遭遇
明け方のノワール王城では、まだ使用人たちも寝静まっているのか、闇雲に走っていても誰かとすれ違うことはなかった。
「リタッ、こっち」
リタは、長い白髪を揺らしながら前を駆けてゆくレーヴを、ひたすら追いかけていた。客室を出てから一度も足を止めていないため、段々息が切れてきてしまう。胸を押さえて声をかけようとしたとき、不意にレーヴがすっとわき道にそれた。
「隠れて」
「えっ?」
「急いで!」
慌てて彼に続き、曲がり角に身を潜めると、しばらくして誰かの足音がコツコツと近づいてきた。
「……っ」
見つからないようにと両膝を抱いて小さくなるリタの隣で、レーヴはすぐに逃げられるよう中腰で立っていた。自然と、目線の高さが同じくらいになる。
「大丈夫だよ、リタ。もし見つかっても、僕がどうにかするから」
「どうにかって……」
小声で問おうとするも、話し声を聞かれたらと怖気づき、リタは口をつぐんだ。恐らく、彼の持つ固有魔術を使うのだろう。リタの部屋に来る前は、二人はそうして城で凌いでいたのだ。触るだけで相手を気絶させられる、レーヴの能力。けれど、リタにはひとつ引っかかることがあった。
(それならどうして――さっきウェルデンを助けるために、力を使わなかったんだろう?)
ヤンに触れさえすれば、倒すことができたのだ。今からでも遅くはないと、リタは足音が通り過ぎるのを待ってから、レーヴに囁き声で問いかけた。
「ねえ、レーヴの力なら……ヤンさんを倒せるんじゃないの?」
「ヤンって、さっきのノワール人?」
「うん」
もと来た道のほうを振り返るリタに、レーヴはうつむいて首を横に振った。
「あいつと衛兵じゃ、全然ちがうよ」
「そうなの?」
「すごい動きだったもん。触れたとしても、腕がなくなっちゃう」
黒豹に接近するのは、それほどリスクがあることなのか。武術の心得など全くないリタでも、ヤンの身のこなしは目を見張るものがあった。確かに、あの槍の攻撃を避けて身体に触れるのは、無理かもしれない。
「…………ごめん」
レーヴは助けを呼ぼうと気持ちを切り替えているのに、蒸し返したことをリタは後悔した。横目で様子をうかがうと、レーヴは絡まったままだった髪を、ぐしゃぐしゃと両手でほぐし、さっと後ろになでつけていた。
「へーき。あそこまでヤバいのは、あんまりいないから。――それより、もう行こう」
「どこに向かってるの?」
「……わかんない」
レーヴは固有魔術で、人がいない方が直感的に分かるらしい。一定以上人に近づけば、思念が飛んでくるため、それを避けていればぶつかることはない。しかし日の出が近づき、行き来する人間の数が増えれば、いずれは逃げ道がなくなってしまうだろう。
「外に出られないかな?」
「……うーん。魔術使わなきゃ、それもありだけど」
窓から出ようにも、ここは2階だ。レーヴはともかく、リタには生身で飛び降りる勇気はなかった。
「や、やっぱり、階段でもいい?」
「うん。さんせい」
遠回りにはなってしまうが、仕方ない。廊下の窓からさす朝日が、徐々に強くなってきており、リタとレーヴの心までじりじりと焦がしているようだった。それでもしばらく歩いていると、ついに廊下の終わりに行き当たった。
「ここって……」
曲がり角から見た景色を、リタは1度通っただけだがよく覚えていた。吹き抜けで大きく開けた天井に、左右両脇からすっと下に伸びている2つの階段。間違いない、ノワール王城の玄関ホールだ。
「ここを降りれば、外に出られるよ。でも……」
「衛兵もいるし、人も多いね」
やっと見つけた出口だが、リタ同様レーヴも渋い顔をしていた。
「捕まる、かな?」
「うん」
揃って大階段を見つめたまま、二人とも動けずにいた。追いつめられるようにここへきて、戻ることも隠れることも、時間がたつほど難しくなっていく。状況からして、一か八か突破するしかないと、心の底では分かっていたのだ。
