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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第6章 ノワール
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シュルツとザハラ

 今から18年前、9歳のときにシュルツはザハラに弟子入りした。魔女の館を訪れたのは純粋な向上心からで、大陸最強の魔女に教われば、きっと自分も歴史に名を残すような魔術師になれると、期待に胸を膨らませていた。


 海岸沿いに位置する魔女の館は、ぐるりと鉄柵で覆われており、見るからに外部の者を拒む装いだった。武器を持たない、幼い子どもであったからか、シュルツが問答無用で攻撃されることはなかった。


 ほっと息をつきながら、背丈の倍もある門を見上げ、声変わり前の細く高い声を、精一杯張り上げた。


『……ごめんくださあいっ』


 勇気を振り絞って出した声は、たちまち海風に吹き飛ばされてしまい、館へと届いたか定かではなかった。おっかなびっくり門に手をかけると、抵抗もなく開いたため、シュルツはするりと身体を滑り込ませ、勝手に敷地内へと歩みを進めた。


 門から館へは、ゆるやかにうねったレンガの道が続いており、その脇にはきれいに区切られた花壇がいくつも広がっていた。月明かりの下で、ほとんどの花は閉じてしまっていたが、ちらほらと赤や黄色の花びらを覗かせているものもあった。


(……何の植物だろう? 見たこともない)


 ロンカイネンの魔女は、卓越した薬草の知識で知られている。もしかすると、独自の品種を作り出しているのかもしれない。

 

 ようやく館の玄関までたどり着くと、シュルツはライオンをモチーフにしたドアノッカーに指を絡ませた。意を決して扉をたたくと、コンコンッと軽快な音が鳴ったが、誰かが応対しに来る気配はなかった。


(……留守、ということはないだろうな) 


 大事な館に、人を一人も置かないということはないだろう。シュルツが耳を澄ませながら、もう一度試してみようとしたところで、いきなり扉がガチャリと勢いよく開いた。


『うわっ』


 たたらを踏んだシュルツは、後ろへとひっくり返りそうになってしまった。そんな彼の手首を、白樺のように美しい腕がにゅっと伸びてきて、しっかりと掴んだ。



『……あっ』

 

 

 しなやかだが力強い、まるで男のような腕に、てっきり女が出てくるとばかり思っていたシュルツは、顔を上げて言葉に詰まってしまった。


 

『……っ!』



 長いまつ毛に縁どられた銀色の瞳に、肩まで伸びた白い髪。どちらも、レドン大陸では稀少なもので、初めて目にしたシュルツには、女神のように神々しく感じられたのだ。


 

『……大丈夫?』


 

 男のように太い腕と、女のような美貌を持つ女神が発する声は、語尾が溶けていくかのようにやわらかで、優美だった。壮絶な色気を放つ美丈夫を前に、一拍遅れてこの人こそがロンカイネンの魔女に違いないと、シュルツは心の中で断定した。


(……そうと決まれば、やることはひとつだ!) 


 シュルツが体勢を立て直すと、女神は片手で乱れた前髪を直し始めた。その横顔に向かって、シュルツは舌を噛みそうなほど早口で、切り出した。

 

『……あっ、あのっ、ありがとうございましたっ』

『いや、怪我がなくて――』

 

『弟子にしてくださいっ!!』


 のんびりと返事をしていた女神の目が、呆気にとられたように丸くなった。でも、シュルツは考える隙を与えるまいと、深々とお辞儀をして畳みかけた。

 

『“世界最強と名高い魔女様”に、教えを請いに参りましたっ』

『…………』

 

 頭を下げたまま、シュルツはひたすら返事を待つことにした。了承してもらえるまでは、このまま動かないと、心に決めてきたのだ。しかし、上から降ってきたのは、必死で笑いをこらえているかのような息遣いで、シュルツは怪訝に思った。


 ――そのとき、突然後ろから、ひどく苛立ったドスのきいた声が投げかけられた。


 

『だあれが、“世界最強の魔女”ですって?』


 

 予想外の方向から声がかかったことで、思わず頭を上げてしまったシュルツの後ろには、いつの間にかレンガ色の髪をした少女が立っていた。


 ひどく不機嫌そうに頬を膨らませた姿は、赤毛のリスのようで、かわいらしい。背丈もシュルツより低く、そんなに年も離れていないことが伺えた。


『……えっ、……え?』


『えっじゃないわよ! この無礼者っ。あんたなんか絶対弟子にしないから!』


 シュルツの全身からさーっと血の気が引いていった。ギギギと音がしそうなほど、つたない動きで振り向くと、扉にもたれかかった女神が、目じりに浮かんだ涙を拭きながら、こちらを見ていた。


『くくっ。残念ながら私は魔女じゃないんだよ』


(……そ、そんなっ)

 

『それに私は、女でもないよ。れっきとした男だ。――リシャールと呼んでくれるかい?』


 落ち着いて聞けば、確かに声変わりを終えた男の声をしていた。出だしからとんでもない失礼を働いたことに、シュルツの頭は真っ白になっていった。取り合えず謝らなければと、館へ入ろうとする魔女の黒いワンピースを掴んで、すがりついた。


