罠
リタがレーヴ、ウェルデンと再会している頃、ラークとトーマスはブラン王城を離れ、“とある人物”に会うため、僻地の村ソニデへと向かっていた。王城で馬を借りたものの、山腹に位置するソニデへは道のりが険しいため、結局山麓からは歩くことになってしまった。
「地図によると、この辺りみたいだけどな」
トーマスがルミナスで指先に明かりを灯し、セナから渡された手書きの地図を照らした。村があるかと目を凝らしてみても、見渡す限り森が広がるばかりだ。上を見上げると、幾重にも重なった枝葉の隙間から、かろうじて月の白い光が見えた。
「お前に任せてもいいか?」
これ以上は難しいと判断したトーマスは、地図をしまってラークを振り返った。言わずもがな、索敵の力を使って人の気配を探れということだろう。無言でうなずくと、ラークはトーマスが指した方に向かって、素早く魔力を伸ばしていった。
「だいぶ回復したみたいだな?」
「……ああ」
ここ数日は移動ばかりだったため、いくらかは魔力が温存できていた。程なくして、目をつぶったラークの瞼の裏に、開けた土地とそれを囲っている柵が映った。
家の数は10軒もなく、畑や鳥小屋が敷地の半分以上を占めている。訳ありの者が流れ着く場所だとは聞いていたが、生活はほぼ自給自足で、外部との接触も最小限なのだろう。
「……このまま進めば、大丈夫だ」
索敵を解くと、ラークはトーマスに先立って歩き始めた。この道の先に、昔王城で侍女をしていたメイベル・バーチが住んでいるという。
――なぜ今彼女を追うことになったかというと、話は数日前にまで遡る。
◇◇◇
王城へ転移した直後、中庭の惨状を目にしたラークとトーマスは、すぐさまカルムの居室を訪れた。しかしカルムは容態が悪かったため、謁見することは叶わず、代わりにセナが部屋から出てきて、二人に何が起きたのかを話してくれた。
扉を背にしたセナの目が、赤く腫れているのを見て、トーマスは唇をかんだ。
(……泣いていたのか)
セナは、滅多なことでは態度を崩さない。ということは、カルムは相当弱っているのだろう。最悪の事態は免れたようだが、決して楽観視できる状況ではない。
『ノワール軍が、攻め入ってきたらしいね。テオによれば、黒豹まで来たとか』
『……はい。殿下が接触したのは、シャルム殿下お一人ですが――』
シャルム、という名前にトーマスが目を見開いた。
『どういうことだ? シャルム殿下がここに来たのか?』
混乱するトーマスに、セナが拳を震わせながら頷いた。大事なときに主君を守ることができなかった、あの忌まわしい記憶を思い出すだけで、セナは自らを切りつけたいほど後悔に苛まれてしまうのだ。
『髪と目の色は黒でしたが、殿下がシャルム殿下だと判断されました。恐らく、変色の耳飾りを使ったものかと』
『……そうか。王家の秘宝に手を出してるっていうのは、本当みたいだな』
行方不明となっていた王子が秘宝を盗み、ノワールへと渡ってしまった。いったい何を企んでいるのか探ろうにも、今の段階では見当をつけることすらできない。顎に手を当てて考え込むトーマスの隣で、会話が途切れるのを待っていたといわんばかりに、ラークが一歩前に進み出た。
『ここにいた娘は、どこだ?』
セナが弾かれたように顔を上げたが、ラークの強い視線に射抜かれ、ばつが悪そうに俯いてしまった。口を何度も開けては閉じた後、ようやく覚悟が決まったのか、絞り出すように話し出した。
『リタ様は……シャルム殿下に、“ついて行かれた”そうです』
セナがそう口にした瞬間、ラークが踵を返した。今にも走り出そうとしていたラークの腕を、すかさずトーマスが掴んで止め、体重をかけて押しとどめた。
『おい待て! 考えなしに突っ込んでどうする?』
『……行かなければ』
『話聞いてたか? リタちゃんは連れ去られたんじゃない。そうだよな?』
掴みあっている二人に向かって、セナが慌てて頷いて肯定した。
『はい。私は気を失っておりましたので、殿下からお聞きした限りですが。――リタ様は母親に会いたくないか、と尋ねられ、シャルム殿下と共に行かれたようです』
『……母親に、会わせる?』
そんなことを口にしたということは、シャルムはリタの身の上を、少なからず知っていたに違いない。そして、彼女が母親を求めていたということも、計算の上で行動に移したのだろう。リタの母親への想いは、あのディル・エバンズをも動かすほどだった。
