友達
ラークに思いを寄せられているとは知らず、リタはノワール王城で魔術の練習に励んでいた。沈みかけた夕日が、部屋を茜色に染めている。ウェルデンに借りた杖を構えて、リタはもう何度目かも分からない、伝達の呪文を唱えた。
「……クーリエッ」
すると、テーブルの上に置いた術式の紙から、鈍く光る灰色の小鳥が飛び出した。小鳥は天井を一回りすると、レーヴの肩にとまり、つんつんと彼の頬をつついた。
「ははっ、くすぐったい」
「うん、上出来だね。……杖と術式があれば、いい感じだ」
魔術は成功しているにも関わらず、ウェルデンはどこか思いつめたような表情で頷いた。というのも、術式と杖を用いた基礎魔術の使用は、ブランなら子どもでもできるような、基礎中の基礎に過ぎないからだ。現に、リタもここまでは教わる前からできていた。
「じゃあ、今度はまた……術式なしでやってみようか。杖は持ったままでいいよ」
「……う、うん」
「がんばって、リタ!」
今練習しているのは、詠唱のみでの基礎魔術の発動。ここからが、全くと言っていいほど進んでいない。ウェルデンがテーブルから術式の紙を取ると、レーヴの肩に止まっていた小鳥がすうっと消えた。その姿を目に焼き付けた後、リタはもう一度呪文を唱えた。
「……クーリエ」
自信のなさを体現したような小さな声。杖の先からくすぶるように出てきた灰色の靄は、形にはならずに、霧散して消えていった。
「やっぱり、ダメか」
「……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。少し休憩にしよう」
ウェルデンは窓際に移動し、遠い目をして格子越しに外を眺めた。白い髪が赤く輝き、燃えているようだ。怒られたわけではないが、失望させてしまった気がして、リタはしょんぼりと肩を落とした。
(……どうして、できないんだろう?)
日がな一日呪文を唱え続けたのに、どうしても術式を省略することができない。ウェルデンによれば、術式の省略は、楽譜を覚えて暗譜するのと似ているらしい。実際に書かずとも、頭の中で詳細にイメージできれば、問題なく発動するそうだ。
(術式は……図形も文字も、正確に覚えてるはず)
それなのにできないということは、何か別の問題があるのかもしれない。それでもリタは、ウェルデンが机の上に戻した、術式の紙を手に取った。今はできるまで、叩き込むのみだ。――そんなリタの目の前に、レーヴがひらひらと手をかざした。
「ちょっと、リタ? 休憩だよ?」
「……あ、えっと」
「疲れてると、もっとうまくいかなくなるよ。ほらっ」
そういうが早いか、レーヴは背中からベッドにダイブした。ゴロゴロと転がるさまは、子どもそのもので、引き結んでいた唇がつい緩んでしまう。年下のはずのウェルデンは、リタよりもずっと大人びていて、こうして心のままに行動するレーヴを見ると、なんだか安心した。
「あっ、笑った! よかったあ」
「……ふふ、ありがとう」
レーヴに勧められるまま、一緒にベッドに横になると、ふんわりとした感触に幾らか心が和んだ。至近距離に迫った屈託のない瞳は、子犬のようにきらきらと輝いている。
「ぼく、お泊りって憧れてたんだっ。イグリスから出たこと、ほ、と、ん、ど、ないからさ」
「……そうなんだ」
こんな監禁生活でも、彼にとっては未知の世界で、リタが思う以上に開放感を感じているのかもしれない。双子の身の上を思うと、リタはなんと言葉を返したらよいのか、分からなくなってしまった。
「リタは、友達の家に泊まったことあるの?」
「えっ? ……わたし?」
友達はいるのか? 何の変哲もない質問だ。けれど、黒一色の国に灰色で生まれたリタには、友達と呼べるような人間は一人もいなかった。
「……あ、えっと……、私は、友達――いなくって」
胡麻化そうとしたけれど、うまくいかなかった。リタは貼り付けたような笑みを浮かべたまま、ピクピクと引きつる頬の気持ち悪さに、ただじっと耐えていた。
「そうなの?」
けれど、目の前の少年は心底不思議でならないというように、首を傾げただけだった。
「変なのっ。リタ、こんなに優しくて、一緒にいると楽しいのに」
「…………そ、そんな、こと――」
「ねっ、兄さん? リタはご飯だって分けてくれるし、外の面白い話、いっぱい聞かせてくれるもん」
そんなことは、誰にだってできることだ。けれど、もう少し聞いていたかった。誰かがこんな風に、自分を良く言ってくれたことなんて初めてだ。
