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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第1章 出会い
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怪我

 翌朝、リタは部屋に置いてあった裁縫道具で監視服の袖を縫っていた。今日で監獄へ来て3日目になる。


(……久し振りだわ、この感覚)


 孤児院ではよく繕い物をしていたため、手に職とまではいかないが良い技量は持っていた。監視服は2着しか支給されていないが、丈夫な厚い生地のため、袖の丈詰めと裾上げにはそれなりに時間がかかりそうだ。


(よい暇つぶしにはなるわね)


 黙々と縫っていくテーブルの下、床の上にはポツンと日誌が積まれていた。リタはもう日誌を読むことに疲れてきていたが、一番の理由は、書かれた内容の信憑性を疑い始めていたからだ。

 

(……ラークのことは、自分の目で見て確かめたい)


 本人に直接聞く勇気は無くても、こうして監視を続けていれば何か手がかりを得られるかもしれない。――1着目の右袖を縫い終えたころ、コンコンとドアをノックする音でリタは意識を引き戻された。


(……誰だろう?)


 あれだけラークに怯えていたため、昨日の今日で無精髭の監視員がやって来たとは考えにくい。それでも、もしあの男だったらと考えるだけで針を取り落としそうになった。


「……イタッ」


 つかみ方が悪かったのか、右手の人差し指に針を刺してしまった。ぷっくりと盛り上がる血を止めようと、人差し指を左手でぎゅっと握るリタの前で、ギイイと扉が開かれていった。


「……っ!」

 

「……? 朝食だ」

  

 戸口に立っていたのは、昨夜魔術師たちと共に駆けつけていた巻き毛の監視員だった。彼は青ざめて指を握りしめているリタをちらりと見ると、裁縫箱を落とさないよう慎重にテーブルの上に盆を置いた。


「これからは、俺が食事を運ぶ」


 そう言い残すと、さっさと部屋を出て行った。明確な敵意こそないが、なれ合うつもりもないのがよく伝わってくる。無精ひげの男がもう来ないことにほっとしながら、リタは拳の力を緩めて傷を確かめた。もう血は止まっているが、衛生的にも洗い流した方がいいだろう。


(……手を洗っているうちに、スープが冷めてしまいそう)


 先にラークに食事を分けてしまおうと独房を振り向くと、相変わらずラークは、壁の方を向いたまま丸太のように横になっていた。


「……どうぞ」


 小窓から食事を差し入れたところで、リタは視界の隅でラークが上半身をググっと上に持ち上げるのを捉え、小窓を閉めようとした手を中途半端なところで止めた。――床に流れていた白髪が、箸ですくい取られるように頭に集まっていくのが美しい。


「……っ」


 見返るラークと目が合うと、リタは蛇ににらまれたカエルのように動くことができなくなってしまった。強い光をたたえた銀色の瞳を見ていると、ふっと昨日の出来事が思い起こされた。


(……この人がいなければ、私は――) 


 今頃看守長に頼んで、辞職を申し出ていたに違いない。リタが路頭に迷わずに済んだのは、まぎれもなくラークのおかげだった。そこまで考えて、リタははたと我に返った。

 

  

(……あれ? そういえば私、お礼も言ってない?)


 

 彼はリタを助けたつもりはないかもしれないが、ラークの魔力の爆発によってリタは危険な目に合わずに済んだのだ。――監視対象とは言え、お礼を言っても問題はないだろう。


「……あっ、あの――」

「…………」

「昨日は――」


 そこまで言って、一度深呼吸した。瞬きもせずにリタを見つめる銀色の瞳は、星を閉じ込めたようにきれいだ。もしかしたら、自分はもう彼に魅了され始めているのかもしれないと思いながらも、リタは目をそらすことができなかった。 


「……ありがとうございました」


「………………」 


 ラークは座った状態で壁に背を預けたまま、リタを見つめ続けている。魔力が満ちてくるような異変はないが、今にも何かが起こりそうで肌が粟立った。



(……どうしよう。何も言わないほうがよかったかな?)


 

 ――膠着状態を破ったのは、ラークの低い声だった。


 

「………………怪我」

「……?」


「……怪我を、したのか?」



(……ケガ?)


