王城の惨状
魔女とシュルツがノワールへと向かったあと、ラーク達4人が城へ戻ってこれたのは、昼過ぎになってからだった。ラークの枯渇した体力は、一晩休んだ程度では回復せず、午前中も寝て、ようやく転移魔術が使えるほどになったのだ。
「……ぐっ」
それでも、相当な負荷がかかっていたのか、足が地面につくなり、ラークは前のめりに倒れこんでしまった。口に滲んだ血の混じった唾液が、芝生を転々と濡らしていく。
(……この調子じゃ、転移先がずれたかもしれないな)
トーマスはラークの背中をさすりながら、光に包まれた視界に目を凝らした。転移が完了するまで、どこに降り立ったのかは分からない。発動前に設定しておいた、王城のエントランスホールから、そんなに離れてはいないと良いのだが。
(……騒がしいな)
耳をそばだてていると、話し声やらうめき声のようなものが、途切れ途切れに聞こえてきた。人の気配があることに安堵しつつも、不穏な様子に胸騒ぎがしてしまう。
少しずつ光が収束し、ようやく慣れてきたトーマスの目に飛び込んできたのは、王城の中庭を埋め尽くさんばかりの、負傷兵の列だった。
(……こんなに、大勢)
言葉を失うトーマスの隣で、ミランダが上ずった声で叫んだ。
「なっ、何があったっていうのっ」
城を離れていたのはたった1日だけなのに、そのあまりの変わりように信じられないというように、ミランダが首を振った。後ずさる彼女にぶつからないよう、距離を取ったトーマスは、周囲にさっと目を走らせた。
(……なんだ? この違和感は?)
目の前に広がる光景はどこかちぐはぐで、何かが引っかかった。兵士に甚大な被害が出ている割に、中庭は塀に至るまで破損もなく無傷で、王城も倒壊したりしていない。植栽も庭師が手入れをしたままに、散ったり折れたりせずに造形を保っていた。
さらに奇妙なことに、兵士の看護に当たっている使用人達もまた、負傷している者が殆どいないようだった。
(“兵だけ”に、被害が集中しているのか?)
あの魔女が嵐を巻き起こせば、人はみな兵士も使用人も関係なく傷つけられ、建物もレンガがはがれたり、壁に穴が開いたりはしただろう。最悪、全壊していてもおかしくはなかった。眉をひそめるトーマスの隣で、コリンがポツリと呟いた。
「……戦時中みたいだね」
それを耳にした瞬間、トーマスの頭の中で閃光が弾けた。おかしな点が、ひとつひとつ意味を持って繋がっていく。――そうだ、これは魔女の仕業などではない。
(……ノワールに、攻めこまれたのか?)
敵軍が侵攻してきたのであれば、兵士に被害が集中しているのも頷ける。
(とにかく、状況を確認しなければ――)
しかし、居合わせた者達に話を聞こうとしても、皆懸命に手当てをしている最中のため、下を向いているせいで目すら合わない。
そこへ、聞き覚えのある信頼に満ちた声が、トーマスの耳に飛び込んできた。
「……中尉!!」
「ちょっとっ、まだ動いてはいけません!」
1番の部下の声に安堵したトーマスは、ほっと笑みを浮かべて振り返った。中腰で追いかけてくる使用人の手を逃れ、足を引きずりながら近づいてくるのは、やはりテオドールで。しかし、その姿が大きくなってくるにつれて、トーマスは息を吞んだ。
「テオッ! お前、何がっ――」
メガネは壊れたのか、かけていない。七三に分けていた髪は乱れ、所々乾いた血で茶色く変色していた。だが、何より目を引いたのは、顔の左半分にぐるぐると巻かれた包帯だった。
「その顔は、どうした? 左目は――大丈夫なのか?」
「…………」
いつもテオドールが負傷した際には、トーマスはこうして声をかけていた。何てことはないと笑い飛ばしてばかりのテオドールが、神妙な顔で黙っていることに、嫌な予感がした。ここにリタとディルがいないことと、無関係ではないだろう。
問いかけようとしたトーマスより先に、テオドールが切り出した。
「すみません、中尉!」
「……?」
「軍曹とノワール人の少女ですが、二人共消息が……分からなくなってしまいました」
頭を下げたテオドールが、バランスを崩して転びそうになってしまった。トーマスが慌てて肩を支えようとしたものの、それすらも拒んで崩れ落ち、地に頭をこすりつけた。
「……本当に、申し訳ありませんっ」
「いいから、何があったのか教えてくれ」
開口一番謝ってくる部下に対して、驚きはしても怒りは湧いてこなかった。テオドールは大きく息をつくと、苦々しげに語りだした。
「昨夜、我々はカルム殿下のご厚意で、殿下の居室に招かれていました」
「隣室を出てか?」
「……はい」
カルムが興味を示したのは、恐らくリタだろう。だが、深入りすると話が長くなりそうなので、トーマスは先を促した。
「……それで?」
「そこへ、ノワールによるフルーヴ川侵攻と、クラージュ殿下の訃報が入ってきて――」
