決別
リタの部屋をあとにして、廊下へと出ていくシャルム。その姿を”鏡を通して”、一人の魔女が覗き見ていた。
「いつまで、そうしているおつもりですか?」
「……うるさいわね」
手鏡を床に伏せると、魔女は布団の上に寝そべったまま、レンガ色の髪をいじりだした。そんな魔女ザハラの投げやりな態度に、シュルツは小さくため息をついた。数日前にノワール王都に到着していた二人は、リタがシャルムの監視下にいることを知り、城に踏み込めずにいたのだ。
「こんなところにいたって、何にもなりませんよ。まあ、キャンプみたいで悪くはありませんけど……」
ノワールには、全くと言ってよいほど外国の者がいない。金髪に緑の目のシュルツと、レンガ色の髪と目のザハラがうろつけば、悪目立ちも良いところだ。宿を借りるわけにもいかないため、王都近郊の森で野宿をするはめになっていた。――とはいえ、ロンカイネンの魔女が本気を出したせいで、ただの森がちょっとしたリゾートに変貌を遂げてしまっている。シュルツの脳裏に、到着直後に交わされた会話の数々がよぎった。
『ツリーハウスって、昔から憧れてたのよね』
『……はあ』
『いい景色! 近くに川もあるみたいだし、魚でも採ってきてくれない?』
『…………行ってきますね』
『ちょっと、寒いんだけどっ。毛布とか持ってきてないの?』
『………………どうぞ』
横暴さを増していくザハラの要望に、シュルツは鈍く痛んできた頭を片手で抑えた。館を出るときに、万が一のことを考えて、防寒具や食料を持ってきていて良かった。でも、毛布を取られたあの夜は寒かった、本当に。
「いい加減、諦めたらどうですか?」
「……言ってくれるじゃない」
大木の幹から枝を変形させて作ったツリーハウスは、二人が大の字で寝ても腕がぶつからないくらい広く、四方に作られた窓には、葉がカーテンのように生い茂っている。日が高くなってくると、漏れさす日光が床をまだらに照らした。
「館に帰ったら、僕がおいしいおやつを作ります。菜園の手入れをして、疲れにきくハーブティーも淹れますよ」
「…………」
「だからもう、帰りませんか?」
ラークやリシャールのことなんて忘れて、館で心穏やかに過ごしてほしい。シュルツの心にあったのは、それだけだった。けれど、“それだけ”のことが、どうしても魔女には受け入れられなかった。
「私にラークを諦めろって言うの!?」
突然ザハラが甲高い声で叫び、布団を床にたたきつけた。舞い散る羽毛が、シュルツのあたまから粉雪のように降り注いでいく。それを振り払いもせずに、シュルツは目を見開いたまま固まっていた。
(……どこまでいっても、ラークなんだな)
こんなに近くにいて、彼女の手足として働いてるのに、自分が彼女の視界に映ることはない。館で好き勝手に暮らし、掃除も洗濯も料理もしなかった弟弟子の方が、自分よりも大事なのだ。
(……どうして)
実らない恋なのは、薄々分かっていた。それでも、リシャールが残した魅了が解ければ、自分の方を振り向いてくれるのではないかという、期待を捨てきれなかった。
(そんな日は、来ないのかもしれないな)
魅了が解けたところで、ザハラがシュルツを見てくれる保証などない。それでも見返りを求めずに、彼女に尽くすことなんて、できるのだろうか? 毎日他の男を気にかけるザハラを目の当たりにしていて、シュルツはもう限界だった。
「そういう態度をとれば、僕が何とかするって、――分かってやってますよね?」
「…………え?」
シュルツがすっと立ち上がると、ふわふわと羽毛が空を漂いながら、落ちていった。
「面倒なことも困ったことも、全部僕に押し付ければ、どうにかなる。それが何でだか、考えたことあります?」
「ちょっと、どうしたの?」
いきなり何よ、と負けじと立ち上がったザハラの目を、シュルツは真正面から見据えた。出会った頃には少し高かった目線が、今は頭ひとつ分下にある。腕を組んで仁王立ちした彼女が、何故かひどく滑稽に見えた。
「……今まで、ありがとうございました」
「は?」
「僕は今日限りで、――あなたの弟子を辞めます」
「なに馬鹿なこと、言ってるの?」
シュルツの血を吐くような告白を前に、ザハラは怪訝そうな顔をしていた。心にもないこと言っちゃって、と今にも空耳が聞こえてきそうだ。その確信にあふれた瞳に、シュルツははっと息をのんだ。
「……気付いて、いたんですか?」
「あんたが私のこと好きってこと? そのくらいお見通しよ」
こともなげに言ってのけるザハラに、シュルツは乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。
「…………ははっ」
好きだと伝えたら、きっと恥ずかしくて目を合わせていられないと、そう思っていた。ザハラは動揺して、でもリシャールやラークのことがあるから、申し訳なさそうに断りの文句を切り出すのだ。それでも彼女の中で、シュルツを意識する気持ちが、少しは芽生えるはずだと、シュルツは信じていた。
「何言いだすかと思ったら。――私の気を引きたいなら、もっとマシな嘘つきなさいよ」
「…………」
「そうねえ。今なら、僕が代わりにあの女を片付けてきますっとか、歓迎よ?」
薄ら笑いを浮かべる魔女の唇に、寒気が走った。過去には自身の唇よりも、うんと柔らかそうなそれを奪ったら、どんな心地かと憧れていたはずなのに。
「だんまり? もしかして、本気にしちゃった? うそうそ。“あなたじゃリシャールには勝てない”わよ」
パキン、と心の中で何かが折れる音がした。リシャールには勝てない。分かっている、そんなのは実力の話だ。けれど、想い人から発せられた高圧的な言葉は、最早修復不可能なほど深く、シュルツの心を抉っていた。
「……そう。そうですよ。僕じゃ、リシャールにも――ラークにも敵いっこありません」
「ふうん?」
首を傾げたその角度まで、シュルツを惑わせようと計算されているかのようだ。上目遣いのその目には、自分のことを好いている人間が、逆らうはずもないと信じる、傲慢さが滲んでいた。そこには思いやりも優しさも、愛などひとかけらもない。
「さようなら、先生。今まで――ありがとうございました」
シュルツはツリーハウスの扉を開けると、外に立てかけてあったホウキに跨った。半分以上中身の減ったカバンを後ろに回し、振り返ることなく空へと舞い上がっていく。
「ちょっと、待ちなさいよっ。あとで謝っても、知らないんだからね?」
はるか下から投げかけられる声が、わずかに震えているのに気づいても、シュルツは決して高度を下げはしなかった。身体が、軽い。ザハラのための荷物と一緒に、彼女への想いまで、ツリーハウスへ置いてきたみたいだ。
(……これから、どうしようか)
単独でリシャールに接触するのも悪くないが、口のうまい彼には丸め込まれてしまってばかりだ。それに、もうリシャールに協力する理由もなくなってしまった。
(ラークは、どうしているだろうか?)
次に頭に浮かんだのは、海岸でボロボロになっていた弟弟子の姿だった。自分がリシャールに情報を流さなければ、ラークはあんなに傷つくことも無かったのかもしれない。ザハラとの契約違反とは言え、あれはやり過ぎだった。
(今からでも、遅くはないだろうか?)
彼に自分の行いを、謝るのは。行き先を定められず、シュルツのホウキは長いこと、行ったり来たりを繰り返していたが、ついにブランの方角へとまっすぐ進んでいった。