「そうだね。それに、レーヴが布団を横取りしても、文句も言わないしね」
「ええっ! そんなこと、し、て、な、いっ」
「してたよ。リタに聞いてごらん」
してないよね、とこちらを振り向いたレーヴと目が合ったとき、リタは指先までじんわりと熱が広がっていくのを感じた。どうだったかな、とリタが首をかしげると、ウェルデンは肩をすくめ、レーヴは身を乗り出してきた。
「じゃあさじゃあさっ、ぼくがリタの1番の友達ね!」
「……えっ?」
リタが顔を上げると、レーヴが腰までのびた長い髪を揺らして、頷いた。
「ぼくが1番、兄さんが2番ね。やった!」
「僕が兄さんなのに、譲らないんだね」
ウェルデンがおかしそうに、くっと笑った。こちらを見つめる、鏡写しのようにそっくりな双子。彼らは、リタを友達と呼んでくれるのだ。
「……ほ、本当に、いいの?」
「うん! リタがいい」
「僕も、構わないよ」
きっとノワールで友達が出来たら、握手をしたり抱き合ったりするのだろう。けれど、レーヴには触れることができない。3人で、ベッドの上で輪になって座るだけだ。
(……でも、嬉しい)
生まれて初めてできた友達。それがまさか、ブラン人になるなんて、思ってもみなかったけれど。――リタがはにかんで俯いていると、ウェルデンがおもむろに問いかけてきた。
「ねえ、リタ。ブラン人の友達は、嫌じゃないの?」
「え? ……うん。嫌じゃ、ないよ」
突然の問いかけに、戸惑いながらもリタが首を振ると、どこか腑に落ちない表情でウェルデンが頷いた。
「……そうなんだ」
「兄さん? どうしたの?」
レーヴが兄にもたれかかると、ウェルデンは弟の頭をよしよしと撫で、静かな湖面のような目をリタに向けた。
「リタ。僕は君が……心の底では、ブラン人を疎んでいるんじゃないかと思っていたんだ」
「……えっ? ど、どうして?」
思ってもみない問いかけに、リタは目をしばたいた。レーヴやウェルデンに対して、ひどい態度をとった覚えはないが、どこかでそう思わせていたのだろうか? しかし、ウェルデンの答えはリタが予想したものとは違っていた。
「僕の見立てでは――君はもう、詠唱のみでクーリエが使える。なのに、失敗しているということは、リタが自分の中の“ブランの血”を、拒絶しているからだと思っていたんだ」
数日という短期間で、詠唱のみで基礎魔術を成功させる。それは普通のノワール人には成しえないことだ。リタが習得できるとすれば、それは彼女の中に流れる、“ブラン王族の血”のなせる業に他ならない。
「君はブランの血を引いていても、ノワール人として育った。ブランに嫌悪感を抱いていても仕方ないと、諦めていたんだけど……」
無意識のうちに、リタは布団をかき抱いていた。生まれ持った灰色の目と髪。それは否応なしに、彼女が混血児である事実を突きつけてきた。けれど逆に言えば、容姿以外に彼女を混血児だと断定する要素は、今まで他になかったのだ。
「僕はレーヴのように心が読めないし、当てが外れたかな」
ごめん、と素直に頭を下げるウェルデンを、リタは呆然と見つめていた。自分でも、気付いていなかった恐れ。それをウェルデンに暴かれ、目の前がぐらぐらと揺れているようだった。
「……そうかも、しれない」
胸元に落ちる灰色の髪も、鏡に映る灰色の瞳も、大嫌いだった。こんな色でなければ、もっと違う人生を歩めていたはずなのに。でも、否定し続けたところで、自分がブランの血を引いているというのは、きっと事実で。いつか髪と目が黒に変わるなんて、あり得ないのだ。――押し黙ったリタの手に、そっと小さな掌が重ねられた。
「リタ。僕は君の心根が好きだよ」
「……ウェルデン」
「君はどんなに辛くても、誰かを思いやれる人だ。だからラークも、君に心を開いたんじゃないかな」
ふいに飛び出したラークの名に、思い出したように胸が痛んだ。違う、彼はリタを通してシエラを見ていただけだ。でも、どうしてラークのことを想うだけで、肩の力が抜けていくのだろう。
「約束するよ、リタ。君がどんな色をしていても、僕たちは友達だ」
「……ふたりとも」
気づけば、握りしめていた毛布が手から滑り落ちていた。まっさらになった両手を、リタはしばらく見つめた後、ゆっくりと立ち上がった。
「……もう一回、やってみてもいい?」
「もちろん」
「今度は、うまくいくよっ」
――その夜、リタは詠唱のみでの基礎魔術の使用を、成功させたのだった。