――だが、問題はそこではない。シャルムがなぜリタに目を付けたのか、だ。
リタがシャルムの娘だとして、家族を手にかけるような男が、娘にだけ温情をかけるだろうか? 開心の力を持っていることに気付いたのか? はたまた、もっと別のところに利用価値を見出したのかもしれない。
物思いにふけっていると、ラークが腕を振りほどこうとして、大きく身をよじった。現実に意識を戻されたトーマスは、ラークを見つめているうちに、はたと思い当たった。
『……行くなっ。これは、たぶん“罠”だ』
『……なに?』
『考えてみたんだ。リタちゃんを連れていく理由を』
リタの持つ開心の力は強大だが、彼女は使いこなせていない。懇切丁寧に育て上げるという線もあり得なくはないが、もっと手っ取り早い“メリット”があるはずだ。
『シャルム殿下は、こちらが思う以上に、情報に長けているみたいだ。それなら、リタちゃんを攫った後に、何が起きるかだって見通していただろうな』
『…………?』
『狙いはリタちゃんじゃなく、お前かもしれない』
シャルムがリタを懐柔してしまえば、彼は追ってきたラークともども、開心の力と最強の魔術師を手に入れることができる。母親を餌にしたのも、リタを手懐けるためだろう。
『もっと調べる必要がある。シャルム殿下のことを』
でなければ、相手の良いように動かされてしまいかねない。シャルム・ブランという人間が、何を考え成し遂げようとしているのか、その全貌を掴まなければ、リタを取り戻すこともできず、悪くすればラークまで取り込まれてしまう未来もありうる。
『ここへ来る前、知りたいことがあるって話したよな?』
『……ああ』
『お前も、知っておいた方がいいことなんだ』
ラークの身体から力が抜けるのを確認すると、トーマスは腕を離してセナに向き直った。
『セイラ・アシェルという侍女について、教えてほしい。彼女はラークの伯母で、シエラ・ミュセルの母親なんだ』
『……っ』
トーマスの口から、その名が飛び出した途端、セナの顔色が目に見えて変わった。さすがカルムの側仕えだけあって、取り乱すようなことはなかったが、その瞳が揺れているのをトーマスは見逃さなかった。
『何か、知っているのかい?』
長いこと沈黙を貫く彼女に代わり、今度はラークがトーマスの肩をつかんだ。何か言いたげなラークを目で制し、トーマスは追及を続けた。
『お前がリタちゃんを、妹の代償にしているって聞いた時から、薄々考えていたんだ』
『……?』
『ロンカイネンの魔女が施した魔術が、そう簡単に綻びるはずがない。だから、“リタちゃんが”代償に選ばれたことが、ずっと引っかかっていた』
話題がセイラからシエラへと移り変わり、ラークにはトーマスの言わんとしていることが、いまひとつ掴めなかった。
『ちょっと似てるとか、好みの女だとか、そんな軽い条件で代償が務まるはずもない』
言葉を切ったトーマスが、ラークから目線を外して、セナを見やった。
『それこそ、リタちゃんとシエラ・ミュセルに――血の繋がりでもない限り、な』
下を向いていたセナが、諦めたように大きく息をついた。ポケットから取り出した紙に、さらさらと地図を描き、トーマスへと手渡す。
『そこまでお気付きであれば、もうお止めする意味もございません。――こちらの住所を、お訪ねください』
『……メイベル・バーチ?』
『セイラ・アシェルと、仲の良かった侍女です。セイラとシャルム殿下の間に何があったのか。詳しいことは、彼女が知っているはずでしょう』
礼を言いながら地図をローブのポケットにしまい、トーマスは最後に一つ尋ねた。
『……なぜ、それを知っていたんだ?』
『メイベルは逃亡の際に、カルム殿下のお力を借りに参りました。殿下は深入りはされませんでしたが、事情は察しておられたのだと思います』
聡いあのお方のことだ。シャルムに目を付けられるのを恐れ、表立って助けることはしなかったのだろう。だが、そのお陰で、今トーマス達はメイベルに話を聞きに行くことができる。
『僕に明かしていいのかい?』
そうセナに問うと、張り詰めていた何かがほどけたように、セナの顔がぐしゃりと歪んだ。
『お咎めは、私が受けます。――カーシェル中尉。どうか殿下を、この国をお守りください』
深々と頭を下げた彼女に礼を言い、トーマスとラークはソニデ村へと向かったのだった。




