悪魔
シュルツが目的地へと据えたブラン。その僻地にあるソニデ村周辺では、ラークとトーマスが、国境へ向かって地道に馬を進めていた。時は一刻を争うが、二人では転移魔術を使うこともできない。風魔術のブラストを使えば、いくらかは高速で走ることができるが、ノワールまでとなると、身体に相当な負荷がかかってしまう。
「おい! 少し、休憩しないか?」
駆け足の状態では、大声を出さなければ相手の声が聞こえない。トーマスがこちらに手を振るのを見て、ラークは緩やかに速度を落として、馬を止めた。
「遠目に川が見えるだろ。あそこまでは歩かせて、馬を休ませてやろう」
ノワールとブランの国境に位置するフルーヴ川。その本流まではまだまだ距離がある。細い線のように見えるあれは、支流のひとつだろう。ラークがピンと張っていた手綱を下ろし、ゆったりとした心地よい揺れに身を任せると、トーマスが馬を隣につけてきた。
「悪かったな」
「……?」
「ソニデ村へ行かなければ、もっと早くノワールに着いていた筈だからさ」
言葉では謝りつつも、淀みのない口調には、後悔していないことが透けて見えた。トーマスとて、ラーク程ではないにしても、リタが心配であるのは間違いないのだろう。こうしてリタの救出が遅れていることに、ラークも何も思っていないわけではないが、不思議と非難する気は起きなかった。
(……あの瞬間)
村を出るとき、追いかけてきたメイベルに抱きしめられた、あの瞬間。今まで止まっていたのではないかと思うほど、ラークの心臓は強く脈打ちだした。熱い血流が四肢を駆け巡り、凍てついたかのように冷たかった指先まで、溶かしていった。
(……あたたかい)
馬上でそっと両の手を重ねてみると、確かな温もりが感じられる。メイベルに会ったことで、確かに自分の中で“何か”が変わったことを、ラークは実感していた。しかし、傍から見ればラークは無言で手をさすっているだけで、苛立ちを抑えているようにも見える。勘違いしたトーマスは、ため息をついた。
「結果としては、正解だっただろ? あのままノワールに突入しても、リタちゃん奪還は失敗に終わってたって」
「…………」
言い訳を重ねたところで、ラークはろくに返事をしない。諦めたトーマスが前方に目を戻し、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。彼が気まずいと感じている沈黙を、隣の男は何とも思っていないのだろう。馬が草を踏み分ける音だけがあたりを支配し、少しずつ2頭の距離が離れていった。どうにかしなければと、トーマスが口をもう一度開いたそのとき、突然静けさは閃光と共に、断ち切られた。
「……なっ、転移魔術か!?」
咄嗟に馬を急停止させた二人の前に、ぼんやりとした人影が浮かび上がった。光の強さに顔をしかめながらも、トーマスは素早く人数を数えていった。――5人。ルヴニールを発動させるのに、最低限必要な人数だ。警戒を高めるトーマスの前に、光が収束するよりも早く、先頭の一人が歩み寄ってきた。
「カーシェル中尉。クーリエも飛ばさず、このような形で参りましたこと、お詫び申し上げます」
礼を尽くしてはいるが、早口なせいかキツい印象が拭えない。顔を上げると、声に負けず劣らず、吊り上がった目と視線がぶつかった。
「……ミランダか。どうしたんだ?」
ふわふわの巻き毛の後ろからは、コリンの顔が覗いている。ガイはいないようだが、主戦力を削ってまで、こちらに接触を図ってきた意図は、聞くまでもなかった。
「……城は、もう長くはもちません」
表情の暗さからして、今すぐにでも陥落してもおかしくないという感じだ。
「ラークの力を、借りに来たのか?」
「……3人で話し合い、そうするのが最善だとの結論に至りました」
「まあ、そうだよな」
この絶望的な状況をどうにかできるのは、ラークくらいしかいない。魔女ザハラには敗れたものの、ラークは依然として、この島では最強の魔術師なのだ。沈黙している右隣にちらりと目をやると、トーマスは胸の前で両手を振った。
「王命でもないし、僕が口を挟むことじゃない。ラークと直接話をつけてくれ」
今のラークが、リタを追わずにブラン城へ帰るなど、トーマスは微塵も思っていなかった。説得役を押し付けられるなんて、ごめんだ。レーヴとウェルデンのこともあり、力のある魔術師を物のように扱う国の意向に、トーマスは辟易していた。
「それもそうね」
深く呼吸をするミランダを前に、後ろで控える3人の高位魔術師は、不安そうに囁きあっていた。コリンだけは、既に諦めたかのように空を仰いでいる。
「改めて、聞かせてもらうわ。私たちと共に、城へ戻ってくれない? あなたの力が必要なのよ」
「…………」
