ただ、そばに
どうして、とエイミーがか細い声でつぶやいた。まともに動かない足を抱え、彼女は半ば諦めていたのかもしれない。目には期待がにじんでいるが、口調は咎めるような強いものへと変わっていった。
「どうしてそんなことが、言えるの?」
「…………」
「あなたの目的は何? あなたはマルグリットの、何なの?」
エイミーは頬を濡らしていた涙を袖で拭うと、瞬きもせずにラークを見つめた。先ほどまでの、圧倒するような態度とは違う。エイミーは床に座ったまま、じっとラークの答えを待っていた。
「……俺は」
喉元まで、リタの“知人だ”という返事が出かかっていた。マルグリットというのは、リタの本名だろう。だが、決して嘘をつくわけではないのに、いざ口にしようとすると、口がカラカラに乾いて、うまく動かなかった。
「……俺、は――」
「あの子の、友達?」
「…………」
「じゃあ、――恋人?」
ラークが弾かれたように顔を上げると、エイミーは痛いのを我慢するように、ぎゅっと顔をしかめていた。ノワール人である娘――リタが、ブラン人であるラークと恋仲だと思い、嫌悪に耐えられないのかもしれない。かすれた声で否定すると、エイミーは眉をひそめた。
「そうなの?」
「…………」
「でもあなたは、あの子のことが好きでしょう?」
確信めいた響きを持つエイミーの言葉に、ラークは喉をふさがれたように黙り込んでしまった。
「だって、あの子に会えると言った、さっきのあなた――とても、優しい顔をしていたもの」
そうなのだろうか? 鏡のない部屋で、ラークは自分の頬に手を添えた。呆然としている彼に、エイミーが足をさすりながら囁くように問いかけた。
「どうしてそんなに、あの子のことを?」
「……っ」
ラークは回らない頭で、必死に理由を考えた。リタが妹に――シエラに似ているからだろうか? それとも、魔女にかけられた魔術の影響のせいかもしれない。けれどそんな、血の通っていない答えは、エイミーに届きそうにはなかった。
(……生半可な、覚悟では)
娘に近づけさせまい。凛とした黒い瞳は、そう物語っているようだ。リタのそれよりもずっと濃い色をしているのに、よく見ると、垂れた目尻は娘にそっくりで。エイミーの中には、確かにリタの面影があった。
(……不思議だ)
そのひとつひとつを探そうとしているうちに、おのずと答えが胸の内に浮かび上がってきた。自分はいまだ、心を失った化け物なのかもしれない。けれど、少しでもその存在を感じようとするかのように、ラークは胸に手を当てて、深呼吸した。
「……はじめて、だった」
絞り出すように、少しずつ言葉を紡いでいく。
「何も――求められなかったのが」
自分でも、話の行き着く先がわからない。筋道立てて話すのは、もとより苦手だ。ありのままを伝えることが、ラークに今できる精一杯だった。
「あなたの娘は、ただ――俺のそばにいた」
「……どういうこと?」
「俺を利用しようと、しなかった」
固有魔術を発現してからというもの、ラークの周りの人間は、その魔術師としての才能にしか興味を向けなかった。魔女はシャルムに代わりうる存在として。国王は戦争の駒として。高位魔術師たちは最終兵器として。力に期待していたといえば聞こえはいいが、皆いかにしてラークを利用するか、それしか頭になかったのだ。
「だが……別にそれで良かった」
魔女に心を奪われていたラークにとって、周囲の思惑などどうでも良いことだったのだ。――けれどそんな折、ノワールの収容所で奇妙な少女に出会った。見たことのない灰色の容姿をした彼女は、ラークに食事を分け、臆することなく話しかけてきた。
「……おかしいんだ。あなたの娘に、会ってから」
あんな風に笑いかけられて。他愛のない話をしながら、食事をして。そんな時間が、どうしようもなく恋しい。そのどれをも口にするのが恥ずかしくて、ラークは下を向いてしまった。エイミーは暫く口をつぐんでいたが、ふいに柔らかい吐息を漏らした。
「……そう。そうなのね」
何かを納得したようなエイミーの反応に、ラークは狼狽えた。うまく伝えられた自信は、全くない。長いまつ毛の間から恐る恐る見上げると、エイミーはぐっと年を重ねた老婆のような表情をしていた。
「……不器用な人。あの子は私と、全然趣味が違うのね」
趣味とはいったい、何のことだろう? 意味は分からないが、エイミーのまとう空気は、明らかに和らいだものになっていた。ほっと胸をなでおろしたラークに、すうっと息を吸い込んだエイミーが、澄んだ声で問いかけた。
「それで?」
「…………?」
「私はどうしたら、あの子に会えるの?」
エイミーの方から話を振られ、ラークは目をしばたいた。今の話だけで、完全に信用してもらえたとは思えない。けれど彼女はそれ以上に、娘に会いたいという気持ちを優先したのだろう。
「会わせて、くれるんでしょう?」
