セイラ・アシェル
王族であるシャルムと、侍女であるセイラの間にできた子ども。その子が生まれながらに背負わされる業を思うと、メイベルは咄嗟に二の句が継げなかった。
『私、この子を産みたいの』
セイラは恋人も作らずに、ずっと熱心に仕事に取り組んできた。そんな彼女が、仕事を辞めてまで子を産むと決めたことは驚きだったが、なぜこんなことになってしまったのだろうか? そもそも平民のセイラが専属侍女に指名されたこと自体、不自然だった。
「……私は、殿下が欲のはけ口にするために、平民で見目の美しいセイラを選んだのだと思ったの」
当時シャルムは15歳で、婚約者もまだいなかった。侍女とはいえ、貴族出身者に手を出せば、もみ消すのは容易ではない。その点、平民のセイラなら、何か不都合が起きても、口を封じればよいだけだ。シャルムに失うものはなかった。
「ただ、私が気になったのは、セイラが同意の上だったのか、それとも殿下に……無理強いされたのか、だったわ。共に苦楽を乗り越えてきた友人が、そんな目に遭っていたなんて、考えたくもなかったのよ」
喉からこみ上げてくる酸っぱいものを我慢しながら、メイベルはセイラに真偽を確かめた。するとセイラは、愁いを含んだ表情で「シャルムを愛している」と答えたのだ。彼女は身分をわきまえずに、そのようなことを軽率に口にする娘ではなかった。それだけで、メイベルには、セイラの覚悟が伝わってきたものだ。
「今でも忘れられないわ。セイラはね、殿下のことを寂しがりやだと言っていたの。誰かに身も心も尽くして愛してもらえなければ、命すら絶ってしまいそうだったと」
若かったメイベルには、その言葉は惚気のようにも思えたが、年を重ねて見えてくるものがあった。恐らく、セイラがシャルムに抱いていた感情は、愛というよりも憐みに近かったもののはずだ。だからこそ、優しいセイラには、シャルムを拒絶することができなかった。
「まあ、本当のところは闇の中だけれど、私は二人の思いが通じ合っているのなら、殿下に囲ってもらったらどうかと、セイラに提案したのよ」
王族に仕える侍女であれば、一度はお手付きとなり、愛人として囲われる未来を想像したことがあるはずだ。決して正妻になることはできないが、寵愛を受けることができれば、平民とは比べようもない待遇が待っている。第3王子の子を孕んだセイラは、いわば玉の輿に乗っている状態とも受け取れた。
「でもセイラは、それは出来ないと言ったの」
シャルムは醜聞を恐れるあまり、セイラに子を堕胎するよう迫ってきたのだそうだ。あまりの身勝手さに、メイベルは言葉を失ってしまったが、セイラ曰く、シャルムは第1王子であるクラージュと張り合っており、世間体にかなり敏感になっていたそうだ。だが、そんなシャルムにセイラが屈することはなかった。
『腹の子を殺すなら、私ごと殺すしかないって、殿下に掛け合ったの』
シャルムにとって、セイラが単なる欲の対象であったならば、彼女も腹の子も殺されていたはずだ。しかし、シャルムは少なからずセイラに情を抱いていたのか、彼女を殺さずに、王城から追い出すことにした。
「私には、殿下のお考えが分からなかったわ。王族の子は、必ず膨大な魔力を持って生まれてくるでしょう? 年齢と共に魔力が増えれば、子どもが注目されるに違いないもの」
そう指摘したメイベルに、セイラは大丈夫だと弱弱しく微笑んだ。本当に大丈夫なのか、そうでないのか分からないまま、セイラは田舎に身を隠し、そこからはたまに手紙をやり取りしていた。
「そうして、1年も経たないうちに、子どもが生まれたのよ。その子の名前が――」
「シエラ」
流れるように、メイベルとラークの呼吸がぴたりと合った。トーマスは胸がどっと熱くなるのを感じ、片手で口を覆った。やはり、トーマスの予想は正しかったのだ。シエラとリタは、シャルム・ブランを父親とする“異母姉妹”だった。リタがシエラの代償となったのは、“二人の血が繋がっていた”ことも影響していたのだ。
「子どもが生まれてから、セイラはとても忙しそうだったわ。手紙も遅れがちになってね」
そうこうしている内に、5年が経った。シャルムからの接触を危惧していたメイベルは、さすがにもう、彼がセイラやメイベルに関わってくることはないだろうと、胸を撫で下ろしていた。しかし、その年の秋、セイラは突然亡くなってしまった。
「死因は、明かされなかったわ。でもだからこそ、私は陛下を疑わずにはいられなかったの」
ほとぼりが冷めた頃に、警戒が緩んだ隙を狙ったのではないかと。だがしかし、そう考えるには、不可解な点もあった。
「なぜ、シエラちゃんを生かしておいたのか? その理由が、どうしても分からなかった」
