王都潜入
日が落ちたノワール王都の上空を、1羽の大鷲が飛んでいた。ゆっくりと旋回する様は、じっと何かの気配を探っているかのようだ。音もなく風を切る翼は、羽ばたかずとも同じ高度を保っていたが、やがて緩やかに裏通りへと降下していった。
「……来たか」
その先では、長身の男――ラークが腕を水平に上げて待ち受けていた。ラークの腕に降り立った大鷲は、細い通りで手狭そうにバサバサと羽ばたくと、瞬きする間に人へと姿を変えた。さっと外套のフードを被る前に、ちらりと短い金髪が光る。
「おかえり、シュルツ。ちゃちゃっと変身できていいなあ」
「……簡単じゃありません。もう呼び捨てなんて、君は怖いもの知らずですね」
駆け寄ったコリンに、シュルツが不快そうに眉をひそめた。この一見世間知らずに見える少年は、意外と場と状況を見ている。ミランダに対しては敬称もつけていなかったが、トーマスのことは中尉と呼び、敬語を時に応じて使い分けていた。よく言えば肝が据わっていて、悪く言えば生意気なのだ。
「他の動物にも変身できるの? ネズミとかは? 王都に溶け込めそう」
「……無茶言わないでください。大鷲だけです。――昔、飼っていたので」
他人のペースを平気で崩してくるコリンは、タイプは違うがラークによく似ている。森に残ったミランダとトーマスを思い、シュルツはため息をついた。なんだってこの協調性のない3人で、潜入になってしまったのだろう。
「飼うって、大鷲を? どうして?」
「僕が育った部族には、そういう風習があったんです。……もうこの話はやめにして、先を急ぎませんか」
王都に入ったのは、リタの母親を探すためだ。敵がうようよいる王都の真ん中で、のんびりしている暇はない。薄暗い通りには人の姿はまばらだったが、シュルツは声を潜めて、偵察してきた情報を話し出した。
「コルデーロ商店にいたのは、老夫婦だけでした。品出しも二人でしていたので、裏に人がいるとも思えません」
「……そうか」
老夫婦の娘であるリタの母親は、表向きは病気で療養ということになっている。真偽はさておき、店で待ったところで出てきそうにはなかった。
「なので、店を閉めた二人の後を付けました。家の場所は覚えています」
「そこにも、いなかったの?」
「カーテンで、見えませんでした」
人より優れた大鷲の視力をもってしても、物陰に隠れていれば見つけられない。作戦が行き詰ったので、シュルツはひとまず合流しようと、二人の元へ戻ってきたのだった。
「じゃあ、どうする? 家まで行くの?」
「大通りからは離れていたので、近付くことは可能でしょう。――ですが、流石に家の中へは入れないでしょうね」
あくまで“まともな来訪者”としては、の話だが。この3人であれば、住人の許可を得ずに押し入ることもできる。けれど彼らが目覚めたとき、騒ぎになるのは避けられない。迂闊にノワール人に手を出すのは、得策とは言えなかった。
「……だからラークに、家の外から索敵で探ってもらうのが良いと思いました」
「あっ、そっか。その手があったね」
コリンがポンと手を打ち、上目遣いに長身のフードの中を覗き見た。しかし話を振られたラークは、なかなか返事をしない。難しそうな顔をした彼に、コリンははたと首を傾げた。
「どうしたの?」
「…………」
ラークの探知能力は、対象が自身に近ければ近いほど、その輪郭や色まで鮮明に見ることができる。けれど魔力で読み取る情報は、目視には遠く及ばない。初見の人間を探すのは、正直言ってかなり骨が折れる作業だ。だからこそ、偵察をシュルツに頼んでいたのもあった。
「まあ、要は他に人がいるか確かめられればいいんです」
ラークの返事を聞くのもそこそこに、シュルツは家に向かって歩き出した。自信のなさそうな態度をとっているが、この弟弟子にはかなりの才がある。人の有無だけとは言ったが、それが若い娘かどうかまで見抜けるはずだと、シュルツは信じていた。
◇◇◇
コルデーロ夫妻の家は、レンガ造りの家が軒を連ねている一角にあった。ノワールでは、平民であってもレンガ造りの家に住めることに、コリンは目を見張った。ブランでは石造りか木造の家が主流だ。ブラン城だって、石でできている。
