リタを追って
リタがシャルムによって連れ去られている頃、テオドールはブラン王城を駆け回って、逃げたディルを探していた。
(……一度戻るべきか? いやでも、あの娘が逃げ出すとは思えない)
トーマスからは、リタとディルの二人を見ておくよう、言いつけられていた。見つからないからといって、諦めてディルを逃がすわけにはいかない。1階は既に調べつくしていたが、再度エントランスホールを確認しようと、扉を開けて中へ入っていった。
ガイの固有魔術と思われる、強い揺れがあってから、城壁の外ではノワールとの攻防戦が繰り広げられているようだった。それでも、城の敷地内にノワールが攻め入ってこないのは、かき集められた高位魔術師が奮闘しているからだろう。
(……けど、何か妙だな)
このタイミングで仕掛けてきた以上、敵方に魔女の情報は流れてしまっていたのだろう。フルーヴ川流域など、辺境の防衛が手薄になると見越して攻めてきたのは分かる。しかし、魔女に備えて王城の守りを高めていることなど、少し考えれば思い至ったはずではないだろうか?
(もし、正面突破以外に、何か秘策を隠し持っているのだとすれば――)
一気に膠着状態が破られて、城内に押し入られてもおかしくはない。いやな汗が眉間を伝い、足を止めて手でぬぐおうとしたところで、テオドールは2階から響いてきた侍女の悲鳴に、飛び上がった。
「きゃああああっ」
(……なんだ!?)
反射的に振り返ると、2階から侍女が腕を振り回して、階段に向かって走ってきていた。長いスカートがもつれ、すそを踏んだ侍女が勢いよく階段から落下し、鈍い音が広間に響き渡る。周囲にいた兵士の一人が、彼女に駆け寄り、残りが2階へと駆け上がっていった。
(……軍曹が、絡んでいるかもしれない)
テオドールは後を追うか束の間躊躇し、出遅れた分を取り戻すように、1段飛ばしで階段を上がっていった。1階から城外へ逃げたものとばかり思っていたが、見当を外していたのかもしれない。
しかし、階段の中ほどまで進んだテオドールは、長剣や槍を手にした黒い軍勢に出くわしてしまった。ざっと、10人以上はいるだろう。
(……なっ! ノワール軍がっ、なぜ城内に!)
正門とつながっている1階には、敵軍の姿はなかった。正門が破られていないのなら、王城内に張り巡らされた、隠し通路を暴いて侵入してきたのだろう。どうやったのかは知らないが、そんなことを考えている余裕はない。
動揺するテオドールに向かって、軽々と跳躍しながらノワール兵が距離を詰めてきた。あの猫のような身のこなしは、間違いなく――黒豹だ。
(くそっ。こんなときに――)
長剣を抜いたテオドールは、瞬く間に二人の黒豹に挟み込まれてしまった。正面で短槍を振りかざしている一つ結びの青年は、頭抜けて動きが早く、逃げ切ることはできそうにない。背後を塞いでいる男は、見るからに屈強な体格をしており、数人でかかっても抑え込むのは一苦労だろう。
(……覚悟を、決めろ)
外に気を張っている高位魔術師が、内部侵入に気づいて救援に来るまで凌がなければいけない。こうなってしまったら、ディル探しは後回しだ。
死ぬかもしれない窮地だが、トーマスから任された仕事を完遂しなければと、テオドールは黒豹相手に打ち込んでいった。
◇◇◇
長い夜が明け、水平線から白い帯のような光が上がってきた。星の消えた空が淡い水色に染まっていき、雲の間を鳥が縫うように飛んでいく。昨夜はひどく荒れていた海も、波一つなく穏やかになっていた。
そこへ、鳥達の群れを散らすように、ひときわ大きな二つの影が滑り込んできた。レンガ色の髪をなびかせた魔女ザハラを乗せたホウキと、その後ろをピッタリとついていくシュルツのホウキ。休む間もなく夜間もホウキを走らせた二人は、ようやくブラン王城を眼下へと捉えていた。
「……やっとね」
ここへくるまでも口数の少なかったザハラが、腹から絞り出すように口にした。ラークとの戦いに勝利はしたものの、激しく消耗していたのだろう。夜の間にザハラの頭が何度も舟を漕ぐ度、シュルツはいつ落ちても助けられるよう、杖を握った手に力を込めていた。
(……本気で、ラークの想い人を消すつもりなのだろうか?)
