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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第8章 最後の戦い
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再会

 下から持ち上げる強烈な風に、リタは何か思う間もなく、空高く吹き飛ばされていた。石や砂利に交じって、壊れた壁の破片や玄関ホールの階段の手すりが、宙を舞っていく。足が地についていない違和感と、お腹が浮くような不快感で吐き気が込み上げてきた。


「……たっ、助けてっ……」


 リタは誰にともなく、風の中で呟いた。風圧で、とても大きな声なんて出ない。レーヴのことが頭をかすめたけれど、そばにいたはずの彼の姿は、もう何処にも見えなかった。


(……目が、痛い)


 視界が悪く、自分がいまどこにいるのかも分からない。体が千切れてしまいそうだ。一刻も早く止まってほしいけれど、そうなれば墜落するのかと思うと、それも怖かった。


(……誰かっ、……何かっ)


 無意識にリタは、何かに縋ろうと腕を伸ばしていた。すると指先に小石が当たり、火傷のような鋭い痛みが走った。


「……くっ」


 腕をお腹に巻きつけ、目をつぶって小さくなった。物が当たっても、多少はましになるはずだ。そんなリタの周囲を、ふいに下から飛んできた銀の膜が、くるりと覆った。


(……あれ?)


 急に風とすさまじい音が遮断され、リタは異変に気が付いた。大きなシャボン玉のような泡が、守ってくれている。だが、竜巻に振り回されているのに変わりはなかった。


(いつまで、続くの?)


 衝突の恐れはなくなったとはいえ、レーヴのことが気がかりで落ち着かない。彼は恐らく、リタのようには守られていないはずだ。この魔術はきっと、シャルムがリタを保護するために放ったものだろう。


(こんな瓦礫が当たったら、落ちる前に――)


 致命傷を負っていても、おかしくはない。レーヴのそんな姿を想像して、リタの背中をぞくぞくと悪寒が走った。そして、吐き気に耐えられなくなってきた頃、ようやく竜巻の勢いが弱まってきた。


(と、止まるの? どうしようっ)


 はるか下に、半壊状態のノワール王城が見えた。上に持ち上げようとする力を失い、リタの身体は一直線に落下していった。内臓が別の生き物のように、体の中でうごめいている。ぐるぐると万華鏡のように世界が回り、意識が遠のいていった。


(……もう、ダメ)


 リタが限界を迎えた、まさにその時――、彗星のような銀の尾を引く影が、弾丸さながらの勢いで飛んできた。ホウキも使わず、身一つで。人影は空中でリタを受け止めると、そのままその場で静止した。こんな芸当ができるのは、重力魔術に長けた魔術師――ラーク・ミュセルだけだ。


「……間に、合った」


 ラークは泣きそうな声で呟くと、少女の閉ざされた瞼にそっと触れた。羽織っていたマントが風に煽られ、毛布のようにリタを包み込んだ。フードが脱げ、白い短髪が露になる。銀の膜は衝突で弾け飛び、跡形もなく消えていた。


「………………リタ?」


 ラークはためらいがちな、震える声でリタの名を呼んだ。――もう一度。返事をするまで、何度も、何度も。しかし、リタの意識はなかなか戻らず、彼は彼女の頬を優しく叩いたり、腕をさすったりした。


「……返事を、してくれ」


 ようやく、リタが重たい瞼を開かせた。灰色の瞳が、力なく空を見つめる。ラークにはそれが、花が咲くように美しく見えた。


「リタ? 聞こえるか?」


 リタは、何が何やら分からなかった。どうやら自分は生きているようだ。けれど、足は頼りなく空に投げ出されたままだ。それに、誰かに抱えられている。


「……だ、れ?」


 先ほどから、何度も名を呼ぶのは。リタが腕の中でくぐもった声を上げると、背中に回された手に力が込められた。リタはぼんやりとした頭で、自分の手を握り締める、骨ばった手を見つめた。ごつごつとしていて、大きい。これで温かくなくて、冷たかったら――この人はラークかも、しれないのに。


(……そんなわけ、ないか)


 しん、と雪が積もるように心が冷えた。ラークがリタの名を呼ぶわけがない。呼んでくれる、はずがない。耳元に当たる鼓動だって、リタが知っているそれよりも、ずっと不規則なものだ。


(……なのに、なんで)


 “彼だ”という気が、するのだろう。何度も期待して、そのたびに裏切られた。嬉しそうな顔なんてしたくない。泣くのは、もっと嫌だ。ぐっと目と口に力を入れて、リタは恐る恐る顔を上げた。


「ラー……ク?」


 耳に吐息が当たった。鼻と鼻が触れそうなほどに近い。線で描いたようにくっきりとした二重と、そこに収まる銀の瞳。縁取るまつげはリタよりも長く、顎は折れてしまいそうなほど細かった。人間離れした妖精のような顔立ちは、紛れもなくラーク・ミュセルのものだ。


「……ああ」


 かすれた、低い声でラークが答えた。ほっとしたように、頬が緩んでいく。それでいて、どこか痛むかのように唇を嚙んだ。その仕草に、リタは眉をひそめた。いつも超然としていた彼とは、随分様子が違ったからだ。


「ほんとに、ラークなの?」


 目の前の人間が、ラークの皮をかぶった別人のように思えて、リタは夢でも見ているのかと思った。そうだ。もしかしたら、あのまま落ちて、助からなかったのかもしれない。都合のいい夢なら、全部説明がつく。