即座に断るかと思いきや、躊躇うように口を閉じたラークに、トーマスは眉をひそめた。ミランダの目には焦燥がにじみ、コリンの口はわずかに開いている。
「裁判であんな話を聞いて、それでもこんなお願いをするなんて――、自分でもどうかと思うわ」
魔女との駆け引きの末に、王家には裏切られ、家族を失った過去。戦場で悪魔と恐れられた男は、元は妹思いの優しい少年だった。どれだけ敵を屠っても、心を病まないのを良いことに、際限なくラークに殺しをさせてきたのは王家だ。けれど、彼に守られた国で生きてきた自らも同罪だと、ミランダは喉を抑えた。
「助けて、ちょうだい」
しかし、長い沈黙の後に返ってきたのは、容赦のない断りの文句だった。
「…………すまない」
押し殺すような声で答えたラークに、ミランダが泣き笑いのような顔で頷いた。
「そうよ。そうよね? あなたの頭には、あのノワールの女しかいないのよ」
「…………それは」
「城が落ちようと、殿下が討たれようと、仲間が死のうと! あなたにはっ――関係ない」
叫び声に、血が混じっているのではないかと思うほど、ミランダは苦しそうだった。それでも何としてもラークを連れ帰ろうと、怨嗟の言葉を吐き続ける彼女の腕を、コリンが遠慮がちに引いた。
「もういいよ、ミランダ。ガイには無理だったって言おう?」
「アンタ、それがどういう意味か分かってるわよね!? 皆に死ねって言ってるのと、同じよっ」
「……でも」
もつれあう二人を、高位魔術師たちはハラハラしながら取り囲んでいた。ラークに断られた以上、もうブランに未来はないに等しい。死が迫ることへの恐怖と、国を見捨てたラークへの怒りが、彼らの顔を醜く歪ませていた。
「……聞いて、くれ」
わあわあと喚きたてる4人の前に、ラークが馬上からすっと降り立った。白い髪がぶわりと舞い、愁いを帯びた銀の瞳を露わにする。澄ました顔ばかりしていた彼の、らしくもない苦悩を孕んだ声に、一同はしんと静かになった。皆の注目を一身に浴びながら、ラークは音もたてずに頭を下げた。
「……まず、……すまない」
「…………」
「……俺はもう、前と同じようには――戦えない」
てっきり、リタのことを謝ると思っていたのだろう。息巻いていたミランダが、えっと小さな声を漏らした。トーマスは探るような目つきで、ラークを見ていた。その視線を感じながら、ラークは両の手を合わせて、ぎゅっと握りしめた。
「……思い、出したんだ」
正確には、思い出させてもらったのだ。メイベル・バーチに。
「俺の力は――守るための、ものだった」
ラークの持つ索敵の力。それは、妹シエラを探すときに授かった力で、敵を探して殺すための力ではなかった。
「今更だが……、もう、殺したく……ないんだ」
一度誰かを殺めた時点で、もう後戻りはできない。かつて送り込まれた戦場で、ラークはその重みも尊厳にも意識を傾けることなく、作業のように敵兵の命を刈り取っていった。だがしかし、ことの重大さを知った今、腹の中で熱いものが暴れまわり、口から溢れ出してきそうになっていた。
(……悪魔、か)
酸っぱいものを、口に手を当てて押さえながら、ラークは目を閉じた。そうすると、雑音だと思っていたノワール兵の断末魔が、すぐそばに聞こえてくるような気がした。
「……ぐっ」
堪えきれず、えずきだしたラークを、ミランダは茫然と見つめていた。凪いだ海のように波一つなく、超然としていた神のような魔術師。それが、新兵のように戦争を恐れ、自身の行いを悔いている。
「……なんで」
いっそのこと、いつものように顔色一つ変えずに、切り捨ててくれれば良かったのに。そうすれば、ラークを悪者にして、それで気持ちを切り替えることができたのに。――こんなの、あんまりだ。
「……どうしろって、いうのよ」
こんな状態のラークを連れ帰れたところで、本領を発揮できるかは怪しい。本人に戦う覚悟がない以上、勝てる見込みなんてゼロだ。絶句するミランダに、今度はトーマスが馬を降りて、歩み寄った。
「話を、聞いてくれないか? あれから少し、シャルム殿下のことを調べたんだよ」
「……っ」
「この戦争は、シャルム殿下が仕組んだ可能性が高い。殿下を野放しにしておく限り、ブランに安寧はないんだ。この場を凌いでも、いつか必ずとどめを刺される」
思いもよらない言葉に、ミランダの瞳が揺れだした。八方ふさがりの状況で、ただ一人上を向いたトーマスが、ミランダに手を差し伸べた。
「リタちゃんのことは、無関係じゃない。だけど僕たちは、“元凶”を断つために、ノワールへ行くんだ」
「……元凶?」
「シャルム殿下を、止める。――協力、してくれないか?」
ミランダはトーマスの手に、何度も手を伸ばし、ひっこめた後、観念したかのようにその手を取った。




