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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第8章 最後の戦い
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暴風雨

 目の前の女に突然殺意を向けられ、リタは戸惑っていた。それもそのはず、リタは今まで、面と向かってザハラと会ったことはなかったのだ。


「ほんと、目障りよねえ。アンタのせいで、シュルツまで――いなくなっちゃったじゃない」


 女が門を潜り抜けて、リタのもとへと歩み寄ってくる。黒いピンヒールが、コツコツと鋭い音を立てた。  


(この人、さっきから何を言ってるの?)


 どうやらリタに激しい恨みか憎しみを抱いているようだが、いくら思い返しても身に覚えはない。灰色が気に食わないにしても、彼女の髪や目だって“赤茶色”だ。――と、そこまで考えたところで、リタの思考が止まった。


(……黒でも白でもない。赤色?)


 それは、およそリタの人生では巡り合ったことのない色彩だった。島の人間にはあり得ないその色に、リタの背中に冷や汗がにじんできた。


「めんどくさいから、さっさと終わらせましょ」


 すっと線を引くように、女が手にした杖を持ち上げた。その先端が自分に向くのを見て、無意味だと分かっていても、リタは両腕でお腹をかき抱いた。


「デトリュイールッ」


 勝ち誇ったような、嘲りを含んだ女の笑み。素早く飛んでくる赤い光が、リタには止まっているかのように、ゆっくりと見えた。慌てて取り押さえようとしている衛兵は、何か見えない壁で阻まれたように、足止めを食らっている。視界の端で、レーヴが掴みかかってきた衛兵を、逆に昏倒させていたのが見えた。彼なら、一人でだって、きっと逃げられる。


(……わたしは、――死ぬ、の?)


 赤い光が胸を貫けば、まず間違いなく絶命するだろう。頭の中がぐちゃぐちゃになって、もう悲しいのか怖いのかやりきれないのか、自分でも分からない。ただ迫りくる光を前に、静かな絶望が胸に迫ってきた。


(……結局、来てくれなかったな)


 ラークは最後まで、会いに来てくれなかった。彼を突っぱねたリタのことを、妹以上に思ってくれることなんて、なかったのだ。目を見開いたまま、リタは運命を受け入れようとしていた。しかし次の瞬間、銀色に輝く光の盾が彼女を覆った。


「シールド」


 赤い光が盾に弾かれ、霧散して消えていく。ロンカイネンの魔女が放った、死の呪文であるというのに。それを誰かが、ただのシールドで打ち消してしまったのだ。ついリタは、ここにいるはずのない彼の名を呟いていた。


「……ラー、ク?」


 しかしそれに答えたのは、不自然なほど落ち着いた、ベルベットのような声だった。ラークは絶対に、こんな余裕を醸し出すような口調で話さない。


「やれやれ、こんな所にいたとはね」


 件の人物が、階段の上から降りてくる。一歩一歩踏みしめるような、ゆったりとした足音が迫ってきた。耐えられなくなってリタが見上げると、長い黒髪を、左肩の上でゆるく結んだ男と目が合った。


「何をしているのかな? ダメじゃないか、逃げ出すなんて」

「…………あっ」


 闇のように黒い瞳に射すくめられ、リタは身震いした。この城で、最も警戒しなければいけない人物――シャルム・ブランだったのだ。


「おかげで、魔術を使わされる羽目になってしまったよ。これじゃあブラン人だと、ばれてしまうじゃないか」


 変色の耳飾りのおかげか、シャルムの髪と目は黒のままだった。だが、彼の放った魔術は銀の光を帯びていた。ノワール人でないのは、一目瞭然だ。


「どう責任を取ってくれるんだい?」


 爬虫類に似たその目には、リタを道具としてしか見ていない冷たさがあった。責任とは何だろう? リタがシャルムに何をしたというのだろうか。


「こんなことをしでかすなんて、魅了が解けていたんだな。まったく、手間がかかる」


 面倒くさそうに、けれど淡々と事を進めようとする彼には、リタの気持ちなんて、これっぽっちも思いやる素振りはなかった。魅了にかけられているときも、客室にかくまわれているときも、ここまで露骨に煙たがられたことはなかったはずだ。


(……私が、思い通りに、ならなかったから?)