城へと高度を下げていくにつれて、シュルツはいよいよその時が迫ってきているのを感じた。手汗が止まらなくなり、片手ずつホウキを離しては、風にあてて乾かしていく。道中もザハラを止める術はないかと、必死で頭を巡らせたものの、良い考えなど一つも浮かんでこなかったのだ。
(この人に手を、汚してほしくない……)
2歳年上だというのに、子どものように我儘で、しょっちゅう甘いものをねだってくる困った人。掃除が苦手で高圧的で、でも本当は寂しがり屋で傷つきやすい魔女。そんな彼女を狂わせたのは、間違いなくリシャールだ。
「……何かしら、あれは」
尖塔の周囲を飛びながら、中庭や城内の様子を伺っていたザハラが、ふいにホウキを止めた。物思いにふけっていたシュルツは、ザハラにぶつかりそうになり、慌てて減速すると、改めて城に目を走らせた。
(……負傷者の、手当てをしているのか?)
中庭には累々と兵士が横たえられており、その周りをせわしなく使用人が行き交っていた。兵士の数は中庭を埋め尽くすほどで、よく見ると、城外には凄まじい地割れや土砂崩れの跡があった。
「何者かの襲撃を受けたようですね」
十中八九、手を出してきたのはノワールだろう。ラークのいない隙を狙って仕掛けてくるとは、ノワールにはなかなか頭の切れる人間がいるようだ。
――皮肉なことに、シュルツはリシャールがその切れ者だとは、気付いていなかった。ラークの情報をリシャールに流してはいたものの、いま彼がどこで何をしているのか、シュルツは知らされていなかったのだ。
「……あの女の居場所を突き止めてから、行こうかしら」
しばらく城に出入りする人間の様子を眺めていたザハラが、ワンピースのポケットから手鏡を出した。極限状態まで高まった警戒態勢の中、城内をしらみつぶしに娘を探して移動するのは、どう考えても非効率的だ。鏡に映った背景などから、当たりを付けた方が良いだろう。
二つ折りの鏡を掌の上で開いたザハラは、目を伏せたまま低い声でつぶやいた。
「……サーフェス」
ゆらゆらと波打った丸い鏡面の中に、横抱きにされた灰色の髪の少女が浮かび上がった。娘の頬には、上から黒髪が垂れかかっており、その色にザハラは顔をしかめた。なぜかは分からないが、何らかの利用価値を見出されて、娘はノワールへと渡ってしまったのかもしれない。
「面倒なことになったわね」
ザハラはより多くの情報を得ようと、少し引いて背後の様子を映そうとした。その目が、吸い寄せられるように、彼女を抱いていた男の顔で止まった。
「…………え?」
「どうされましたか?」
こんな風に困惑して固まっているザハラの姿を、シュルツはリシャールが出ていったときにしか、目にしたことがなかった。よっぽどのことがあったのだと、落とさないよう慎重に、ザハラの手から鏡を受け取る。
――そこに映っていた男の顔は、まぎれもなくリシャールのもので。
「……なっ! 一体なにが――」
リシャールと灰色の娘という、ちぐはぐな取り合わせに、鏡を二度見してしまった。二人の間に、どんな関係があるというのだろうか? シュルツが目を皿のようにして鏡をのぞき込んでいると、隣からすっと伸びてきた腕に、ひったくるように手鏡を奪われてしまった。
「……追うわよ」
そう短く口にしたザハラは、ノワールの方角を睨むように見据えていた。
「……で、ですが、彼女を追えばリシャールと――」
リシャールの名を口にした途端、切り傷をえぐられたように、ザハラが顔を歪めた。――ずっと埋まらない、初恋の男が残した傷跡。
シュルツには、その傷を塞ぐことも、癒すこともできやしないのだ。
(僕が、リシャールよりも先に出会っていれば――)
何かが、違ったのだろうか? いや、そんなことはないと、シュルツは泣きたいのを我慢して、自嘲気味にほほ笑んだ。
リシャールとザハラの間には、シュルツには立ち入れない、どこか大人びた雰囲気がいつも流れていた。ザハラに初めて会ったときも、まるで自分だけ子どものような扱いを受けていたと、シュルツは遠い記憶に思いを馳せた。




