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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第6章 ノワール
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予期せぬ来訪者

 それからしばらく、リタは客間に閉じ込められたまま、ひたすら寝て起きて食べるだけの日々を繰り返していた。客間には浴室や手洗いも備え付けられていたため、食事さえ運んできてもらえれば、部屋から一歩も出ずに生活できてしまえたのだ。


(……暇だわ)


 ベッドに横になったまま、リタは欠伸をして毛布を引き寄せた。書架に並んでいた本は、もう易しいものは全て読んでしまったし、専門用語の入った難しいものは、目次の時点で読む気が失せてしまった。


 刺繡をしようにも、道具もない。窓から差し込む夕日が、格子の影をくっきりと床に黒く残していた。そろそろ使用人が夕食を運んでくるはずなので、そのときに道具を貸してくれるよう、頼んでみても良いかもしれない。



(……つまらないな) 

 


 シャルムが去ってすぐの頃は、お母さんに会ったら何て挨拶をしようか。自分のことを一目で分かってくれるだろうか。――そんな考えで、頭がいっぱいだった。


 けれど、それも長くは持たず、こうして密室に一人でいると、どうしても息が詰まってきてしまった。状況としては、地下牢でラークの監視に当たっていたときと、似通っていなくもないのだが。


 

(……でも、あのときの方が――)


 

 なぜか、気持ちは“楽”だった気がした。部屋や食事だって、今とは比べるまでもなく、低い水準のもので、他の監視員の男に、危険な目に遭わされそうになったこともあった。それなのに、リタがあの日々を懐かしいとすら感じてしまうのは……。


 

「…………ラーク」



 ひとえに、彼の存在によるものでしかない。しんとした部屋に、かすれた声が染み込み、跡形もなく消えていった。なるべく思い出さないようにしていたのに、つい口からこぼれ出たほっとする響きに、ひくひくと唇が震えた。



(……他のことを、考えよう。私はお守りがあれば――平気なんだから)



 そう言い聞かせながら、パールのペンダントを握りしめ、ラークのことを頭から追いやろうとした。今まではお母さんの夢を見るだけで、幸せだったのだ。お母さんに会うことができれば、ラークのことなんか忘れてしまえるだろう。

 

 

(……なのに、なんで)


 

 ――自分は、泣いているのだろうか? 枕カバーが濡れて、頬に張り付くのが気持ち悪い。彼の存在がこれ程までに深く、自分の中に根を張っていたことが驚きで、どうしようもなく腹立たしかった。


 

(……妹の代わりに、していた癖にっ) 

 


 それでも、収容所でリタが襲われたとき、ブランに着いて兵に取り囲まれたとき、過激派に連れ去られたとき――その他にも、リタが助けを欲しているときは必ず、ラークが助けに来てくれた。誰にも顧みられず、ネズミと罵られていた自分の手に、臆することなく触れてくれた。

 


『…………大丈夫か?』

 

 

 あの温もりが恋しくて、リタは布団の端をぎゅっと握りしめた。どれだけ布団をきつく身体に巻き付けても、抱きしめられた腕の温かさには、遠く及ばない。有り余っている時間のせいで、苦い記憶まで掘り起こされていく始末だ。


 

『……私は、あなたの妹じゃ――ありません』

『……っ』


『あなたは、一度だって――私の“名前”を呼んだことがありましたか?』



 耳の底に、突きつけるようにキツく言い放った、自分の声が木霊した。あのとき、なんであんなことを言ってしまったのだろうか? トーマスやテオドールが、気軽にリタちゃんと呼んでくるなか、ラークだけは頑なにリタの名を呼んでくれなくて、それがリタには、“無視”されているように感じられて……。

 

 

(……わたし、私には――リタって名前があるのにっ)



 そう心の中で叫んだ瞬間、名前を呼んでもらうことで、ほかでもないラークに、自分の存在を認めてほしかったのだと、リタはようやく気が付いた。――ラークにとって大切な存在が、シエラではなくてリタなのだと。

 


(……そんなの、まるで)



 自分が“ラークの特別になりたい”と、言っているようなものではないだろうか。ずっと、お母さんだけが心の支えだったのに、今頭に浮かぶのは、ラークとの思い出ばかりで。


 

(……どうして、なの) 

 

 

 ぐるぐると考えている間に、頭は沸騰するように熱くなっていった。これ以上考えるのが嫌で、リタはペンダントを手にしたまま、固く瞼を閉ざした。



◇◇◇

 

 

 コンコン、と軽快にドアを叩く音で、リタは目を覚ました。目を開けていても閉じていても、視界は真っ暗で。もう日が暮れてしまったのだと、ため息をついた。


 手探りでサイドテーブルの上の燭台に火をつけると、入口の近くに置かれたワゴンと、上に乗せられた食事が目に入った。


(……刺繡の道具、頼みそびれちゃったな) 


 恐らく、リタが寝ている間に、使用人が起こさないよう、置いて行ってくれたのだろう。今までは必ず手で受け取っていたため、こんなことは初めてだ。

  

 燭台を手にベッドを降りると、スリッパをはく習慣に慣れていなくて、ベッド下にスリッパを置いたまま、裸足のまま数歩進んでしまった。絨毯から出たところで、足裏がひんやりとした感触に包まれ、リタははたと我に返った。



(……あれ?)