 そうとしか思えない。この男はリタを娘は愚か、人間ですらなく、使える駒のひとつとしてしか見ていないのだ。


「……どうして?」


 リタがか細い声を上げると、シャルムが眉をピクリと上げた。こうしている間にも、徐々に距離が縮まってきている。しかし、リタは魅了をかけられる恐怖よりも、もっと深い絶望の淵に立っていた。


「どうして? あなたは、私の――ち、父親……なんでしょう?」


 声が、みじん切りのように細かく震えた。シャルムが足を止める、そのつま先をリタは睨みつけていた。ただただ、怖かった。なんと返事が返ってくるのか。


「リタッ 大丈夫?」


 いつの間にかレーヴが、行き場のない手をふよふよと泳がせながら、リタのもとへと駆け寄ってきていた。


「あんなやつ、放っておこう。今のうちに、逃げないとっ」


 リタとレーヴを挟み込むように、門のそばにはザハラ、階段にはシャルムがいる。二人の利害が一致していないため、戦いになれば、混乱に乗じて逃げられる可能性はあった。けれどリタは、壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように、レーヴとシャルムを交互に見つめるだけだった。


「リタあっ。は、や、く!」


 本当は、引っ張ってでも連れ出したいのだろう。焦れたようにレーヴが地団太を踏んだ。そのとき、地を這うような低い声で、ザハラが割り込んできた。


「……私のことは無視? リシャール」


 細い女のどこから、こんな声が出てくるのだろう。先程まで晴れていた空は、いつの間にか曇りに変わり、ひんやりと冷たい空気が漂ってきていた。


「嫉妬かい? ザハラ。君は相変わらずだね」

「知ったような口を利かないで!」


 明確に、拒絶ととれる反応。予想外だったのか、シャルムが興味深そうに顎を手でさすった。 


「そうだね。随分きれいになった。まあ、美人になると思っていたけれど」

「……はあ? どの口で、そんなことっ」


 ザハラの顔が真っ赤になった。羞恥ではない。レンガ色の目は、燃えるように赤く染まっていた。――これは、怒りだ。


「その女! 娘なんでしょう? 散々私のことを利用して! 自分は子どもまでこさえてたってわけねっ」


 絶叫するザハラを、シャルムは白けた目で見ていた。聞き分けのない、子どもを見るような目で。


「確かに、“これ”は私の血を引いている。――使い道があるんだ。殺されるわけにはいかない」

「私のことを、捨てたくせに!」


 血のような叫びを、シャルムはそよ風のように流した。外の芝生を、降り出した雨が濡らしていく。


「お前はただ、魔術の才能あふれる、見目麗しい人形が欲しいだけだ」

「はあ!?」

「どこにも行かず、自らの意思を持たない種馬。心を失ったラークなら、適任ともいえるか」


 赤く染まったザハラの顔から、さっと血の気が引いていった。小雨は叩きつけるような雨に変わり、門の近くに立つザハラにも吹き付けていた。黒いワンピースが、水を吸って重くなっていく。


「私がお前を捨てた? 笑わせるな、お前の気持ちは“まがい物”だ。私はロンカイネンの婿として、お前のお眼鏡に適っただけだろう?」

「……さっきから、なにをっ」


 息をつく暇もない詰問。彼女の返事を待たずに、シャルムはとどめを刺した。


「その娘を殺したって、ラークがお前を見ることはない。顔と才能しか見ない人間が、まともに愛されるとでも? 自惚れるのも大概にしたらどうだ?」


 次の瞬間、玄関ホールを真っ白に染め上げるほどの雷撃が落ちた。城の近くに落ちたのだろう。雨は暴風を伴い、いまや竜巻でも起きそうな荒天になっていた。何かが焼けるような、嫌な臭いが鼻をつき、リタは外へと目を走らせた。城を覆う外壁の方から、衛兵と一緒に槍を担いだ部隊――黒豹が走ってきている。


「リタ! まずいよ、黒豹が来てるっ」


 レーヴも気付いたのか、泣きそうな顔でリタのワンピースの布地を引っ張っていた。シャルムが大げさなため息をつき、ザハラに向かって、虫でも追い払うように片手を振った。


「帰れ。私は忙しいんだ」


 シャルムの目は、もうザハラを映してはいなかった。黒豹相手に、どう言い訳するか。魅了をかけるにも、相手が多すぎる。いっそこのまま、事を起こしてノワールを乗っ取ろうかと、そんな考えに頭を支配されていた。――だから彼は、気付いていなかった。傷つけられた魔女が、目まぐるしい速さで、痛みを怒りへと変えていくのに。


「テンペスト!」


 ザハラが杖を高く掲げた。横髪が後ろにさらりと流れ、血のように赤い瞳が露になる。そのまま、魔女は嵐を呼ぶ呪文を唱えた。たちまち、立っていられないほどの風が吹き荒れ、玄関ホールとその一帯は、押し寄せる竜巻に吞まれていってしまった。




次回、ようやくラークとリタが再会できそうです。長らくお待たせ致しました。

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