「ブラストつかえば、門まではいけるかも」
「でも私、杖がないと……」
ブラストは風の一般魔術だ。リタの今の力量では、かろうじて術式を省略できるくらいだろう。レーヴの杖を貸してもらうという選択肢もあったが、その先の戦闘のことを思うと、良い案ではなかった。
「じゃあ、走ろ?」
「……ごめん、私のせいで」
こんなとき、ウェルデンがいれば、リタのせいではないと慰めてくれただろう。だが彼は今、客室で一人ヤンと戦っている。それも、リタとレーヴを守るために……。行き場のない気持ちを抑えるように、リタは指をいじり始めた。するとその手の上に、小さな掌がかざされた。
「……レーヴ?」
「リタと一緒なら、かんばれるよ」
「……っ」
1番は兄さんだけどね、とはにかむレーヴに、気付けば指の動きが止まっていた。彼は双子の兄同様、もうとっくに覚悟を決めていたのだ。――命を懸ける、覚悟を。
(……考えてみれば、そうじゃない)
たった二人で、敵の本陣に忍び込んできたのだ。たまたま今日こうなっただけで、昨日も明日も安全なんて保障されていなかった。返答に詰まっていると、レーヴがかざしていた手を裏返し、リタへと差し伸べた。
「行こうリタ。きっとだ、い、じょ、う、ぶ、だからっ」
いたずらっ子のような笑みを浮かべる彼の手の上に、リタは触れないよう自分の手を重ねた。
「うんっ」
二人でタイミングを合わせて、壁の陰から飛び出した。幸い、ホールに出入りする使用人は数人程度で、衛兵も外を警戒して見ている。まだ、こちらに気が付いた様子は、ない。
(……このまま、振り向かないでっ)
しかしリタの必死の願いもむなしく、階段を半分ほど降りたところで、衛兵の一人がこちらを振り向いた。その目がみるみる見開かれていく。
「捕まえろっ!」
二人は、衛兵が来る前に門へたどり着こうと、残りの階段を飛ばして降りて行った。一足早く、レーヴがぴょんとウサギのように飛び降り、華麗に着地する。その真似をしたリタは、もちろんそんな優れた身体能力を持ち合わせていないため、床にべしゃりと崩れ落ちてしまった。
「リタ!」
数歩前を行っていたレーヴが、戻ってこようと向きを変える。その彼の背中に向かって、外からも衛兵が駆けてきているのが見えた。
「ダメッ、逃げて!」
このままでは、二人とも捕まってしまう。しかしリタが急いで立ち上がろうとすると、足首に鋭い痛みが走った。
「……くっ」
レーヴの呼ぶ声が、どこか遠くで聞こえる。自身の体が衛兵の影にすっぽりと覆われていくのに気づき、リタはぎゅっと目をつぶった。もう、ダメだ。結局自分は、足を引っ張ってばかりだった。けれどそのとき、目を閉じていても分かるほど強い閃光が、ホール一帯に弾けた。
「うわっ」
間近で上がった野太い男の悲鳴に、リタは何事かと目を開けた。あたりが、昼間のように明るい。徐々に収束していく光は、正門の下へと水のように流れて集まっていた。ほんの一瞬、リタはラークが来てくれたのかと期待した。だって、こんな時はいつも駆けつけてくれていたから。――けれどそんな淡い期待は、すぐさま若い女の声で打ち消されてしまった。
「やあっと、出てきたわね」
妙に艶のある、余裕に満ちた声。どうやら光は、彼女の持つ杖に吸い込まれているようだった。目が慣れるにつれて、女の目鼻立ちがあらわになり、リタはごくりと生唾を飲み込んだ。
「捕縛なんて、させないわよ」
レンガ色の髪に、同じ色をした猫のようなつり目。そして体のラインを強調する、黒いワンピース。
「アンタは私が殺す。ラークの前からも、リシャールの前からも――消えなさい」
門の下に立っていたのは、ロンカイネンの魔女――ザハラ・ロンカイネンだった。