 リタの部屋を訪れるのは、1日に3回食事を運んでくる使用人くらいだ。そして今日の夕食はもう運ばれていた。それなら――扉の向こうにいるのは、いったい誰なのだろうか?


 客間は横にいくつか並んでいたので、相手が訪れる部屋を間違えた可能性もある。だが、リタの部屋は突き当りの角だったため、その可能性は薄かった。

 

 

(……こんな夜中に、来るような人)


 

 そもそも、部屋には外から鍵がかけられているから、入れろと言われてもリタには開けることはできない。鍵を持っているのは、恐らくシャルムと使用人だけだ。それなのに、扉の向こうの相手は何度もノックをしてきていて、不審でしかない。


 

(……どうしよう)



 聞こえなかったふりをしようか? でも、これだけ粘っているのだから、応じるまで去っていくとは思えなかった。仕方ないので、聞こえるかは分からないけれど、扉越しに相手に声をかけてみることにした。


 

「……あの、どちら様でしょうか?」



 こわごわとした呼びかけに、絶え間なく続いていたノックの音がパタリと止み、心臓がドクンと強く脈打った。つる植物の模様が掘られた扉は、昼間は風情があって素敵だと思っていたのに、今は何だかおどろおどろしい。


 力のある男であれば、こんな扉は蹴破ってしまえるだろう。今更その事実に気が付いて、リタは扉の前から横にずれた。返事は返ってこないし、もしかしたら本当に人違いだったのかもしれない。

  

(……やっぱり、もう寝ようかな)


 踵を返そうとしたところで、ようやく小さな声が隙間から漏れてきた。


「ねえ、聞こえてないんじゃない? もっと大きな声でなきゃさ」

「しいっ。ノワール人に見付かったら、おしまいだよ」


(……ノワール、人?)

   

 大柄な男というリタの予想に反し、相手の声はずっと高く、幼さを孕んだものだった。会話をしているということは、一人ではないのだな、と頭の片隅で考えながら、リタは彼らが“ノワール人”という言い回しをしたことに違和感を感じていた。



(……ノワールの人間じゃ、ないの?)



 自分もノワール人であれば、そんな風には言わないのではないだろうか? ノワールは単一民族の国家で、移民もほとんどいない。リタが言葉に詰まったことで、相手はいよいよ聞こえていないと判断したのか、一段と声が大きくなった。



「ねえ、この鍵、開けてもいい? “兄さん”が、鍵持ってるから、壊したりはしないよ」

「……えっ?」 

 


 とんでもないお願いに、反射的に抗議するような声を挙げてしまった。慌てて手で口を抑えたものの、相手には聞こえてしまっていたようだ。ほら、ようやく聞こえたみたい、という無邪気な話し声が耳に届いた。


「……あ、あの、鍵は――」 


 あたふたと狼狽えるリタに、断る隙を与えまいと、相手が言葉を重ねた。

 

 

「お姫様、久し振り。レーヴだよ」

「……えっ」



 思いもかけない名前に、開いた口から間の抜けた声が零れ出た。レーヴという名には、聞き覚えがある。確か、イグリスでラークの透視をした少年が、レーヴと呼ばれていたはずだ。トーマスから、“触れてはいけない”と釘を刺されたのが衝撃的で、印象に残っていた。


 

(……でも、どうしてここに?) 


 

 ブラン人であり、何よりイグリスにいたはずの彼が、ノワール王城にいるはずもない。別人が嘘をついて、リタを何かの罠にかけようとしているのだろうか? それにしては、荒唐無稽で無理があるため、もっとマシな嘘を考えそうなものだが。



「ほ、本当に? どうして、こんな所に――」 


 

 動転しながらも、何とかそこまで返事をしたところで、何者だっという叫び声にリタの質問はかき消されてしまった。見つかればまずいことになるのは、レーヴ達の方であるのに、ガヤガヤと近付いてくる喧騒に、リタの方が掌に汗をかいてしまう。


 

「……あ、あの、大丈夫?」


 

 相手が子どもと分かり、緊急事態なのもあって、無意識に敬語が剥がれ落ちていた。けれど、レーヴに気にする様子はなく、すぐさま返事が返ってきた。



「入っていい? 捕まっちゃうよ」


「……どうぞっ」



 思い切って返事をすると、外側からかけられた鍵が、カチャリと開く音がした。  


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