『すみませんでしたっ』

『離して!』

 

『お願いしますっ。どうか弟子にしてください!』

『しつこい、早く出てってよっ』


 レンガ色の瞳にきっと射抜かれ、金縛りにあったようにシュルツは動けなくなってしまった。一触即発の雰囲気の中、女神――リシャールが魔女の肩を抱いて、何やらささやきだした。


『まあまあ、落ち着きなよ。この子を弟子にする代わりに、館の家事をやらせてみるのはどうだい?』

『……そのくらい、自分でできるわ』

『そうだねえ。でも、人に任せればもっと楽だ』

『…………』

 

 銀色の目がこちらを向いて、ウインクする。


『ザハラは掃除が苦手だろう? 彼に任せれば、もう掃除をしなくて済むんだよ』

『あのっ、僕料理もできます! 洗濯も掃除も庭仕事も何でもやりますっ。だからどうか、魔術を教えてくださいっ』


 掃除、という単語が出てから、明らかにザハラの目が泳ぎだした。何度も弟子にしろと懇願するシュルツに、ため息交じりに返事をする。


『……適当な仕事したら、すぐに追い出すからね』

『はいっ、ありがとうございます!!』


 深々と頭を下げるシュルツに、リシャールがもう一度楽しそうにウインクをした。



◇◇◇



 下働きとして始まった、シュルツの館での生活は、思ったより悪いものではなかった。ザハラは始めこそ腹を立てていて、まともに取り合ってくれなかったが、めげずに付きまとうシュルツに、次第に心を許してくれたからだ。


『ねえシュルツ~、おやつ作って~』

 

『もう日暮れですよ。明日になれば作ります』

『ええ~』 

 

 2年の月日が流れた頃には、シュルツに甘えてくるまでになっていた。館で3人で暮らすのかと思っていたシュルツは、後からリシャールがグリーズ島で生活しており、年に数回しか館にやってこないことを知って、驚いた。


『何のために来ているんですか?』

『シュルツは、知らなくていーのっ』 


 ザハラの方が教える側でありながら、一回りも年上のリシャールに対し、ザハラもシュルツも、妹や弟のように慕っている側面があった。落ち着いた物腰のリシャールは、いかにもお兄さんといった感じで、孤立した館でザハラが彼に思いを寄せていくのは、必然であったのかもしれない。

   

『……はあ』


 リシャールがいないとき、時折ザハラは南東に向いた窓を開け、海風を浴びていた。窓にもたれたザハラのレンガ色の髪から、甘い果実の香りが流れてくると、胸の奥がひりつくようになったのは、いつからだったろうか?

 

 自分の気持ちに見て見ぬふりをしていたシュルツは、何の確証もないけれど、こんな3人で過ごす日々が、まだずっと続くのだと思っていた。


 ――リシャールが、何の前触れもなくザハラとシュルツに別れを告げてくるまでは。


『今まで世話になったね。本当に感謝しているよ』


 月並みな台詞を置き土産にして、リシャールは青ざめているザハラに、ニッコリと笑いかけた。中庭で月の光を浴びるリシャールは、初めて出会ったときと同じように神々しくて、しかしその目は、どこまでも冷え冷えとしていた。


(……なんで、こんないきなり――) 


 ショックのあまり固まっているザハラに代わって、シュルツがどんなに説得を試みても、まったく手応えはなかった。打つ手がなくなったシュルツは、うっかりザハラが秘めてきた思いまで、口を滑らせそうになってしまった。


『でもっ、……先生は!』

『やめてシュルツ!!』


 ザハラが悲鳴のような声で叫び、シュルツは慌てて口をつぐんだ。下を向いたザハラの顔は、レンガ色のカーテンに覆われていてよく見えなかったが、ぽつりぽつりと床に丸いしみができていった。


『……わたし、あなたの役に立てた?』

『もちろんだよ』


『またいつか……会いに来てくれる?』

『…………』


 長い沈黙にいたたまれなくなったのか、ザハラが顔を伏せたまま、逃げるように館へと戻っていった。それを見送ったリシャールは、中庭に並んで立てかけてあった、自身のホウキを取って戻ってくると、平然とその上にまたがった。


 そのまま館をあとにしようとするリシャールに、シュルツは駄目で元々と、もう一度呼びかけた。


『待てよ! 気づいてるんだろっ』


 先生の気持ちに、と口に出すのは、さすがに憚られた。頭の高さまで浮き上がったリシャールが振り向くと、ガラス玉のような瞳からは、光が消えていた。


『ああ、好きなんだろうね』


 無機質な声に、シュルツの背筋が凍り付いた。


『だから、なに?』


 雲が月を隠し、リシャールの姿が影に包まれていく。


『私の代わりなんて、いくらでもいるさ』

『……は?』


 シュルツには、リシャールが何を言っているのか、みじんも理解できなかった。顔を真っ赤にしたまま口をはくはくさせているシュルツを一瞥し、リシャールは空へと舞い上がっていった。



 ――それが、シュルツがリシャールを見た最後の姿だった。



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