「クラージュ殿下が!? それは本当なのかっ」
腕の立つクラージュが、そう簡単に敗れたとは信じられない。テオドールも同じようで、城の中でもまだ意見が割れているようだった。
「陛下は!? 王妃殿下はっ?」
黙っていられないとばかりに、ミランダが割り込んできた。テオドールは目を伏せ、躊躇いがちに口にした。
「……高位魔術師が、気付いたときには、もう――」
「う、噓でしょう?」
「……僕も、人づてに聞いただけで」
「適当なこと言わないで! ノワール相手にこのざまはなに!? ガイはどうしたのよっ」
巻き毛を振り乱し、テオドールに掴みかかろうとしたミランダを、トーマスは片手で制した。怒涛のような展開に、正直トーマスも理解が追いついていかない。自身もつい聞きかえってしまった手前心苦しいが、話の流れを止めたくなかった。
「……続きを、頼む」
「そ、その知らせを聞いた途端、軍曹が部屋を飛び出してしまったんです」
「それで、お前はどうしたんだ?」
「……軍曹の、後を追いました」
当時の自身の行動を悔いているのか、テオドールの歯切れが悪くなった。
「リタちゃんは? 置いていったのか?」
状況を鑑みれば、そうとしか考えられないが、念のために確認した。リタの名前が出されるや否や、ピクリと指先を動かしたラークに、また暴走するのではないかと、トーマスの背中を冷たい汗が流れた。
「……はい。すぐ戻るつもりだったので」
ということは、すぐに戻れなくなるような“何か”があったということだ。テオドールは直情的なところがあるが、バカではない。仮にディルを逃がしてしまうとしても、深追いだと感じれば、引き返す判断ができる。そういう男のはずだった。
「軍曹は、見付かりませんでした」
(……やはりな)
「それで、もう一度エントランスホールへ探しに行ったときに――黒豹に出くわしたんです」
「……黒豹だと!?」
「よく無事だったねえ」
場違いなのどかな声で相槌を打つコリンを無視し、トーマスはテオドールの怪我を改めてまじまじと見た。頭の負傷のわりに、衣服がきれいだと思っていたが、袖口からのぞく腕や足にも包帯が巻かれていた。
(手当のときに、着替えさせられたからか)
兵士のほとんどは、汚れた衣服を着たままだ。つまり、テオドールの軍服は見る影もないほど切り刻まれたか、血で染められてしまったということなのだろう。
「……その後はもう、無我夢中で。……気が付いたら、ここにいました」
戦時中、魔術兵として出兵していたトーマスは、黒豹と間近で対峙したことはない。それは近づかれれば最後、生き延びることは絶望的だからだ。だから、テオドールが生きているのは奇跡に等しかった。
「……テオが、無事でよかったよ」
自分でも驚くほど優しい声が出て、トーマスはハッと口に手を当てた。今のは良くなかっただろう。上官として。
しかし、トーマスが二の句を継ぐよりも先に、テオドールが子どものようにトーマスの胴に抱き着いてきた。
「ちゅ、中尉ぃぃ!」
「……おい! やめろっ」
「ぼ、僕、失敗したのにっ――」
口調まで幼くなっているのは、気のせいではないだろう。ミランダはまだ不満げにこちらを見ているが、コリンに至っては腹を抱えて笑っていた。恥だ。1秒でも早く引きはがさなくては。
「……わっ」
べりべりと剥がす勢いが強かったのか、つまずきそうになったテオドールの腕を先に取ったのは、トーマスではなくラークだった。いつの間に起き上がったのか、頭を真下にまげてテオドールを見下ろしていた。
「……タは?」
「え?」
「……リタは、どこだ?」
即答できないテオドールに、圧をかけるかのように、ラークの手にぎりぎりと力が込められた。
「いっ! 痛! 僕けが人っ、けが人だから!」
テオドールが悲鳴を上げても、低い声で同じ質問を繰り返すラークは、はっきり言って不審者のようだ。そんな二人のやり取りなど、どこ吹く風といった調子で、コリンが顎に手を当てて首を傾げた。
「でもさ、ここにはいないんじゃない? 魔女もいないみたいだしさ」
「そうね」
リタがまだここに残っているならば、魔女も彼女を始末しようと躍起になっているはずだ。何の騒ぎも起きていないということは、彼女はどこかへ移動した可能性が高い。ラークももっともだと思ったのか、解放されたテオドールの叫び声が、ようやく止んだ。
「……確かめに行く」
ラークが静かな声でそう切り出し、離れへと歩き出した。その背中を、トーマスは小走りで追いかけた。カルムの安否が気になるのはあるが、それ以上に、リタについて“疑問に思っていること”があったのだ。
「待てよ。僕も行く」
「ちゅ、中尉! 連れて行ってくださいっ」
「ダメに決まってるだろっ。きちんと休んでとっとと治せ」
テオドールは中庭で療養することとなり、ミランダとコリンは、情報を得るためガイと合流しようと王城へ入っていった。