エイミーがふくらはぎから手を離し、ラークに向かって右手を差し出した。この手には、リタの想いも載っている。そっと握り返すと、少し湿った手のひらから温もりが伝わってきた。
「……ああ、必ず」
フードを被りなおすと、ラークはエイミーを背負い、コルデーロ家を後にしたのだった。
◇◇◇
その頃、ノワール王城の客室では、リタとレーヴ、ウェルデンの3人が、ベッドに並んで眠っていた。ラーク達はもうノワール王都まで来ていたのだが、3人にそれを知る術はない。リタが何度も寝返りを打っていると、すやすやと寝息を立てていたレーヴが、勢いよく彼女のおなかを蹴った。
「……いたっ」
反射的にお腹に手をやったリタは、闇に目を凝らすと、手探りでレーヴに布団をかけた。何日も続くと、もう慣れたものだ。リタとウェルデンは寝相の良い方なので、二人並べば平和なのだが、そうすると端のレーヴが床に落ちてしまう。結果的に、1番寝相の悪いレーヴが、ベッドの真ん中を占領していた。
「悪いね、リタ」
ひそめた声で話しかけられ、リタははっと息をのんだ。
「起きてたの? ウェルデン」
「……うん」
ウェルデンはこうして、夜中にひとり起きていることが多い。窓辺で一人物思いにふけっていたので、体が冷えてしまうと、リタがベッドに連れ戻したこともある。
「……また、悪い夢?」
先見の力を持つウェルデンは、夢の中で未来を視ることもあるらしい。彼が予知するのは、その時点で自分の運命に“最も深く関わる”出来事だ。意図的に視ようとするのは非常に負荷がかかるので、こうして視えたときに、なるべく解読を進めているらしい。
「寝た方がいいんじゃない? 疲れちゃうよ」
効率の良い方法だとは分かっているが、10歳の少年が深夜に起きていると、心配になる。レーヴを起こさないようベッドを抜け出し、反対側に回ってウェルデンの枕元に座り込む。やや強引に布団をかけると、ウェルデンが苦笑した。
「君って人は、本当に……。レーヴに蹴られていたけど、大丈夫?」
「……うん、一瞬だし」
本来であれば、レーヴとは身体的な接触を避け、ウェルデンを真ん中にして眠るべきだった。けれど、あまりにもレーヴが落ちるので、リタが頼み込んで今の順にしたのだ。
「なるべく僕の方に寄せてるけど、気分が悪くなったら、すぐに言うんだよ」
「ありがとう」
ウェルデンが横になると、前髪がさらりと下に流れた。眠るかのように瞼を閉じたウェルデンは、そのまま寝言のように呟いた。
「……リタ。友達になった記念に、僕のお願い――聞いてくれる?」
「お願い?」
彼から何かを要求されたことなど、ほとんどない。魔術を練習するようにと、それくらいだ。それもリタを思ってのことであるため、純粋なお願いには入らないかもしれない。知れずと、リタの胸に不安が広がった。
「……いいよ。お願いにも――よるけど」
「ふふっ、ほんと律儀だね」
そう言うと、ウェルデンがうっすらと目を開けた。銀の瞳が、暗闇の中で光って見える。
「レーヴのそばに、いてくれる?」
「えっ? それは、構わないけど……」
今だって、こうして3人でいる。何を今更、と思う気持ちが顔に出ていたのだろう。ウェルデンが再び目を閉じた。
「明日、リタが“ここを出ていく”映像が見えた」
「……っ、それって――」
「どうしてかは、分からない。でも、想像はつくよね」
レーヴとウェルデンの存在がばれたのか、はたまたシャルムにリタの演技が見破られたのかもしれない。思い当たる節はいくつもあり、考えるだけで冷や汗がにじんできた。
「それでね、リタ。僕が見たのは、リタとレーヴの姿だけだったんだ」
「……ウェ、ウェルデンは?」
「僕は――」
そこで言葉を切ったウェルデンに、それ以上追及する勇気は起きなかった。閉ざされたままのウェルデンの目の端から、涙が一筋流れていく。雫が鼻を伝って枕に落ちるのを、リタはただぼうっと眺めていた。
「だからリタ。その時が来たら、お願い。僕の代わりに――レーヴのそばにいて」
「……わ、わたし――」
「友達のお願い。聞いてくれるでしょう?」
何が起きるのかも分からない。そんな未来を想像したくもない。それでも、リタには頷くしかなかった。レーヴと、出来ることならウェルデンのそばからも離れずにいようと、こっそり心の中で約束した。
「……ありがとう。魔術の練習、中途半端になってごめんね」
「ウェルデンが、謝ることじゃないよ」
こんなお別れみたいな挨拶をされると、不安で身が軋むように痛くなってくる。リタがその場を離れられずにいると、ウェルデンが思い出したように付け足した。
「そうだ。これだけは、忘れないで」
「……なに?」
「固有魔術は、“願い”に強い影響を受ける。気持ちが占める割合が大きいんだ。だから、何があっても諦めちゃいけない」
君の開心の力は、人と人を繋ぐ力だから。そう告げると、ウェルデンはリタに眠るといって、布団の奥にもぐりこんでしまった。