「あまりよそ見をしないように。思っているより目立ちますよ」
シュルツとラークは周囲を警戒しながらも、不必要に頭を動かさないようにしていた。洗練された動きは、人間というよりも猟犬のようだ。コリンは頬を膨らませたが、シュルツに気にとめる様子はない。彼はしばらく歩いた後、ふいに音も立てずに足を止めた。
「……あの家です。扉に蹄鉄がかけてある」
すっと女のように細い指でさした先に、カーテンから薄明りの漏れる1軒の家があった。見た目はほかの家と何ら変わらない。1階も2階もカーテンが閉められていて、娘は愚か老夫婦を垣間見ることもできなかった。ここからは、ラークの探知が頼りだ。
「どう、ラーク?」
「…………」
通りに人の姿は殆どないが、周囲には家屋に収まった夥しい数の人間がいた。無意識下で発動する固有魔術では、人数を把握するくらいがやっとだ。より鮮明に探ろうとするのであれば、目を閉じて集中するしかない。しかし一方向の探知にのみに神経を使うのは、警戒を解くようでラークは不安だった。
「……僕が見張りをするから、やるだけやってみてくれ」
そんなラークを見かねたように、シュルツが声をかけてきた。昔と変わらない、世話焼きな兄弟子の言葉。苦笑するラークの鼻先に、ふっとシナモンの独特な香りが蘇った。
『先生に焼いた残り。僕は嫌いだから、あげる』
館にいる頃、家が恋しくて落ち込んでいると、決まってシュルツが焼いてきてくれた、シナモンクッキー。赤い瞼には気付かないふりをして、ついでに熱いお茶も置いて去っていく彼は、ラークにとって兄というよりも、母に近い存在だった。大抵自分の分を食べ終えたザハラが、目ざとく横取りに来るまでがセットで、さっさと食べろとよく叱られていたものだ。
「……ありがとう、シュルツ」
唇から零れた感謝は、ドキリとする程柔らかい音をしていた。目を見開いたシュルツの表情がこそばゆく、ラークはさっと目を伏せた。そのまま家に向かって魔力を広げ始めると、閉じた瞼の裏に、玄関扉にかかった蹄鉄が大きく映った。それをすり抜けるようにして中へ入ると、椅子に腰かけた二つの人影が目に飛び込んできた。
(これが、店主とその妻か)
二人一緒にいるということは、このどちらかが娘である線は薄い。1階にはもう人の気配はないため、ラークは2階へと垂直に魔力を伸ばした。階段を上った先に、また扉がひとつ。その取手付近に外から錠がかけられているのを見て、ラークの肌に鳥肌が立った。
(……まさか)
高鳴る心臓を抑えながら、扉を透過すると、そこにはもうひとりの住人がいた。家の中で発生している生体反応は、この人間が最後だ。じっくりと魔力を注ぎ込み、その細部に意識を集中させていくと、長い髪に丸みを帯びた体、そしてくるぶしまで覆う長いスカートが露になった。ゆったりと揺り椅子に腰かけている人間が、女であると確信したラークは、顔を見ようと正面に回り込んで絶句した。
「……っ」
「どうした?」
「大丈夫?」
かっと目を見開いたラークは、はあはあと荒く息を吐きだした。今しがた目にした女の佇まいは、信じられないほどリタに似ていた。顔のどこが似ていると聞かれれば、返答には躊躇してしまう。間近で見たわけではないから、造形の機微は父親似なのかもしれない。ブラン城でカルムに会ったときも、彼はリタが“父親に”生き写しだと言っていた。
(――だが、醸し出す雰囲気は)
あのどこか寂しげで、けれど柔らかく包み込むような眼差しは、リタにそっくりだった。自ら傷つけてしまった灰色の少女のことを思うと、ラークの胸は締め付けられたように苦しくなっていった。エイミーの目は、ラークがリタの名を呼べなかった時の彼女の目と、同じ憂いをはらんでいた。
(あの目は、――何かを諦めてしまいたくて、それでも期待を捨てきれない目だ)
もしも彼女があの家に閉じ込められているのだとしたら、きっと助けを待っているに違いない。ラークは大きく息をつくと、この家の娘がリタの母親――エイミー・コルデーロだと、二人に断言した。