自らの血を引く娘は、やはりかわいかったのか? それとも、何らかの形で利用しようと、考えていたのか。どちらにせよ、シエラの魔力の問題が露見するのは、時間の問題だ。考えている間に、シエラはラークの実家であるミュセル家へと引き取られていった。セイラと頻繁に手紙のやり取りをしていたメイベルは、自らも疑われることを恐れ、城を去ることに決めたのだ。
「手続きを省いてすぐに辞めて、足取りを断つには、誰かの手を借りなければいけなかったわ。事情を話して協力してくれそうな人は、カルム殿下しか思いつかなかったの」
聡いカルムは何かを察していたようだが、深い事情は問わずに、メイベルを手助けしてくれた。彼がいなければ、メイベルもとうの昔に殺されていたかもしれない。あくまで推測の話ではあるが。
「……これで、私の話は終わりよ。国が傾くようなことがなければ、この秘密は墓まで持っていくつもりだったわ」
知る者は、シャルムに狙われてしまうと、ずっと気を張って生きてきた。皮肉なことに、ブランの存続すら危ぶまれる今になって、メイベルは呪縛から解き放たれたのだ。3人の前に置かれた茶は、どれも半分も減っていなかったが、長居は遠慮してほしいとメイベルに頼まれ、ラークとトーマスは席を立った。
「それじゃあ、お邪魔しました」
「…………」
ポーチで振り返り、お辞儀をするトーマスの隣で、ラークはぼんやりと扉に下げられたリースを見つめていた。今しがた聞いた伯母と義妹の話を、彼はどう受け止めたのだろうか? お決まりの無表情が、トーマスにはそこはかとなく虚ろなものに見えた。二人を送り出しながら、メイベルはラークに向かって口を開きかけたものの、躊躇したようにすぐ閉じてしまった。
「じゃあ、行くぞ。話は山を下りながらだな」
「……ああ」
前へ向き直り、階段を下りたラークは、トーマスと共に村の入口へと歩いて行った。行きと同じように、家の中から視線を感じたが、もう寝入っている者も多いのか、半数は明かりが消えていた。門をくぐったところで、解放されたとばかりに伸びをしたトーマスは、数歩遅れて付いてくるラークの後ろに、息を切らせて走ってくるメイベルの姿を認めた。
「あれっ?」
「……?」
トーマスにつられて振り返ったラークの前まで、メイベルがよろよろと歩み寄ってきた。大分息が乱れている。苦しそうに胸を片手で抑えながら、彼女はもう片方の手で、ラークの肩に手を伸ばした。小柄な彼女では背伸びをしても届かないため、ラークが前かがみになると、メイベルは子どもにするかのように優しく肩を撫でた。
「ふふふ、お兄さんね」
「……なにを」
「シエラちゃんを、“大事にしてくれて”ありがとう。それだけ、どうしても伝えたかったのよ」
メイベルが囁いた瞬間、ラークの目が大きく見開かれた。凍り付いたように瞬きすら止めたラークは、乾いた唇で「そんなことはない」と繰り返した。そんなことはない、自分はシエラを守り抜くことができなかったのだ、と。メイベルの手を振りほどき、後ずさるラークを、彼女は逃すまいと両腕を伸ばして追いかけた。
「それは違うわ。“結末はどうあれ”、あなたはシエラちゃんを愛していた。そうでしょう?」
「……っ」
勢いのまま、メイベルに抱きしめられたラークは、直立不動のまま小刻みに震えていた。
「一度だけ、この村を出てあなたの故郷へ行ったことがあるの。セイラの代わりに、シエラちゃんの様子を見ておかなくちゃって。変な使命感に駆られて」
そこでメイベルは、丁度森へ遊びに行ったシエラが迷子になったところに、居合わせてしまった。村中てんやわんやで、人が入り乱れる中、メイベルの目は、ひとり目を閉じて佇んでいる少年に、吸い寄せられた。
「覚えている? あの日、あなたは“シエラちゃんを探すため”に、探知の力を開花させたのよ」
「……そん、な」
その結果、有益な固有魔術を発現したラークは、島を離れて大陸へと逃亡することになってしまった。けれど、あの瞬間、10歳にも満たない小さな少年は、ただ妹を助けるために、持てる力の全てを注ぎこんだのだ。メイベルの腕から伝わるぬくもりが、シエラをおぶって帰ったあの日の暖かさを、ラークの背中に呼び起こした。はっきりとは、思い出せない。けれど、そんなことが――あったのかもしれない。
「それを見て、ああ、この子はいい家族に恵まれたんだなって、私は安心して帰ったのよ」
身体を離したメイベルが、ラークの腕をさすった。その感触が、どうしようもなく心地よくて。かっと熱くなったラークの目頭から、こぼれた雫が地面をパタパタと濡らしていった。
――その日ラークは、心を奪われてから初めて泣いたのだった。




