レーヴとウェルデン
ノワール王城が眠りに包まれていく中、国王であるファースだけは、苛々と寝室を歩き回っていた。
「ブラン王族が生きているとは、どういうことだっ」
先ほど日が落ちる前、ブランに残留していた兵士の一人が、伝令役としてノワールへ戻ってきていた。伝令が作戦の難航を伝えるや否や、ファースは不安に襲われ、すぐさまシャルムを呼び出したのだ。
「話が違うではないか! ラーク・ミュセルがいなければ、赤子の手をひねる様なものだと言ったのは、お前だろう?」
「まあ、落ち着いてください。陛下」
対するシャルムはゆったりと構え、片膝をついて忠誠の意を表していた。
「第2王子はもう、虫の息です。死にぞこないに、国を導くことなどできはしません」
「実際に見た者がいるのか? 我々を欺く嘘かもしれん」
悪い妄想ばかり膨らませるファースに、シャルムはやれやれとため息をつきそうになってしまった。王族の病気。それを敵国に教えて、ブランにいったい何のメリットがあるというのだろう? 相手に弱みを握らせるだけだというのに。権力者が健康でいることは、それだけで他国へのけん制になる。
「仮にブラン側の嘘だとしましても、今連中は兵糧攻めにあっているようなものです。魔力が尽きれば茨は枯れ落ち、離れに攻め入るのは容易になります」
そうなれば、カルムはひとたまりもない。王族の血と城を失ったブランは、ノワールに従うしかなくなるだろう。
「……お前の計画とやらは、順調なのだろうな?」
一応は納得したのか、ようやく王がベッドに腰を下ろした。動きが止まったのを見計らって、侍女のマチルダが影のように忍び寄り、その肩に羽織をかけた。それだけで、ファースの表情がわずかに和らいでいく。
「勿論でございます。ラーク・ミュセルは、灰色の娘がこちらにいる限り、楯突くことはしないでしょう」
「……なんでも見透かしたような顔をしおって。私を裏切れば、どうなるか分かっているな?」
あくびが出そうになっていたシャルムは、ふっと唇をゆがめた。この臆病な王は、こういう勘だけは、異様に鋭い。ちょうど逃げるしか術を持たない非力な小動物が、どう猛な狩手の殺気を敏感に感じ取るのに似ている。
「裏切るなど、滅相もございません」
「……ならば、よい」
シャルムが無駄に優雅な所作で胸に手を当てると、耳元で青い宝石がゆらゆらと揺れた。王はシャルムがゆくゆくは、統一国家となったノワールを丸ごと乗っ取ろうとしていることなど、気付きもしていなかった。それゆえ、シャルムはこのまま自身の計画が、順当に進んでいくと信じていたのだ。
――彼はまさか、王が黒豹にリタの調査を頼んでいるとは、思いもしていなかった。
◇◇◇
長い夜が明け、ほの白い朝日がリタの部屋を下からぼんやりと染め上げていた。ウェルデンの予言のせいで、リタは全くと言っていいほど寝付けておらず、ひたすら天井を眺めていた。そのとき――カチャリ、と鍵が開く音が部屋に響いた。
「……っ!」
はっとして身を起こし、狐に狙われた兎のように、リタは微動だにせず扉を見つめた。視線の先で、ドアノブがゆっくりと下がっていく。
「……きゃっ」
思わず悲鳴を上げかけると、ひんやりとした手で口を押さえられた。リタよりも小さな手のひら。――ウェルデンだ。揃えた前髪の下で、銀の瞳がドアを注視していた。そのまま振り向かずに、ウェルデンが早口で囁いた。
「リタ、落ち着いて。約束を――覚えてる?」
その言葉に、リタの身体にぎゅっと力が入った。あんな約束、忘れられるわけもない。リタが覚えていると目で訴えると、ウェルデンが口から手を離した。
「僕が相手をする。リタはレーヴを連れて逃げて」
こうしている間にも、”何者か”は部屋に侵入してきており、床には黒い影が伸びてきている。
「ウェ、ウェルデンは? どうするの?」
「……時間がない。リタ、レーヴを起こして」
既に覚悟は決まっていたのか、ウェルデンに耳を貸す様子はない。リタはレーヴの布団を掴むと、肌に触れないよう慎重に、ゆさゆさと揺らした。
「起きてっ、逃げないと」
ひそめた声で何度か呼びかけると、目をごしごしとこすりながら、ようやくレーヴが起き上がった。もつれた髪が気持ち悪いのか、のんきに直そうとしている彼に、震える指で戸口を指さした。
「だっ、誰かが入ってきたの。早く立って。ここから逃げよう」
「えっ?」
吸い寄せられるように、レーヴが戸口を振り返った。その目が、みるみる大きく見開かれていく。リタもつられて振り向こうとした刹那、突然ウェルデンに両手で頭を抱え込まれてしまった。そのまま、もつれあうようにベッドに倒れこんでいく。
「兄さんっ、リタ!」
背後でズンと重たいものが突き刺さるような、鈍い音が響き渡った。これまで聞いたこともないような甲高い声で、レーヴが叫んでいる。ウェルデンがすぐさま立ち上がり、音のした方を仰ぎ見た。壁に、長い棒のようなものがめり込んでいる。いや、棒ではない。あれは――。
「……槍?」
そんなものが飛んできたなんて、俄かには信じられない。だが、紛うことなき現実であることを示すように、自重に耐えられなくなった槍が、床にガランと大きな音を立てて落ちていった。