 一拍遅れて、リタは指のケガのことを言っているのだと思い至った。ラークは昨夜の出来事でリタが怪我をしたのではないかと純粋に心配していたのだが、その質問は全く別の意味を持ってリタへと届いていた。


 

(……な、なんで? ――“汚い”から?)


 

 弾かれたように下を向いて盆を確認したが、特に血で汚れているところはない。しかしリタの脳裏には、昔転んで肘を擦りむいたときに、まるで汚物でも見たかのように反応した孤児院の生徒や子どもたちの顔が溢れかえってきた。


『転んだ? 洗って消毒するくらい、自分でできるでしょう?』

『……でも、ほうたいが うまく まけなくて――』

『ほかの誰かに結んでもらって下さい。先生は御免です』

『ほうたい? いやにきまってんだろっ! あっちいけ、ばいきん!』


 このときだけでなく、リタは幼い頃から出血の伴う怪我をすると、ブランに穢された“汚い血”だと、大人にも子どもにも病原菌のように扱われてきた。


 

(……ブラン人からも)


 

 ブラン人からもノワール人からも、自分は穢れと忌み嫌われる存在なのだ。――ラークに怪我を気にされたことで、リタは罪人とはいえ自分が初めて出会ったブラン人に、わずかな期待を抱いていたと気が付いた。


 

(……もしかしたら、ブランになら“私の居場所”が見つかるかもしれない、なんて――)


 

 淡い希望があぶくのように消えていき、うつむいたまま心を閉ざしたリタのそばに、ラークがしずしずと歩み寄ってきた。鉄格子の中へと伸びる自身の影にラークが足を踏み入れても、リタは微動だにしなかった。

 

 

「…………」


 

 そんなリタの様子を一瞥すると、ラークは腰を折って食事を持ったまま牢の奥へと戻っていき、床に盆を置くとくるりとリタの前へと戻ってきた。ラークがすとんとしゃがみ込み、開いたままの小窓からゆっくりと右手を伸ばしても、リタは顔も上げない。――ラークはおずおずと、茶色く変色したリタの人差し指に右手を添えた。


「……っ」


 突然視界に入ってきたラークの手とそっと触れた指先に、リタがぎゅっと身体を縮こまらせた。緊張するリタの頭の上から、ひどく優しい声が降ってきた。


「…………大丈夫か?」

「……っ」


(…………心配……してる? ……誰が? …………誰を?)


 ラークが――他でもない自分を心配しているのだと気付いた瞬間、リタの目がかっと熱くなった。唇をかんでこらえようとしても、漏れ出る嗚咽をこらえることはできない。


「……くっ――」


「……どうした?」


 幼子に語りかけるような、ゆっくりとした低い声が耳に心地よい。、ひんやりとした手は柔らかく、リタの手を包み込んでしまうほど大きかった。


「……くっ、……うっ」


 必死で涙を止めようとしていたリタは、次に耳に飛び込んできた名前に頭が真っ白になった。


「大丈夫だ。…………“シエラ”」

「……っ!」


(………………シエ、ラ?) 


 呆けたようにラークを見つめたまま、ラークが心配しているのはリタではなく“シエラ”で、彼は自分と他の誰かを混同しているのだと理解するにつれて、リタの身体の熱がすうっと引いていった。


「……わっ、わたし――」

「……っ」


 リタがラークの手から、そろそろと人差し指を引き抜いた。涙が伝った跡が乾き、頬の皮膚がこわばっていて話しにくい。


「…………私は、シエラじゃ――」

「…………」

 

「…………ありません」


 

 絞り出すように口にしたリタを、ラークは戸惑ったような顔で見つめていた。


 

(……そうだ。この子は――シエラではない)

 

 

 しかし、頭ではそう分かっていても、“彼女がシエラである”という強迫観念にラークの理性は塗りつぶされそうになっていた。――かつて魔女と交わした契約が綻びているせいなのだと、このときのラークはまだ気付いていなかった。


 

「………………シエラって」



 リタがシエラの名を口にするのと同時に、太陽を直視したかのように、ラークがぎゅっと目を閉じた。ラークにとって、触れれば痛む古傷のような存在なのかもしれない。それでも、リタは聞かずにはいられなかった。

 

 

「……シエラって、――いったい誰なんですか?」


 


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