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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第1章 出会い
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ラークの怒り

 地下牢の中には、時計の針が動くコチコチという音だけが無機質に響いている。朝日が差し込むこともなければ、夕日が部屋を赤く染めることもない。

 それでも、刻々と時間は7時へと近づいていた。


(……そろそろ、夕飯ね)


 昨日は寝てしまっていたため、リタは何時に食事が運ばれてきたのかよく覚えていなかった。だが、もうじきなのは確かだ。


(あの子だといいな……) 


 ウサギのように跳ねていった少年を思い出す。ふっとほころんだリタの顔は、ガンっとドアの蝶番を勢いよく回す音で強張った。


「……っ!」

「よう、今日は起きてるな」

 

 ぼうぼうに伸びた髭を見ただけで、全身に悪寒が走った。無意識に後ずさるリタを気に留める様子もなく、男がどんとテーブルの上に食事を置いた。パンにスープ、それからブドウ。食べたことのない果物を見ても、この男と同じ空間にいるだけで心は沸き立たない。


「…………」

「……なんだよ」


 戸口とは反対の壁に背をぴたりとつけて息をひそめているリタを、男が不快そうに見ながら腕を組んだ。


「例のひとつも言えないのか?」

「あっ、……ありがとうござ――」

 

「聞こえねえよっ」

「……ひっ」


 男がリタへと詰め寄ってくる。次第に口調が荒くなっていることに、パニックを起こしているリタは気づいていなかった。男がリタの腕をつかみ、壁にたたきつける。


「なんだよっ……、やっぱりキレイな顔してるな、お前」

「……や、やめ――」


 男の手が腕を伝って肩へと移動する。その先を想像し、リタの背中を氷水を流したように冷たい汗が流れた。至近距離に迫った生臭い息から顔をそむけると、鉄格子の向こうの銀の瞳と視線がぶつかった。


「…………っ!」


 リタは泣きそうになりながら、縋るようにラークの顔を必死に見つめた。――その目尻から一筋の涙が伝った瞬間、座っていたラークが糸に引かれるようにすっと立ち上がった。


「…………」 


 ガラス玉のような瞳に、ちらちらと銀の光が舞いだす。それと同時に、心臓が潰れてしまいそうなほど強い魔力が部屋を満たした。鉄格子にかけられた魔術がラークの魔力に反応し、パチパチと火花が散りだす。


「なっ、なんだっ!」


 男は動揺して、リタをつかんでいた手を緩めた。波のようにあふれ出す魔力をまとったラークの身体は、陽炎のようにゆらいでいた。


 

「……離せ」


 

 地を這うような低い声に、リタと男が同時に肩をビクッと震わせた。男は凍り付いたようにラークを見つめたまま、そろそろとリタの制服から手を離した。その手も口も、ブルブルと小刻みに震えている。


「……おっ、お前っ――なんで動いてっ!」


 万力で締め付けられるように内臓が圧迫され、特に痛みの激しい心臓を抑えたまま、男が数歩後ろへとよろめいた。


 

「…………シエラに触るなっ!」


 

 短くラークが叫んだ瞬間、爆発するように彼の身体から魔力が発散された。ガアンッという轟音と共に、鉄格子もろともかけられた魔術が砕け散る。


「……ひいっ」


 陸に打ち上げられた魚のように、男はバタバタと暴れながら戸口へと這いつくばって進んでいった。その後ろを追うように、ラークが壊れた鉄格子のなかから歩み出てきた。


「……くっ、くるなあっ!」

「…………」


 男は足がもつれて腹をべしゃりと床に打った。淡々と近づいていくラークは、男の真後ろに立つと、右手を黒い監視服に向かってかざした。


 

「…………命をもって、償え」

「やっ、やめっ――」


 男が両手で顔を覆い、ダンゴムシのように丸くなる。


「――デトリュイール」

「……くっ!!」

 

 その背中を銀色の光が矢のように襲った。今にも男の背に銀の矢が突き刺さるというところで、戸口の方からよく通る太い声が割って入った。


「……シールドマキシマッ!」


 男の背の上に黒い壁が浮かび上がり、銀の矢を床へとはじき返した。出入口に立っている黒いローブをまとったノワールの魔術師は、はあはあと肩で息をしている。――その後ろには、見たことのない巻き毛の監視員の姿があった。彼を押しのけるように、バタバタと黒いローブをまとった魔術師たちが続々と部屋の中に入ってくる。


「……早く中に戻せっ」


 一番最後に地下牢へと入ってきたのは、角切り顔の看守長だった。数名の魔術師たちに向かって命令すると、彼らがさっと壁際に一列になり、ラークに向かって両手を広げた。


「……インプリズンッ!」


 呪文の詠唱とともに、ラークの体がぐんっと牢の方へと吹っ飛ばされた。その隙に、気を失った無精ひげの監視員は巻き毛の男に担ぎ出されていった。目の前で繰り広げられる攻防に、リタは足の力が抜けてへたり込んでしまっていた。


(……な、なにが起こっているの?)

