
こうして4人は、蜘蛛の巣のように広がりながら迫ってくる拘束魔術を潜り抜け、徐々にシャルムへと近づいて行った。――そしてついに、吹きすさぶ風の向こうに、ぼんやりと佇む長身の姿が見えてきた。
「…………っ! ……リシャール」
気持ちがはやり、エイミーがバランスを崩して前に倒れこんでしまった。ばらけた長い黒髪が、風に弄ばれていく。それに呼応するように、振り返った長身の黒髪がふわりとなびいた。
「なぜ、ここに……」
掠れた声とともに、拘束魔術がピタリと止んだ。一帯は静寂に包まれ、晴れていく視界の中で、彫刻のように整った男の顔があらわになっていく。
「…………やっと、会えた」
漆黒の瞳に、左肩の上で束ねた長い髪。記憶の中の彼よりも、随分と大人びていたが、エイミーにはそれが“リシャール”だとすぐに分かった。
「……今更、なにを――」
泣き笑いのような表情を浮かべたエイミーを前にして、シャルムの髪留めを抑える手にぐっと力が込められた。――対照的な反応を示す二人。しかしその脳裏には、共に過ごした記憶が蘇ってきたのであった。
◇◇◇
顔はいいのに、愛想のない男。それが、両親の営む商店を訪れたシャルムに、エイミーが初めて抱いた印象だった。まるで女を避けるかのように、顔を伏せ、ろくに笑いもしない。それでも、彼は店に何度もやってきた。
『いつもありがとう。……ねえ、たまには笑って見せてよ。美丈夫なのに勿体ないわ』
『………………』
余計なお世話だ、と言わんばかりのシャルムの冷たい目に、エイミーが動じることはなかった。大規模な流通経路を持つ商会とは違い、コルデーロ商店は馴染みの客を相手に細々とやってきた老舗の店だ。客との距離が近いのが強みであり、看板娘として可愛がられていたエイミーは、シャルムにも気さくに接していた。
『また、宝石? ここらじゃ、そんなに良質なものは採れないわよ。魔術に使うようなものなんて、聞いたことないわ』
シャルムは密かに、ノワール国内で採掘される宝石を調べていた。ロンカイネン家が保有するような逸品でなくとも、魔道具を作るのに大いに役立つからだ。父であるブラン王からは、偵察の命しか受けていなかったが、問題ない。いずれ国を乗っ取るためには、自らの力を増強させる可能性を、捨て置くことなどできなかった。
『熱心に通ってもらってるのに、ごめんなさいね。……ふふっ。少し間をあけないと、私に気があるのかって、勘違いされちゃうわよ』
実のところ、最初に店に来てくれた時から、エイミーはシャルムが気になって仕方がなかった。それが、彼を元気づけたいという、看板娘の矜持ではないと気付いたのは、もっと後になってからであったが。
『……逆だろう』
『え?』
茶化したつもりが、激しさを湛えたシャルムの瞳に、エイミーはおののいた。こういった類の男は、色恋沙汰には狼狽えることが多く、素の反応を見られることを期待したのだけれど。思わぬところで、シャルムの地雷を踏んでしまったらしい。謝罪をしようか迷っていると、突然シャルムが手首をさすりだした。
『どうしたの?』
カウンター越しに近づき、声をかけると、至近距離で目が合った。そのまま、数秒間見つめあう。実はその間、シャルムは封印の腕輪を外していたのだが、エイミーには分かるはずもなかった。
『……気を悪くしたのなら、ごめんなさいね。そんなつもりはなかったのよ』
やはり怒っているのかと思い、エイミーは謝ってその場を離れた。しかし、後ろから刺すような視線を感じて、つい振り返ると、零れ落ちそうなほど大きく目を見開いたシャルムと目が合った。黒曜石のような瞳は見る間に潤んでいき、ついに一粒の涙が頬を転がり落ちていった。
『ちょっと! 泣いてるの?』
エイミーが慌てて駆け寄ると、シャルムはぶつぶつと何かつぶやきながら、手首をさすり続けていた。
『……そうか。君だったんだな』
『なに? おかしなこと言ってないで、涙を拭いてちょうだい』
ハンカチを差し出したエイミーの手を取り、シャルムはその時初めて、――エイミーに笑いかけた。少年のような邪気のない笑みに、エイミーは面映ゆくなってしまった。
『ほら、おまけ付けるから許してちょうだい』
『ははっ』
それから、シャルムの浮かべた笑みが、何をしても頭を離れることはなかった。次に店に来てくれる日が、待ち遠しくてたまらなくなり、二人の距離は瞬く間に縮まっていった。そんな矢先に、エイミーは妊娠していることに気付いたのだった。
『……子どもができたの。私はあなたと――結婚したいと思ってる』
シャルムがどんな反応をするか、怖かった。彼の瞳は、思ったよりもずっと暗く冷えていた。きっと不安だったのだろう。
『うちは代々商店をしているから、あなたに跡を継いでもらえたらって思っているんだけど……。そういえば、あなたの親御さんにご挨拶もしなくちゃね』
これからの未来には、楽しいことばかり待っているのだと。心配することなど何もないのだと主張するように、エイミーはまくしたてた。
『家は王都がいいと思うの。私もここで生まれ育ったし、慣れた土地の方が安心だわ』
自分の声も言葉も、はっきりと思い出せるのに。シャルムがどんな顔をしていたのか、何を話していたのか、思い出せない。だから、ペンダントを渡されたとき、頭が真っ白になった。
『……私の気持ちを疑うの?』
そして始まった口論は、酷いものだった。あれほど愛し合っていたのに、何が二人を駆り立てるのか、敵とみなした恋人にぶつけた言葉は耳を塞ぎたくなるようなものだった。
『君が愛しているのは私じゃない。腹の子だ』
『どうしてそうなるのっ? 二人とも大事に決まってるじゃない』
『……もういい。やはりお前も同じだった』
エイミーには、最後までシャルムが何を考えているのか分からなかった。ただひたすら、彼の言葉を否定することしかできなかった。
――あのときどうしたら、家族3人で暮らせていたのか。その答えはずっと、分からないままだった。