「あれ? ネズミが1匹って聞いてたのに、さっそく増えてるじゃん」
しんと静まり返った室内で、沈黙を破ったのは異様に明るい男の声だった。廊下にはもう明かりが灯されているのか、こちらからでは影になって顔が見えない。けれどその声と、頭の上の方でひとつに束ねた髪型に、リタは覚えがあった。
「……ヤン、さん」
ブランから移動してくるとき、ずっとリシャール――シャルムに絡んでいた男だ。陽気に話しかけてくる割には、目が笑っていなくて怖かったから、印象に残っている。そう言えば、彼はいつも背丈より高い槍を担いでいた。記憶の中の残像と、先ほどの槍が繋がり、リタの腕に鳥肌が立った。
「ようやく会えたな。リシャールが隠すから、名前も知らないけど。お前、やっぱり間者だったのか」
ヤンからすれば、王命を受ける前からリタを単独で探していたから、三度目ならぬ二度目の正直といったところだ。レーヴとウェルデンを匿う前、リタが一人でいるときに、ヤンが来ていれば、弁明のしようもあっただろう。だが、この状況では話しすら聞いてもらえそうにない。
「リタ、立って」
驚きと恐怖が最高潮に達したせいで、リタは金縛りにあったように動けなくなってしまっていた。その腕を、ウェルデンがぐいと引いた。
「あの男、まだ槍を一本持ってる。僕が防ぐから、その隙に二人は部屋を出て」
「で、でもっ……」
「やだっ、兄さん!」
鳥の巣のように絡まった頭を振って、レーヴが抵抗した。生まれた時から、親と引き離され、社会と隔絶されても、離れることはなかった二人。それが今、ウェルデンが自分の意志でレーヴを突き放そうとしていた。
「このままじゃ、3人とも殺される」
「……っ」
「リタを守れ。友達だろ?」
何のためにノワールに来たのか、忘れたのか? そう問われ、レーヴがぐっと息をのんだ。シャルム・ブランを止めるためには、リタを守らなければいけない。レーヴとウェルデンの二人が敗れれば、リタはまたシャルムの意のままに操られてしまうだろう。まだ彼女は、魅了から自衛するだけの力をつけていない。
「逃げて、機会を伺うんだ。……きっと、トーマスが助けに来てくれる」
「トーマスが?」
混乱しながらも、レーヴの目に光が宿った。リタにはウェルデンの言葉が未来視によるものなのか、レーヴを落ち着かせるための嘘なのか、分からなかった。
「ね、ねえ、――やっぱり」
一緒に逃げよう。そう言いかけたリタの提案を遮るように、ヤンが素早く走り寄ってきた。即座にウェルデンが、防御魔術を展開させる。
「シールドマキシマッ」
彼が呪文を唱え終えるのと同時に、リタ達3人を覆う半円状の盾が現れた。槍先が盾に弾かれ、ガチンと硬いものが砕けるような音が反響する。ヤンは諦めずに何度も斬撃を繰り出し、猛攻を受けた盾には既にヒビが入り始めていた。
「……ウェ、ウェルデンッ」
「兄さん、僕も戦うよ!」
そう言って杖を取り出そうとしたレーヴを、ウェルデンが後ろ手で制した。
「いや、ダメだ。僕が隙を見て攻撃するから、その間に逃げて」
「……で、でもっ」
リタが見る限り、ヤンの動きには一切無駄がなく、一度受けに回ったこちらが攻めに転じる機会は無いように思えた。ウェルデンの魔術の知識は相当なものだったが、イグリスに閉じ込められていたせいで、実戦経験は乏しいはずだ。迷うリタに、ウェルデンが淀みのない口調で告げた。
「もう、あと少しだ」
誰が見ても、ヤンが優勢なのは明らかだった。だが、ウェルデンの作り出した盾は思いのほか固く、ヒビが増えても一向に割れる気配はなかった。
「やるじゃん。でも、次で終わりにしてやるよ」
しびれを切らしたヤンが、槍を大きく振りかぶった。とめどなく続いていた攻撃が、ほんの一瞬溜めのために止む。それを待っていたかのように、ウェルデンが鋭く叫んだ。
「デトリュイールッ」
防がれることを見越し、敢えて直撃すれば死ぬ恐れのある呪文を放った。ウェルデンの読み通りヤンは避けたが、縮まっていた間合いが大きく開いた。
「行け!!」
戸口までの道が開いたものの、リタとレーヴは後ろ髪を引かれる思いで立ち止まっていた。追い立てるように叫ばれ、リタよりも先にレーヴが走り出した。
「行くよ、リタ!」
「……まっ、待って」
まだ、ウェルデンが。逃げると約束したのに、土壇場でリタは思い切ることができなかった。もつれる足で追いかけてくるリタに、レーヴが前を見据えたまま呟いた。
「ぜったい、助けに戻ってくるんだ。トーマスを連れて」
「…………あ」
楽観的でしかない未来。けれど今は、その可能性にかけるしかなかった。頼もしく微笑むトーマスの顔が脳裏をよぎり、芋づる式に、その隣で無表情にこちらを見ているラークの顔が浮かんだ。
(……来てくれたとしても、それは私のためじゃないのに)
ラークは、シエラと重ねたリタを助けたいだけだ。そう分かっているはずなのに、ラークも来てくれたら、と思ってしまった。顔が見たいなんて、――会いたいなんて思ってしまったことが、どうしようもなく嫌だった。
――そんな想いを振り切るように、リタはレーヴについて廊下を駆け抜けていった。