 

 牢の床にたたきつけられたラークが、上半身を起こして白い髪を振り乱し、キッとノワールの魔術師をにらみつけた。


「……っ!」


 しかしその尖った眼差しはなぜか、ふいに横にずれてリタを認めると、みるみる柔らかくなっていった。瞬きする間にラークの顔から人形のように表情が消えていき、それと共に魔力が引き潮のように柵の中へと戻っていった。


(……な、なに?)


 変化に気づいたのはリタだけではなかったようで、この機を逃すまいとばかりに、壊れた鉄格子の前まで魔術師達が並んで進んだ。


「今のうちに保護魔術をかけ直すぞっ、急げ!」


 集中して呪文を詠唱をしている魔術師達の後ろを、リタめがけて看守長が大股で歩いてきた。エドガーはリタの両肩をぐいっとつかむと、強く前後に揺さぶった。


「一体何があったんだ!?」

「…………っ」

「通報があったから間に合ったものの、お前いったいやつに何をしたんだっ?」


 「…………えっ、えっと――」


 詰め寄るエドガーを前に、リタは上手く言葉が出てこなかった。――リタ自身何が起きたのか分っていなかったし、夕食を運んできた男のことを思い出すと鳥肌が止まらなかった。看守長はどもるリタにイライラしたようで、肩をつかんでいた手を離して前髪をかきむしった。


「……奴のあんな姿は初めて見た。今までにこんな騒ぎを起こした監視員は、ひとりもいないぞ」


 看守長が口をつぐむのと同時に、部屋に静寂が戻った。魔術師達の修復魔術によって、どこが壊れていたのか分からないほど、鉄格子は完ぺきに復元されていた。ラークが魔力を開放すれば跡形もなくなるであれば、直すことにどれほどの意味があるのかは知れないが……。


 監視部屋が元の状態に戻ると、魔術師たちはそそくさと部屋を出て行った。看守長も続き、振り向きざまにリタにこう言い残した。


「この仕事をクビにされた奴はいない。……が、こんなことが続くようなら、お前はクビだからな」


 勤務2日目からこの有様なのだ。今すぐ追い出されなかっただけでも、幸運かもしれない。しかし、怪物のような囚人と1対1でいつ破壊されてもおかしくない格子を隔てて生活するのは、心穏やかな生活とはかけ離れていた。


 

(……やっぱり、やめた方が――)


 

 リタは立ち去った看守長を走って追いかけようかと、つかの間悩んだ。しかし、この仕事を辞めたところで、リタを待っているのはなんら変わらない現状だ。また次を見つけるのにどれだけ苦労することか……。


(……表の世界では、働けなくなるかもしれない)


 リタの足は磔にされたように、すくんだまま動かすことはできなかった。椅子を頼りに年寄りのように立ち上がったリタの目に、テーブルの上のすっかり冷え切った夕食が映った。


(……忘れてた)


 食事を摂るような気分ではなかったが、騒動を起こした以上明日食事が出てくる保証はない。うわの空で食事を取り分け、ラークの分を小窓から差し込んだ。彼は壁に背を預けて座っていたが、その目はひどく虚ろでどこにも焦点が合っていなかった。


(……助けてくれた)


 ラークがいなければ、リタは今頃大変なことになっていた。――けれど、きっとラークは“リタ”を助けたつもりではない。


『…………シエラに触るなっ』


 引き絞るように出された大声を思い出す。寝言でもシエラという名を口にしていた。


 

(…………また、シエラ)


 

 シエラとは一体誰なのか? ラークにとって、とても大切な人であることは間違いない。――感情がないといわれていた彼の心を動かすくらいには。


 

(……この人に、感情がないなんて――嘘だわ) 


 

 ――ラークがなぜリタにだけ心を動かすのか。リタがその事実を知るのはもう少し後のことになる。



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