「……ああ」


 ひとまず状況を確認しようとしたリタは、ラークの腕の中で身じろぎした。その拍子にワンピースがずれ、ポケットに入れておいた紫のリボンが、ちらりと顔を出した。周囲に広がるのは雲ばかりで、人の姿は一切ない。皆下に落ちてしまったのだろうか? そう思い当たるのと同時に、はっとしてリタはラークの胸元を掴んでいた。


「レーヴがっ……ブラン人の男の子がいたはずなの! お願い、助けてあげてっ」


 あの小さな体躯が、地面に叩きつけられていたら、ひとたまりもないだろう。今からでも遅くはないと半狂乱で詰め寄るリタの手を、ラークがやんわりと抑えた。


「……子どもは、無事に下ろした」

「無事なの?」


 怪我はないのだろうか? いやでも、安心できない。ここはノワール王城だ。ノワール人に攻撃される可能性だってある。緊張したままのリタの面持ちを見て、ラークが続けた。

 

「城の外まで、トーマスが来ている。そこに下ろした」

「トーマスさんが? ……良かった」


 ウェルデンが言っていた、トーマスが来てくれるという言葉が、頭をよぎる。あれは、予言だったのかもしれない。リタはラークが指した方向を見ようと、さらに身をよじった。すると紫のリボンが風にさらわれ、瞬く間にポケットから出ていってしまった。


「……あっ」


 リタがその姿を認めた頃には、リボンは手の届かない彼方へと飛んで行こうとしていた。


「大変!」


 リタは身を乗り出して、リボンを掴もうとした。だが、その体はラークにがっちりと捕まえられてしまっていた。


「ちょ、ちょっと! リボンが……あなたの妹さんの、リボンがっ」

 

 慌てているせいで、うまく言葉にならなかった。けれどラークはすぐにリタの視線を追い、シエラの形見であるリボンを捕らえた。リタは当然、ラークはリボンを取りに行こうとするものだと思っていた。だが彼は、いつまでたっても動き出そうとはしなかった。


「ね、ねえ? どうしたの?」


 例え夢だとしたって、いくら何でもこれはおかしい。ラークが、あれだけ執着していた妹の形見を手放すなんて。俄かには信じられない。


「……もう、いいんだ」

「えっ?」

「……すまなかった。……ずっと、謝りたかった」


 少年のようなまっすぐな瞳が、リタを逃すまいと、至近距離で見つめてきた。十中八九、リタをシエラの代わりにしていた件だろう。謝られたからと言って、簡単に許せるような問題でもなかったため、リタはただじっと、続く言葉を待っていた。 


「……俺が、憎いか? ……それとも、怖いか?」

「…………えっ、と――」


 突然謎の二択を出され、リタは咄嗟に選べなかった。そもそも何でこんなことを聞かれたのか分からないが、直感的にどちらも違うと思ったのだ。


(確かに腹も立ったし、それに――怖くないわけじゃない)


 今のラークは別れた時より、随分表情豊かになっている。けれどリタの脳裏には、彼がブランの倉庫で過激派を葬り去った姿が、焼き付いていた。この男は、敵とみなした人間を顔色一つ変えずに、殺してしまえるのだ。


(怖いのは怖いけど、でもこの人は、今も私を――)


 助けに来てくれた。ラークのことを恐ろしい悪魔だと切り捨てるには、リタは彼のことをまだ十分に知っていなかった。この胸にはびこる、軋むような痛みは、もっと別のものだ。


「……悲しかった、です」


 思うより先に、言葉が紡がれていた。言った後で、ああそうかと納得した。リタは悲しかったのだ。ラークの気持ちがリタを通り過ぎて、シエラを見ていたことが。頑なに名前を呼んでくれなかったことが。 


「……名前。呼べたんですね」


 ラークの長いまつげを、白い前髪がかすめた。そういえば、髪が短くなっているみたいだ。一束一束長さの違うぼさぼさだった頭が、今は襟足が少し長いくらいで揃えられていた。泣き笑いのような顔で髪に手を伸ばすと、その手をラークが震える手で握りしめた。


「…………リタは、リタだ」

「……っ」


 唐突な告白に、リタは数秒息をするのを忘れてしまった。ずっと欲しかった一言。誰かに自分という存在を、認めてもらいたくて、それから――。


「守りたいんじゃない。……ただそばに、いたいんだ」


 繋がれた手をラークが口元に運び、そのまま祈るように口づけた。傷口から流れていた血を、舌で拭っていく。


「きっ、汚いよっ」

「……汚くない」


 そうされて初めて、リタはずっと見ないふりをしてきた心の穴が、温かいもので満たされていくのを感じた。


(……ああ、私この人のことが――)


 好きなのだ、と認めざるを得なかった。ノワールに渡ってからも、ラークのことを思い出さない日はなかった。それは心浮き立つような感情ではなかったが、気にせずにはいられなかったのだ。そして今、こうしているのが、心地よい。


「……私も、一緒にいたいです」


 ラークが繋いでいた手をほどいて、赤くなったリタの耳に添えた。吸い寄せられるようにリタが顔を上げると、親指で軽く唇をなぞられた。問いかけられているような気がして、リタが頷くと、今度はしっとりとした感触で唇を覆われた。



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